第4回 ピザ職人 伊藤耕太郎さん
己を持つ、人に流されないなんて、言うは易し。なかなかそれを貫き続けるというのは簡単ではないし、そしてそんな人、そうそういないだろうと思ってきた。が、意外なほど身近にいたことを思い出した。
本を読んでいる、ギターを弾いている、酒を飲んでいる。お店の前を通るときガラス越しに彼をちらりと覗き見ると、たいていこの3つのうちのどれかをしている。伊藤耕太郎さん、通称こうちゃんは、鎌倉の小町通りにあるピッツェリアを奥さんと営む、ピザ職人だ。ギターを弾いているのは、お店の仕込みを終えたとき。酒を飲んでいるのは、店仕舞いをしてから。けれども、本だけは時間が少しでもできると開いているように見受けられる。ごく稀に、お店に入った瞬間に「あぁ、どうも」という感じで、こちらを見てからぱたりと本を閉じる、なんてときもあった。奥さんとはその間、話をしたりすることもあるのだろうか……。
ある夜、カウンターに腰掛け、ピザ生地に具材をのせているこうちゃんの後ろ姿に向かって訊いてみた。「厨房内に、こうちゃんの本棚があったりするの?」「ありますよ」とこうちゃん。たいていの人は、このあと「この奥の***に」とか「この扉の中が」とか、その先を訊かずとも話してくれそうなものだが、こうちゃんの場合はそうはいかない。男気というと、あまりにざっくりしているが、とにかく余計なことは話さない。いつもストレートに一言で完結するのがこうちゃん流、のように勝手ながら感じていた。だから特別気にすることもなく、こちら側からはまったく見えない本棚についてさらに訊ねてみる。「どこにあるの?」
「この上ですよ」と、自分の作業台の後ろ手にあたる上のほうの棚を指差した。なるほど、どうりでこちらからは見えないわけだ。そこまで聞いたら、存在さえも確認できない本棚のことが妙に気になりだしてしまった。聞けば、仕事場のすぐそこに本棚を設えるほどの本好きなのに、ほとんど所有していないという。信頼する人や趣味が近い人などからおすすめしてもらったものを読むのがほとんど。それでよほど気に入ったら、買ってみようか、という気になるのだそうだ。気になったら、まず買っておこうという私とは真逆だ。
厨房内にあるという小さな本棚にあるものと、気に入っているもの数冊を自宅から持参してもらう約束をし、数日後、あらためて取材をお願いした。結果から先に言うと、揺るぐことなく己を持つ人という私のイメージは当たっていた。言っておくけれど、頑固とは違う。何をするにも筋が通っているというとわかりやすいだろうか。例え、ものすごく酔っ払っていたとしても、なんだかそれも筋が通っているようなそんな気にさせてしまう、得な人柄なのがよ〜くわかったのだ。
取材から数日経ち、そろそろ原稿を書き始めねばと思い、取材メモを読み返し、思わず吹き出してしまった。自分がメモしたことなのに、だ。こうちゃんが向き合っている本のほとんどは、1920年代に関するもの。笑ってしまったのは、『チャーチル・スタイル』という貴族出身で、第二次世界大戦中、イギリスの首相でカントリー・ジェントルマンだったチャーチルの、タバコ、酒、家、趣味などを年代ごとに追った本の話を取材した下りを読んでいたとき。
「アマゾンで本、買ったよ」と、こうちゃん。「何の本?」と奥さんの有子さん。「チャーチルの本」とこうちゃん。これには有子さんも一瞬状況がつかみきれず、「チャーチル!?」と、思わず大声で訊き返してしまったそう。いくら20年代好きとはいえ、チャーチルのライフスタイル本まで読もうとするとは!?
こうちゃんが1920年代にのめり込んだのは音楽がきっかけ。第一次世界大戦が終結し、アメリカからジャズがやってきた。人々がカルチャーに飢えていたこともあり、音楽や映画が一番盛り上がった時代なんじゃないかと、こうちゃんは20年代を考察している。さらにカルチャーだけでは飽き足らず、20年代という時代背景にも興味を持つ。シュールレアリズムといった思想面にも共感することが多く、気付いたら20年代という時代をつくっていった人、すべてが好きだった。こうちゃんの愛読書のひとつ、『光芒の1920年代』は、都市、映画、演劇、建築など20年代をさまざまな角度から切り取ったもの。どこから読んでもおもしろいのだとか。20年代に関しての著書が多い、海野 弘さんの本もよく手にするもののひとつだ。こうして、なおも20年代を読み漁り続けている。
こんなにも本にまみれているのだから、さぞかし幼い頃から本好きだったんだろう、と訊いてみたら、意外にも本をおもしろいと思えたのは高校生以降のこと。それまではお母さんから「本を読みなさい!」と言われる、ごく普通の男子だった。「おふくろが本を読め、読めって、うるさく言うので仕方なく、漱石とかから読み始めたんですよ」と、こうちゃん。漱石からスタートってところが高校生っぽく、初々しい。そんなこうちゃんが本っていいものだと、深く入っていくようになったのは長沢 節さんの著書を読みだしてから。本を読むことを勧めていたこうちゃんのお母様は、洋裁が得意なこともあり、ファッションに憧れ、セツ・モード・セミナーに通っていた。だから当たり前だが、長沢 節氏の著書は自宅の本棚にたくさんあったのだ。
「節さんの本を読みだしたのは大学時代からです。思想家であり、文筆家でもあった節さんは、常に哲学的で“自分の良心に忠実であれ”と考え方もシンプル。実際に物を極力持たない生活も実践していたんです。自由とは何かを考え続けた人、ですね。自由って簡単そうに見えるけど、それを貫くのって大変なんですよ」
長沢 節さんの考え方が好きだという、こうちゃん。なおも自由を追求し続けているのだろうか。“自由は大変だ”という言葉にちょっとした思いと重みを感じた。大切な本だとだけ言い、差し出された長沢さんの本をめくっていると、若き日のこうちゃんを形成した欠片のひとつに長沢さんの姿を見たような気がした。その影響は今も大きくあるのだと、何度も読み返され、めくれ上がったページの端を見ながら確信した。
言葉自体が好き。だから小説も詩も好き。活字中毒的な部分がなきにしもあらず、だと自らを分析する、こうちゃん。でも、それはこうして気ままに読んでいるからこそ。これが仕事だったらこんなふうに本とは付き合えない。俺は、体は超体育系だけれど、中身は文科系っていうバランスで生きているから。そう言うと、背中を向けて黙々と仕込みを始めてしまった。シャイなのだ。すると、横でにこにことご主人の取材を聞いていた有子さんがぽつりと「こうちゃんは、よく辞書も読むよね。単独で辞書を読むときもあるし、本を読んでいてわからないことは辞書を引きながら読んでる。私はわからないところは、読み飛ばす、笑」なるほど! 二人のバランスの良さはここにあったのか。いや、二人というか、こうちゃんのバランスの良さは、有子さんにあったのだ。体育会系だけど、文科系。突き詰めていく自分に対し、あっけらかんとそれを支えつつ、さりげなく趣味嗜好を同じく共有する奥さん。いいバランスだ。いろいろこうちゃんの頭の中にある話を聞いてきたけれど、最後の有子さんのつぶやきで、すべてが収まった。本棚からめぐる伊藤耕太郎という人の頭の中と精神、己を貫き通すための秘訣は、奥さん。一人では到底できないことだって、二人ならきっとできる。きっと有子さんも同じく、こうちゃんのある部分によってバランスをとっているのだろう。二人はこのことを知ってか、知らぬか、今日も互いの名を呼び合い、仕込みに、遊びに、精を出す。
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1972年、東京生まれ、横浜育ち。大学時代から通い始めた隣り町ともいえる鎌倉で、パン職人を経た後、2012年に奥さまの有子さんとともに、ピッツェリアとクラフトビールのお店「ブルールーム」をオープン。音楽と酒と1920年代と奥さんをこよなく愛する男気な人。紹介した本以外にもフィッツジェラルドやヘミングウェイをよく読む。と聞くと、やはり男っぽいと思うだろうが、実はこの著者に共通しているのは、男らしいではなく、男らしいに憧れる男気な話、なんだとか。そういうところが好き、だという。ヘミングウェイは食べることが好きだったのか、よく食べ物に関する話が出てくるが、反対にフィッツジェラルドはまったくと言っていいほど出てこない。そんな対比もまたおもしろいのだそうだ。
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