> 出展社一覧 > 出展社紹介:自然食通信社
自然食通信社
創業者(記述者)が小中学時代を過ごした1950年代、わが家には本棚というものも本も(地元新聞はあったような…)なかったのに、「もはや戦後ではない!」と時の総理大臣が言い放つ時代の変わり目だったのか、女子高校に進学。卒業の時の記念講演でお迎えしたのは、筑摩書房の創業に関わられた(だいぶ後で知った)臼井吉見さん。第一声の「あなたたちは学校でたくさんの知識を学んでこられた。お母さんたちにはそのような知識はないけれど、たくさんの知恵がある。お母さんよりおばあさんの方が知恵をたくさん持っている…」内容全体としては、戦争で両親家族を亡くした少年が、長く独学を続けながら、ついに国立美術館の学芸員に到達した話を通して、学校だけが学びの場かとの問いが潜んでいると感じはしたが、私の脳みそに刻印されたのは母や祖母たちの話。子守、紡績女工、養蚕農家と出稼ぎした母の溢れる愛情に育てられた私の中にむくむくと湧き上がってくる、日々の暮らしの足元から母たちのような無名の人々の生き方と向き合いたい気持ち。世の中、世界への視野を深めたい…と。
小社創業の1981年。“食べものと暮らしをあなたの手に”の言葉を添え、隔月発行の雑誌 『自然食通信』創刊。代表の横山豊子を編集責任者として、73号にて1996年12月休刊としたのちは、単行本中心にポツリポツリのペースながら出版を続けております。
http://www.amarans.net/
おすすめの本
『ちいさなくらしのたねレシピ』
早川ユミ 著/まりぼん 絵
高知の里山で子らを育て、通い続けるアジア山岳地域で出会った原初の手ざわりと息づかいがこころ震わせる手撚(よ)り、手織り、手染めの布を、服や、肌着、多彩な小物などに縫い上げる手しごとと、いのちの根源である種と土の滋味に魅入られ、米・豆、野菜、果樹を育て、自らも育てられて25年。
たねって、いろんなかたちをしている。
丸いたね、三角のたね、三日月のたね…、ちいさな
たねのいとなみが私たちのいのちを支えてくれている。
そんなちいさなこだわりが、生きるための大きな
根っこにつながるということを見つけたのです。
1本の苗から始まったちいさな果樹園、ちいさな畑、ちいさな台所、ちいさなしごと…これはみな私たちのご先祖たちが、からだから、からだへと継承しながら蓄積してきたくらし、しごとの智慧まくら。自然と語りあい、地に根ざした本物の「経済」と未来へ。全国つづ浦々、あなたのすぐそばで、
みなさんのポケットに種を♩
『ほどくよ どっこい ほころべ よいしょ 暗闇へ 梢を伸ばす くにづくり ~百姓は想う天と地の間にて』
2011年 3月28日
原発から発する霧と
自分の身を守るのに精一杯で
皆の喧騒とで
無分別になっている人もいます
互いの顔も見えず
霧の中
声も届きにくい中
深々と呼吸をして
不安と怖れとが
百姓は静かな定点となります
霧をいっそう深めています
私たちを測ってみてください
(本文より)
あれから12年。エネルギーを大量消費する都市の繁栄と日常生活は戻りましたが、高濃度の放射能とともに故郷に取り残された大地と、命の糧である食べ物を作ってきた農民たちの深い嘆きと絶望が癒されるのはいつの日のことでしょうか。
『料理大好き 小学生がフランスの台所で教わったこと』
ケイタ 著
言葉もこれから、という1歳になるかならない頃に、毎日、母親が包丁で野菜を切って料理しているのを見ながら、「やりたい!」「やらせて!」と身もだえし泣いて訴えていたケイタ。
小学5年生の夏には近くの鍛冶屋で自分用の包丁を作るほどの「料理大好きっ子」に育ったケイタは、思い立って、2週間も学校を休み、貯めていた小遣いとクラウドファンディングで不足分を足してフランスへ。
フランスでは、農業ボランティアで何カ月も家に滞在して親しくなった友人たちが待っていてくれた。彼らが育った地域の伝統料理や地元の食材がたっぷり使われた家庭料理の美味しさにも出会い、フランス料理の新たなレパートリーを次々増やして帰国。
フランスで教わった料理をもっとおいしくと毎日のように挑戦もしつつ、「大好きなこと」にまっしぐら! 6年生になったケイタの夏休み最大の関心事は、弟2人をしたがえての遊び場としての家づくり。
大人になっていくステップを、楽しさを武器に猛烈な集中力で全身ゆだね疾走する勢いに振り落とされまいと大人たちがあとを追った、ケイタ小5冬から小6秋までの成長。
新版『Feeling Birthフィーリングバース ~心と体で感じるお産~ 』
矢島床子(開業助産婦)みつい ひろみ(聞き手)
東京・国分寺市で助産院開業以来36年、矢島床子さんは5000人の赤ちゃん誕生に寄り添いながら、「いのちを産み出し、いのちを継(つな)いでいく」女性たちが「大好きな人と、いちばん心地良い場所で思いっきり解放されて赤ちゃんを産む」「自分のからだの奥から、あらたないのちが生まれてくることで、自分が産んでいることを感じる」快感とともに、出産を味わい尽くし満ちたりた表情で語る、いのちの出発点ともいえる原風景に後押しされながら続けてきた助産婦という仕事について語ります。
また、出産介助にとどまらないその活動は助産婦としては型破りと言われながら、「子どもを産み育てることを生涯かけて応援するため、自分も地域のなかに居る人になりたい」と、「ファミリーサロン」や「ウイメンズサロン」を開いて子育てをサポート。そうしたことぜんぶが繋がり合って地域における存在感を確かなものにしてきた矢島助産院の全貌が本書には詰まっています。
Copyright(c) anonima-studio