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旅 先 の 朝 ゴ ハ ン  バ イ ン ミ ー


20代最後の記念にと、ひとりで出かけたヴェトナム旅行。
当時はパックツアーをネットで検索するなどということも
まだ無かった頃だったから、旅行雑誌をパラパラめくり、
チケットとホテルがセットになっているものの中から
自分のお財布具合と現地で行動しやすい場所など
折り合いのつくページを折り曲げて旅行会社に電話をし…
たぶん旅の準備はそこから始まっていて、
飛行機が飛び立つずいぶん前から
すでに頭の中では何度も地図をなぞるように歩いていた。

私が選んだのは小さな旅行会社。
ツアーガイドなどはつくはずもなく、現地は終日自由行動。
空港からホテルまでの往復ももちろん自力。
心配なことが多い一方で、独りということがどこか気楽でもあった。
それにホテルの朝食が毎日ついている。
食いしん坊にはそれも魅力だった。

ホテルは小さくて白い建物。
外観とは反して部屋は比較的広く、
大きな花柄のカーテンを除けば天井も高くて気持ちがいい。
ただ不思議なのは廊下に面して部屋の窓があるという造り。
窓にかかったカーテンを開けたままにすると、
廊下を行き来する人と「こんにちは」と目が合ってしまうので
カーテンは閉じたままだし、カーテンをしたところで、扉の鍵をしたところで
ガラスを割られたら簡単に中へ侵入できるではないか。
余計な心配が頭に浮かんでも、考えることを止めるほかなかった。
旅は始まっているし、なんたって朝食付きなのだから。
その朝食にすらちょっと嫌な予感はしていなくもなかったけれど。

到着の翌朝、早速朝食を頼んでホテルのロビー兼ラウンジへ。
何人くらいが泊っていたのだろう?
私が遅かったんだろうか?ラウンジのテーブルには人がいない。
表の通りからはウンウンと唸るバイクのエンジン音が聞こえていた。

テーブルに運ばれてきた朝食は
薄くスライスされたトーストにイチゴジャムが添えられたもの。
薄い上に焼き立てではないようで、バターが溶けない。
しかもパンがパサパサしていて喉を通らない。
添えられた、これまた薄いコーヒーでなんとかそれを飲み下したが、
それと同時にへなへなと、旅の勢いで膨らんだ風船は萎んでしまった。
予感はあながち外れていなかった。
ひとり旅のはじまりはそんな風だった。

気を取り直して表へ出ると、
ホテルの前でおばさんがサンドイッチ ( バインミー ) の屋台を出していた。
カットしたバゲットにその場で具材を挟んでくれるもの。
具材は香菜をはじめとする野菜やレバーペースト。
なんといってもバゲットが美味しそう。
その昔はフランス領だったからバゲットはその名残りってことか。
「明日の朝は絶対これにしよう」
風船はまた簡単に膨らんでいった。

翌朝、意気揚々とおばさんの屋台へ向かった。
言葉が通じなくても笑顔で指をさしながら具材を選んだ。
ホテルに戻ってポットにお湯をいれたものを頼み、
自分の部屋でカーテンも開けて
昨日街で買ったお茶を淹れてバインミーとの朝食。
焼きたてのバゲットの香ばしさもレバーパテのなめらかさも
ワサワサと野性味あふれるパクチーの、むせるほど強い香りもたまらない。
「あぁヴェトナムに来たんだなぁ」
とやっと思えた朝だった。
街で口にする食べものは何を食べても美味しかったし、
コンデンスミルクで甘みをつけたコーヒーも
湿度の高い暑さの中でなぜかクセになる。

ホテルの廊下の窓から外を見降ろすと、
笠をかぶり、天秤棒を肩に背負った人が何かを運んでいる姿が見えた。
その脇ではパイプ椅子を表へ出して、
地元の人たちが朝食にフォーを食べている様子も見える。
「明日の朝食はフォーもいいな」
そう思いつつ、結局滞在中3日間の朝食はおばさんの屋台へ通った。
美味しいという理由の他に旅先であいさつ程度でも
顔見知りになったおばさんとのやりとりが嬉しかったからかもしれない。

おばさんがくるりと無造作にバインミーをくるんでくれたわら半紙。
ザラザラの手触りと、ほのかに手のひらに伝わる焼き立てバゲットの記憶。
気に入って持って帰って来たその紙は、
今でも実家の私の部屋のどこかにしまってある。


coffee



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