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宅 配 便


この夏に引っ越したばかりのマンションは5Fの部屋で、
窓の向こうには公園の緑とニョキニョキ伸びたビルが何本か見える。
以前に住んでいた古いマンションもたまたま5Fの部屋。
公園の緑は見えなかったものの、高さが同じだからか、
窓から見える遠くの景色は今のマンションとどことなく似ていた。

元夫は珈琲の焙煎をしていた。今も焙煎人なんだから「している」か。
そもそも「焙煎人」という職業があることを意識したのも彼に出会ってからの事。
もちろんそれまでだって、「自家焙煎珈琲」という看板を掲げたお店に出入りはしていたけれど、
「自家焙煎」という言葉はあくまでも珈琲豆にかかっていて、
そこに「人」という職業があることまで意識が到っていなかった。

coffee

こんな事を考えているとどこからかお叱りを受けそうだけれど、
焙煎人と聞くと「必殺仕事人」とか「お役人」という言葉が
連想ゲームのように頭に浮かんできてしまってどうもいけない。
なぜかお江戸。江戸時代には珈琲はなかったのに
「人」(ニン)という文字と音がそんな連想を私に抱かせる。
もっと他に「料理人」とか「職人」とか、いくらでも思いつく職業はあるのに…

ま、それは良いとして。

自分の暮らしの匂い、生活臭というものには
鼻が慣れてしまって大抵わからなくなるものだ。
どちらかというと自分は鼻が利く方だと思っていたのに、
部屋に染み付いた珈琲の匂いには鈍感になっていて、
しばらく旅などに出ていて戻ってきたときに
「こんなに珈琲の匂いがしていたんだ」と
当時はよく気づかされたものだった。

だいたい焙煎作業というものをマンションの5Fで行っていること自体、
極めて稀なことだったと思う。
「焙煎」をする訳だから、材料となる珈琲の生豆は豆の問屋さんから仕入れるのだが、
配達をしてくれるのは宅配便のお兄さんだ。
そのマンションはエレベーター無しの5F…。

当時、日常の買い物ですら億劫になってしまうほどだったが
届く豆の量は3kg、5kgなどとお米の買い物の比じゃなく何十kgの配達だ。
試練というか、修行というか、今あらためて思うと
配達担当になったお兄さんはかなり不幸である。
配送センターで「今日はお前行けよ」などと小競り合いがあったっておかしくない。
以前に大汗をかいた宅配便のお兄さんに
「そろそろ引越しをしませんか?」
と真顔で言われたことがある。
それを聞いてこちらは笑って見せたけれどあちらはあんまり笑ってくれなかった。
そしてしばし沈黙の気まずい空気。
今となってはお兄さんのお望み通り引っ越しはしたけれど、
それが私だけじゃ意味はないし。

coffee

珈琲豆が焼き上がりに近づくと、珈琲の液体から香る匂いとも
いれているときの匂いともまた違う、香ばしくて甘い香りが
焙煎機のうんうんと唸るモーター音と、焼きあがってパチパチとはぜる豆の音とともに
部屋中に立ち込める。。
外からやってくる人にはあの香りは一段と強く感じられたことだろう。

「いい匂いですね」

宅配便のお兄さんは何度か言ってくれたけれど、
焙煎中だったから珈琲をいれてあげることはできなかった。
真夏には麦茶くらいでお茶を濁していて…。
今は担当のお兄さんもきっと変わってしまったと思うけど、
麻袋に入った何十kgもの生豆は宅配便の人の手によって、
相変わらずえっちらおっちらと階段で5階まで届けられているのだろう。


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