title/hyoutan



デ ー ト

今でこそコーヒーが好きで、毎朝コーヒーを飲まないと
1日が始まらないくらいになっているけれど、
実は10代の頃はコーヒーが苦手だった。
何がいけなかったのか、どういうわけか飲むと度々お腹をこわしていた。

ただ、苦手ではあったけれどコーヒーは決して嫌いではなかった。
当時は味うんぬんよりもコーヒーがある風景のようなものに憧れていた。

コーヒーと音楽。コーヒーと本、吸いはしないけれどタバコとコーヒー…。
理屈ではわからないコーヒーの周辺に漂う雰囲気が、 まるごと好きだった。

高校生の頃は友人と喫茶店に行くと、
オーダーのときにちょっとカッコをつけて
「ホットひとつ」
などと言っていた。

カッコをつけても決まっていないことを、本人は気づいていないところが
この年頃のはずかしさであり、かわいげでもある。
でもそんなことはおかまいなしに大人の匂いのする世界に足を踏み入れて、
自分も大人の仲間入りをした気になっていた。
本当はチョコレートパフェやミルクティーの方が好きでも、
お腹をこわそうがコーヒーが醸し出す世界に浸りたい一心で
コーヒーを口にしていたのだ。

ところが美味しいコーヒーにあるとき出会ってしまった。

出会ってしまったなんて言うとまるで自分が発見したようだけれど、
当時つきあっていた男の子が連れて行ってくれた喫茶店が
美味しいコーヒーを出すお店だったのだ。
coffee

「自家焙煎珈琲」という言葉もそこで初めて知った。
お店は決してしゃれた感じではなくて、ウッディでログハウス調。
そんな造りはその頃の流行りだったのだろうか?

私が好んで浸っていた世界ではなかったけれど、お店はいつも賑わっていて、
ポテトのチーズ焼きやピザトーストなどの軽食も美味しかったし、
バナナジュースももったりと濃厚で好みの味だった。
そして何よりコーヒーの味そのものを「美味しい」と感じることができたのは
そのお店が初めてだった。

 
10代の終わり頃から20代の半ば頃まで長くつきあったその男の子とは、
数えきれないくらい一緒にそのお店を訪れた。

そんなに長くつきあっていたのに、私が薄情なんだろうか。
何をしゃべっていたのか、どこに惹かれていたのか、
顔すらも記憶の扉に霞がかかってしまって上手く思い出せないでいる。
長くつきあいすぎたということなんだろうか……。

木でできたテーブルが何年も経って出てきた艶とか、
夏に飲んだアイスコーヒーが銅のマグカップで出されることとか、
バナナジュースにぽてんと添えられる缶づめのさくらんぼのこととか、
不思議とつまらないようなことは細かな部分までよく覚えているというのに。

coffee

あの喫茶店に行くことがなかったら、そこでコーヒーを飲んでいなかったら、
そもそも彼とつきあっていなかったら……。
「〜たら、〜れば」という言葉は
振り返って後悔するときに使う言葉だと思っていたけれど、
それだけではないことも教えてもらった。




 

copyright 2009 anonima studio