第7回 帽子作家・イラストレーター スソアキコさん
ずいぶんと昔からの知り合いほど、知っているようで知らないことも多いんだなぁ、と気づかされた。知り合ったのはかれこれ20年ほど前のこと。かつて赤坂にあった洋書店での何かの展示がきっかけだったように記憶している。彼女はそこに来ていたお客さんで、互いに洋書店の店主と友人だったことから自然と知り合いになった。当時彼女は「撮りっきりコニカ」という使い捨てカメラのキャラクターのイラストを描いたりしていた。イラストそのものはもちろん、その頃からずっと心のどこかで、どうしてこんなにおもしろいキャラなのだろうか、人も、作るものも、すべてにおいて、ある一定の何かに焦点を当てたかのような、考え抜かれたユーモアが潜んでいるように思っていた。でもそれは、決して狙ったものではなく、奇を衒ったものでもない。決定的な根拠や歴史的背景に基づいた何かがあるような、そんな気がしていた。
気づきのきっかけとなったのは『スソアキコのひとり古墳部』という本を、ある雑誌のコーナーにて紹介したことからだった。著者は、帽子作家であり、イラストレーターでもあり、古墳研究も独自にしているというスソアキコさん。この本を隅々まで熟読し、すっかりはまってしまった。といっても古墳にではなく、古墳と日本の文化人類学的なことへの造詣の深さと愛をもったスソさんの研究と、そのもののほじくり方に、だ。古墳に興味があるという話は各方面から聞いていたし、本人ともそれについて語り合ったことがあったが、著書を拝読し、その先に『古事記』や『日本書紀』へと注がれていた目線があったことも知ってしまったのだ。まさか友人内で、しかも昔から知っていたはずのスソさんと『古事記』話ができるとは! 実は昔から『古事記』やそれにまつわる書物を読むことが好きだった私は興奮を抑えきれず、久しぶりにスソさんとランチすることになった日も、大国主命がどうの、海彦と山彦がどうの、あの神様とあの神様の子供があの神様だよね、と、互いの近況を話す間もなく、ひたすら古墳と古事記話で盛り上がり、話は一向に尽きることはなかった。気づいたときにはお店のランチタイムがすっかり終わり、最後のお客となっていた我々は仕方なく、錘以上に重くなりきってしまっていた腰をあげた。そしてまだまだ話し足りないという私の気持ちを察してか「次は、私がこういうことにはまるきっかけになった、諸星大二郎について話すよ」とスソさんは言い、ふにゃりとやわらかな笑顔を残して東京へと帰っていった。
あれから半年くらい経っただろうか。そんなわりと長い流れの後、今回、スソさんに本棚の取材依頼をさせていただいた。再び、あの楽しい話をうかがえるとあって、前の晩から、訊きたいことをあれやこれやと考えてはメモし、自分の本棚から何かスソさんとの話で盛り上がりそうなものを持っていくかと考えてみたりもした。が、すべてを取りはらい、頭を真っさらにして会おう。でないと、せっかくのスソさんの話がもったいない。脳みそを空にして、臨むことにした。
スソさんの本棚は仕事部屋の横、廊下、と並行したかたちで作られたものだった。雑誌は、もう一度読み返したいと思うものだけを残してあるという。『ku:nel』『考える人』が何冊かまとまってあるほか、邪馬台国を特集した71年の『太陽』もあった。その他『ケルトの歴史』『ケルト人』『地獄絵を旅する』といったものも。工作社の雑誌『室内』は初めて目にする雑誌。家を片付け中の今の私の胸にぐっと刺さる。ちらっと見せてもらっただけで読んでみたいものがずらりと並んでいて、ざわざわする気持ちと訊きたいことが、空にしてきたはずの頭の中にドドーッと押し寄せ、早くも胸中穏やかではなくなってしまった。はやる気持ちと焦りが絡まりあい、質問も、どもりがち。
自分が3人くらいいて一斉にスソさんに質問したい、そんな何の役にも立たない妄想を繰り広げながら、金魚のように口をパクパク、アップアップしている私をよそに、「ここの本棚にあるものはだいたい自分のもの、のはず、笑。私、自分の本だと思って人に貸したり、古本屋に売っちゃったものとかもあって記憶に責任持てなくて。脳みその中にそういうことを入れてないんだと思う」と、またあのふにゃりとした笑顔とともに、ぼそりと言い放った。というのも、実はこの本棚にあったはずの、今となっては手に入らないような古本を誰かに貸してしまったことがあるらしく、借りた本人から返して欲しいと言われたときにはすでに誰に貸したのかさえもわからなくなっていたという冷や汗の出る経験があったのだそうだ。もちろん悪いと思い、反省もしたけれど、そういうことに関して、どうもゆるい自分がいると照れ笑い。いい人だ、スソさん。このふにゃりとした笑顔を見たら、きっとみんな許します!と、勝手ながら思ってしまった。スソさんのふとした一言のおかげで、さっきまでの私の妙な焦りは一旦おさまった。
「あとはね、リビングに2つあって、旦那と共有しているんだけど、だいたい私が旦那の棚を侵略中」と言って、低い方の本棚を指差した。中にはASKULのカタログとともにご主人のギター教本なども収まっている。ここにあるものは最近購入したばかりのもので、すぐ読む本を入れておく棚だそう。そう聞いた矢先に古めかしい『世界少年少女文学全集』を見つけてしまい、?と思っていると、「これねー」と、待ってましたとばかりにスソさんの解説が始まった。世界文学全集はご存知の方も多いと思うが、さまざまな出版社から昭和30〜50年代を中心に流行り、出版されていたもので、グリム童話やアンデルセン、伝記などの名作が詰まった全集。スソさんがそのなかで選んだ一冊は、創元社の「古事記」だった。監修は、埴輪好きとしても知られる川端康成ってところに勝手ながら、偶然ではない、必然というか、つながりを感じずにはいられない。ちなみに私もこの手の全集が好きで何冊か持っているが、講談社のもので監修は志賀直哉らによるものだ。人は知らぬ間に、自らの興味の欠片を細い糸を手繰り寄せるように集めていくことで、それがいつしか束になり、偶然が必然へと転がっていく瞬間を作り出しているのかもしれない。スソさんの選ぶ本を見ながら、今まで本棚を見せてくださった人たちの本をも回想しつつ、そんなことを思った。
ところでスソさんの大切な本ということで何冊か選んでいただいたが、実は相当迷いに迷った、という。理由はどれも好きすぎるから。なので「もっと増やしていいですよ」と、言うと目を逆三日月のようにしてにんまり笑い、「そぉ?」と、言って奥から枕大はありそうな巨大な辞書のようなものや、「きっと赤澤さんも好きだよ」と言い、シャーマンと動物の本などを追加してくれた。ちなみに枕級のサイズの書名は『日本の古墳』。全国に14万個はあるだろうと言われている古墳のうちの125箇所を紹介したものだ。古墳全景図とともにその古墳についての詳細が記されている。にやにやしながらスソさんが、ページをめくる。これはアイドルの写真集ではないんだよね!? と確認したくなるほどにやにやしている。そんなスソさんが、どこか違う星の人のように見えるのは私だけだろうか。
古墳、ケルト人、シャーマンなどの本ばかりかと思いきや、ディック・ブルーナの『ゆきのひのうさこちゃん』もお気に入り本に並んでいた。これは、初めて親に買ってもらったもの、とスソさん。けれども、ずいぶんと新しい気がするなと思って手にとると、「初めて買ってもらってうれしくて、幼稚園に持って行って友達に自慢したら、白い部分が多くてつまらないと不評で……。ならば、とその白い部分に色をぬり、ぬりえにした結果、母にものすごく怒られてね。その本は、今はもうどこにいったかもわからなくなってしまったんだけど、京子(お母さんの名前)、ごめんよ、と思い、最近買い直したの」なるほど。やっぱり、幼い頃からスソさんはすごい。子供だったとはいえ、ディック・ブルーナさんの絵に自分の色を重ね塗りしちゃうんだから。ものを作る人はこういう頃から何かしら違った動きをするんだなぁ。だまってページを開き、お座りしてうさこちゃんをなでなでしたりはしていなかったんだ。スソさんの本に向かう姿勢はやっぱりおもしろすぎる。きっとスソさんは改めて買い直した大切なもの、ということでの一冊だったと思うが、まったく違ったところに反応してしまった。
もうひとつ、毛色の違ったものとして興味深かったのが、『天才バカボン⑤』。なぜ一冊だけ? しかも5巻? と、不思議に思い、訊いてみると、これは私の辞書のようなもの、と大真面目な顔でスソさん。
「うちは、すごく厳しい家でね、テレビのお笑い禁止、ごはんのときに笑っちゃいけない、とかいろいろきまりがあった子ども時代だったの。これは夏休みにいとこが遊びに来た時、たまたま忘れていった一冊で、以来、私の辞書のような存在になっていき、隅から隅まで何度も親に隠れて読み返したの。バカボンが好きすぎて真剣に早稲田大学に行きたいと思っていたくらい。漫画のほうがアニメよりもシュールなのがいい」
なんと、今のおもしろいスソさんを形成していた元は“バカボン”だったのーーー! そして、今になって知ったけれど、バカボンのパパが通っていたのは“バカだ大学”じゃなくて本当は“早稲田”だったのか!? スソさんのストライクゾーンの広さにとまどいつつ、重箱の隅をつつくような細かいことも気になった一冊だった。スソさんの興味の幅は果てしなく広がりを見せ、イラストレーターになるきっかけとなった昭和55年刊のレアな一冊、原作は糸井重里、作画は湯村輝彦の『情熱のペンギンごはん(なんと湯村さんのサイン入り。うらやましい!)も見せてくださった。もちろんランチの日に話していた諸星大二郎の『暗黒神話』もお気に入り本として並べられていた。この本こそ、スソさんが古代にはまるきっかけというか、深い入り口を開いてしまったもの。多くの人に読んで欲しいと、静かに販促活動を行っていて、自分で購入しては人にあげたり、貸したりを繰り返し、もう同じものを10冊以上買っているという。やはりスソさんの集中度というか、のめり込み度は半端ない。だいたいは広く浅く。もしくは一点集中型で深くというものだが、スソさんの場合は広くて深い。それは例えば、邪馬台国がどこにあったのか、卑弥呼はいたのか、といったような尽きることのないことへの、深くて広すぎる穴を掘り続けているかのようだった。そのうちのひとつが“古墳”なんだろうと思う。考えてみれば、私は土偶と埴輪の違いもきちんと理解していなかったが、このたびスソさんに詳細を聞くことで、少しだけ私も古代への扉を開けそうになった。
古墳以外に今興味のあることは? と訊ねると、実はケルト人や龍などへの興味もまだ捨てきれないけれど、日本のことだけでもこんなに調べることや足で見て歩くことがたくさんあるのに、外国のことまで手がまわらない、と真剣なお応え。自分から質問しておいて何だけれど、真面目に応えるスソさんの表情と「手がまわらない」という研究者的な発言に、思わず笑ってしまった。最後に帽子のことをうかがうと、リビングに飾ってあったひょろひょろと何本もの触覚のようなものが出た帽子を取り出し、教えてくれた。「これは、人間がホモ・サピエンス・サピエンスになる前、つまり人になる前に地球上に生物がいたとしたら、こんなふうだったかなと想像して作った帽子。というか、これは地上に生息していた昆虫的なもの。もうひとつ海に生息していた人という仮定で作った帽子もあったし、頭の熱で卵を育てている帽子もあったのよ。展覧会のタイトルはだから「Feeler−フィーラー」。触覚って意味なんだけど、そんなことを考えていた時期もあったなー」
最後の最後でこの話が出てきて、私の頭は完全にオーバーヒート。スソさんの頭の中はいったいどうなっているんだろうか。まさにこの帽子のように、興味の先へとあちこちに見えないアンテナをひょろひょろと伸ばし、あの逆さ三日月のようににんまりした笑顔で、おもしろいことをキャッチし続けているんだろうか。しかも、あちこちに行っているようで、実はこの帽子も古代、いやそれよりもっと前にちゃんとつながっていたのだ。スソさんこそ、まさにリアル天才バカボン!? なのかもしれない……。
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スソ アキコ
イラストレーター・帽子作家
石川県生まれ。東京在住。都内に小さなアトリエを構え、ストーリーのある帽子を制作。ギャリーなどで展示・販売をしている。そもそもあった興味と趣味から、仕事の合間に『ひとり古墳部』という名のウェブサイト連載をし2014年、コミックエッセイから単行本化! 現在も全国各地にて古墳展や古墳ツアーを開催。引っ張りだこの日々が続いている。
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