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ハ ン ド ピ ッ ク

コーヒー焙煎の手伝いをしていたことがあった。
手伝いといっても焼きあがったコーヒー豆を量って
袋詰めをするとか、配送先の住所を伝票に書き込んでいくという作業。
もちろんそれらの作業も大切だけれど
豆を焙煎する作業に直接かかわっているという実感はなかった。

手伝いをしながら機関車のような風貌の、
大きな焙煎機がうんうん唸るモーター音を聞いていた。
パチパチと豆がはぜる音も。焼きあがる豆の香りの変化も。
傍で無意識のうちにそんな音や匂いを感じていたのだろうけれど
焙煎のことは詳しいことを実は何も知らない。
それに私は他の仕事をしていたし、
焙煎修行をしたかったわけでもなかったので、
手伝い作業で十分だった。

それでも袋詰めや伝票書き以外で好きな作業があった。
ハンドピックという作業だ。
まず髪の毛が落ちないように頭に手ぬぐいなどを巻いて、
無臭の除菌ハンドソープできっちり手を洗って。
作業に入る前のその準備は
何かの儀式の様でぴしゃっと背筋が伸びる思いがしていた。

コーヒー豆は焙煎をする前の生豆の状態のときと
焙煎後にも欠点豆と呼ばれるものや異物を手で取り除く
ハンドピックという作業がある。
生豆のときには青臭くて、ひんやりしていて重さもある。
豆の種類によって大きさもかたちも匂いも違うけれど、
焙煎をすることによってあの香り高いコーヒー豆に
変わるのが不思議でたまらなかった。

分量をはかったコーヒー豆を大きなザルに開けて、
黙々とハンドピックを始める。
「黙々と」なんて書いたけど嘘だ。
集中はしているけれど、コーヒー先生と
あれこれ喋りながらハンドピックをしていた。
それはもやしのひげ取りや、さやいんげんのすじを取る
作業にもどこか似ていた。

スピーカーからはJ-WAVE。
目の前のコーヒー豆を見ながら手を動かし、
顔を知らないラジオの声の主の顔を想像したり
夕飯は何を作ろうか考えたり。
じっとしながらの作業だったけれど、
頭の中はどこまでもどこまでも自由だった。

寒くなってくるとあの小さな焙煎部屋を思い出すことがある。
焙煎したての豆はまだわずかにあたたかくて、
そのわずかな温みを手で感じながら仕上げの
ハンドピックを手伝っていた。
寒い日はその温かさに冬のひだまりみたいなものを感じていた。
何を喋っていたかは忘れてしまったけれど、
たぶん何気ない日常の小さなやりとりをしていた
ハンドピックの時間にも、同じようなものを感じていたんだと思う。

coffee

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