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テ プ ラ


久しぶりに届いたコーヒー豆。
包みを開けると見慣れた茶色のコーヒー袋が中から出てきた。
紙袋とコーヒーが混じった匂いも
「あ、知ってる知ってる」
といった馴染みがある。
私の鼻がコーヒーそのものの匂いを厳密に嗅ぎ分けているのではなく、
何といったら良いのか。他所のお宅の玄関を開けると
その家の暮らしの匂いがそこにあって、
家庭によってそれぞれ違うのとちょっと似ているような感覚。
コーヒー先生の豆の匂いだった。

何年ぶりに飲むコーヒーだったんだろう?
カフェ・オ・レ用に頼んだ豆は
さぞかし深炒りのどっしりとした強さがあるものが届くものとばかり思っていたら
中深炒りで、拍子抜けするくらい軽やかなものだった。
まずブラックで飲んでみると、何のひっかかりもなく下手をすると
印象さえも残らないほどあっさり。
それがいざ牛乳と合わせてみるとスッと牛乳と溶け合って、
ミルクコーヒーのようなやさしい味わいが体をあたたためてくれるようだった。
牛乳と合わせてはじめて本領発揮するようにその輪郭がくっきりと見えてくる。
そんなコーヒーだった。
なんだか褒めすぎの感があるけれど、
奇をてらうほどの派手さや驚きは無いし、むしろ懐かしささえあるのに
頭で想像していた味わいとはまるで違う方向から差し出されたその味は、
とても新鮮に感じられた。

袋には見慣れたスタンプが押され、
その裏にはこれもまた見慣れたシールが貼られていた。
「テプラ」
文字を打ち込んでシールが出てくるあれだ。
ジジジーっとシールが出てくる
あのもどかしいまでの速度にはずいぶんとイライラさせられたっけ。
パソコンを使えばもっと早いのにと思っていたけれど、
今、こうして見ると、いまだに変えずにいることに
なぜかホッとさせられていたりもする。

変わるなどとは夢にも思っていなかったことが大きく変わる中で、
かたちがなくなったとしても変らずにいることやものはちゃんとあるということ。
同じことを続けていきながらもより良く変化していくこと。
それが= ( イコール ) テプラというわけではないのだけれど、
テプラのシールを見て思ったこと。

いろんなことがあった一年の終わりに
ペタリと貼られた小さな赤いシールをみて、どういうわけか
危うげに揺れ動いていた気持ちが、静かに落ち着いた心地がした。



coffee




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