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サ イ ゴ ン

猛暑が続いている。
夏はコーヒーの消費量がガクンと減る。
減るというのは一般的なお話で、私は夏でも変わらないのだけど。
どうしても冷たい飲み物、しかも手軽なペットボトルの
お茶やジュースに流れてしまうらしい。
先日もとある焙煎屋さんと電話で話をしていると
「暑いとコーヒーは厳しいんですよ」と。
コーヒー先生のところもそうだった。
豆の注文が真夏になるとぱったり来なくなり、
私が心配すると
「果報は寝て待て」と一言。
寝て待ってどうにかなるのなら苦労はないですよと
心の中でブツブツ思っていると、注文の電話がトゥルルと鳴った。
そんな奇跡がよく起こった。

でも今年の猛暑はなかなか手強い。
そう簡単には奇跡も起こらないんじゃないだろうか。
夕立ちはスコールのように激しく降るし、
雨が降っても気温が下がるどころかムンと湿度が高くなる。
どこかで味わったこの気温と湿度。
あぁ。これはヴェトナムに似ているかもしれない。
つい先日友人から久しぶりにヴェトナムコーヒーの話を聞いてからというもの
10年ほど前に訪れたヴェトナムのことを
ここのところよく思い出している。

30歳になる直前、20代最後の記念にとホーチミンへひとり旅に出かけた。
訪れたのは確か雨季にさしかかった10月頃。
気温も湿度も高く、人々の生きるための勢いのようなものに
圧倒されたことを覚えている。
旅に行っている最中はその勢いが何なのか?
わからないまま確かめるようにただひたすら町を歩き回っていた。
歩き回っていると冷たい飲み物が飲みたくなるのだけど、
お腹が弱い私は用心して氷が入ったジュースやお茶は
飲まないようにしていた。
いや、ジュースやお茶よりも
あの気候の中で飲む甘ったるいヴェトナムコーヒーを
気に入ってそればかり飲んでいたのだ。
アルミでできたおもちゃのような専用のフィルター。
グラスにフィルターが乗ったまま運ばれてきて
そのグラスにはたっぷりと練乳が入っている。
コーヒーが勝手にぽたりぽたりと落ち切ったら
ふたを受け皿代わりにしてフィルターを外す。
その作業もおもしろがっていた。

町案内を商売にしているマインさんとは
そんなときに出会った。
ひとりに飽きていたわけではなかったし、
むしろ日本人とわかると声をかけてくる人たちは
無視し続けていたというのになぜだろう?
不思議と「この人は大丈夫」と思えたのだ。

交渉の末、いろんな場所を案内してもらった。
映画館やお笑いから始まる野音ライヴ?
サイゴン川を舟で渡ったり・・・。
いちいち交渉や確認をしなければならないから
面倒くさいといえば面倒くさかったけれど、
悪人ではなかったし、誰かと食べるゴハンは
やっぱり美味しかった。
美味しさを分かち合える人がいると
料理の力も倍増するのかもしれない。
サイゴン川沿いで入ったカフェ(といっても
外に椅子とテーブルが並べてあるだけの)では
マインさんの大家族の話を聞いた。
苦労話はどこまで本当かはわからないけれど、
日本でのほほんと暮らしている私には
キューっと胸が痛くなるような話だった。

そこでもコーヒーを飲んでいた。
マインさんとのお茶は当たり前のようにコーヒーを頼んでいた。
するとマインさんが
「コーヒーばかりでは美容に良くないよ」
と、気の毒そうな顔で言うではないか。
「余計なお世話ですよー」と早口の日本語で
わからないように言い返したけれど、
私のことなど知らんぷりでマインさんが何かを頼んでいる。
運ばれてきたのは氷の入っていない搾りたての
オレンジジュース。
氷も入っていないし、確かに美味しそう!と
言い返したことなどすぐに忘れてオレンジジュースを口にした。
オレンジの酸味に加えて何かがジャリっと・・・
そのカフェだけだったのかもしれないけれど、
オレンジジュースにも砂糖が加えてあったのだ。

あの気温と湿気には甘ったるさが必要なんだろうか。
お土産で買ってきたヴェトナムコーヒーの
アルミのフィルターは、おもしろがって
しばらくは使ってみたけれどいつの間にか使わなくなって
どこかにしまい込んでしまった。
美味しく入れられないのは気候が違うからかな、
なんてあの頃は思っていたけれど今ならしっくりくるんだろうか?

バイクのエンジン音と鼻の中が真っ黒になるほどの排気ガス。
夕方には必ずと言っていいほどスコールでずぶぬれになったり・・・。
なのになぜか、クチナシの香りのような記憶のイメージが
私の中に残っている。

フィルターはどこにしまったんだっけ?
押入れを探してみよう。
グラスに練乳をたっぷりいれて。




coffee

 

 

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