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リ ズ ム

coffee

Aの部屋から業務用のコーヒーミルのコードを引きずりながら
Bの部屋にある差し込み口にコンセントを差し込む。
Aの部屋へ戻って今度はコーヒー豆を挽き、Bの部屋へ持って行く。
Bの部屋ではペーパーをセットしたドリッパーに挽いた豆を入れ、
コンセントを抜いてくるくるコードをまとめながら元へ戻す。
これでようやくコーヒーをいれる準備が整う。

これは何かのテストの問題文でもなんでもない。

以前に住んでいたマンションは、今どきの物件のように
コンセントの差し込み口が多くなかった。
一応、Aの部屋にも差し込み口はあったけれど、
全部が埋まっていて、電動のミルでコーヒー豆を挽くときは
その度に上のような工程をふまなければならなかった。

これが最初の頃はもどかしくて仕方なかった。
文字で書いてみればなんてことはないのだけれど、
コーヒー一杯を飲むためにドタバタと大がかりになって
ただでさえそそっかしいし、うっかりしているので
一度で済むはずが何かを忘れて行ったり来たり・・・
もどかしいというよりも、スムーズにできない自分にイライラしていた。

そういったドタバタやイライラは、
どういうわけか、とがったえぐさや後味の悪さとなって
しっかりと抽出されてしまう。
黒い液体が、見た目よりも黒く感じる。
自分でいれて、自分で飲んでいるから、
思い知らされるようで余計にがっくりくるのだ。

「一連の動作が全部味に出るんだよ」

などとコーヒーの先生にはよく言われていたけれど、
そんなこと言うんだったらコンセントの差し込み口を
増やしてくれ・・・と内心で出来の悪い生徒は思っていた。

毎度、毎度。

コーヒーにお湯を注ぐ前にAからBの行ったり来たり。
万歩計を付けていたら狭い部屋でも案外歩数を
かせげるんじゃないかなんてことまで考えた。

そういえば、よく行く喫茶店の店主がコーヒーをいれているときは
一連の動作が茶道のお手前のようになめらかだ。
豆が挽かれ、お湯を注ぎ、良い香りがしてきたかと思うと、
カップに入ったコーヒーが目の前に差し出される。
こちらが本を読んでいても、
友人と会話をしていても障りがない。

たんたんと、呼吸するようなリズムで。

そうしていれられたコーヒーは変なひっかかりが無く、
美味しさだけが余韻として舌にふわりと残る。

私も同じ作業を毎日繰り返しているうちに、
頭で考えなくても体が自然に動くようになっていた。
AからBへ、そしてまたAへ・・・
コーヒーの味まで変わったかどうかはわからないけれど、
バタバタもイライラもいつの間にか消えていた。

今の家ではコンセントの差し込み口に困ったりすることもなく、
コーヒーをいれるのにもほんの数歩の中で用は足りている。
物足りないくらいミニマムな動作で済んでいる。
何年かかかって慣れた、AからBへの行ったり来たりが無くなって、
果たして今は自分のリズムになっているんだろうか?

さて。どうだろう?
んー。どうだろう?







 

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