第8回 エディトリアル・デザイナー 茂木隆行さん
話を聞いている間、ゆったりとした静かな川の流れの中にいるような不思議な気持ちがずっと続いていた。友人である彼とは、もうずいぶんと長いこと仕事仲間としても共に時間を共有してきたが、こんな気持ちになったことはあっただろうか? 取材からの帰り道、今まで自分が知っている彼を何度も、さまざまな場面とともに思い返してみた。が、いつも思い浮かぶのは、次やるべきことや、自らの進行具合を伝えているテキパキとした姿。でも、考えてみると、ノートを開いたり、参考となる本を受け渡す姿や手の動きは、いつでもゆっくりと静かで、エレガントだったことを思い出した。
茂木隆行さん、エディトリアル・デザイナー。彼と共に拵えてきた本は、いったい何冊になるだろう? 私のハワイの本のほとんどをデザインしてくれたのも茂木さんだ。友人としても共に旅したり、ごはんを食べに行ったりと密に過ごすことが多いこともあり、なんとなく好みは知っているつもりでいた。でも、そのつもりは、まさにつもりだったことを、本棚がある部屋に入った瞬間に思い知らされた。
目に飛び込んできた本の背には、私が以前から好きで好きでたまらない、憧れ続けていた人たちの名がずらりと並んでいた。『荒井由実 エッセイ&写真集 十四番目の月』、『All About Niagara』大瀧詠一……。偶然、趣味のいい古本屋さんに出くわしたような気になり、頭の中から仕事の二文字はすぐにスコンと吹き飛んだ。と、同時に本棚の前にぺたんと座り込み、棚から目を離すことなく、茂木さんに背を向けたまま質問攻めにした。「これはいつ頃からのもの?」「最近何か買い足した?」「並んでいる順に理由はある?」矢継ぎ早に質問する私の逸る気持ちをまったく無視するかのように、ゆっくりとひとつひとつ丁寧に応える茂木さん。返事を待つ間、本棚全体の輪郭である棚に目がいった。本のサイズにちょうどいい浅めの奥行き。フレームはまったく飾り気のない、事務的でスマートなものだった。なのに、どことなく味わいがあるのは、収まっている本のおかげだろうか? もうひとつ、奥には見覚えのあるスチールの棚。これは奥行きがあるからか、本を出し入れするというよりは、詰め込んでいる様子。いつでも察しがいい茂木さんは、私の微妙な動きに気づいたのか、質問せずとも本棚のことも教えてくれた。
「こっちはさ、東急ハンズで買ったもの。本を置くのに奥行きもぴったり。もう30年くらい前に買ったんだけど、全然、壊れない。奥のは無印の棚なんだけど、本棚用じゃないから奥行きが深いの。でも、仕事した本をまとめておくにはちょうどいいんだよ。そんなに毎回出し入れするわけじゃないし、ストック用だから。それにしても本棚って循環しないね。毎年見直しする人もいるんだろうけど、俺の場合、入れ替えたのなんて引っ越ししたときくらいだよ。あとは新しく買い足したものをさらに入れるくらい。だからなかなか減らない、増えるばかりだね〜」
茂木さんは人に洋服や器などを薦めるのがとっても得意だ。いつも「これは〜?」と差し出されるものがなんか自分に似合うように思えて、ついつい「いいね〜」と言って買ってしまう。我が家には茂木さんの薦めで買ったものが、外国の蚤の市で見つけたスプーンからデパートの洋服売り場で見繕ってもらったコート、作家さんの展示会の器まで、挙げたらキリがないくらいある。そんな茂木さんだけれど、古本やCDやレコード、甘いものは誰に薦めるでもなく、ガシガシ前のめりに買う。しかも、おもしろいくらいに決断も早いのだ。曰く「俺が行くところは本屋かレコ屋(中古レコード屋さん)かデパ地下くらい。それくらいは好きに買ってもいいかなと思って」とのこと。いやいやそれ以外のものも十分好きに買っていいお年頃と思いますが。まぁでも、そういう茂木さんだからこその本棚の有り様に至極納得してしまった。あぁ、これ読んでみたかった! というものあり、懐かしいーまだ持っていたの? というものあり、何これ!?というものあり、あらゆる角度からジロジロと見て回ったとしても、いい意味で隙を見せない、私にとって不動位置にある憧れの本棚を所有していた。
そんな茂木さんが久しぶりに自身の本棚を眺めつつ、たくさんあるなかでも特に気に入っていると選んでくれた本は、高校時代、学校の図書室で見つけ、その後自分で購入するほど気に入ったという、ちょっとどぎつくて不思議な雰囲気の、1900年代のはじめから後半までのシュールレアリズムの作家13人を集めた画集シリーズの一冊『クロヴィス・トルイユの画集』。それから1975年の『SAISON de non-noパリ大地図帳』。これは古本ではなくて、発売した当時、お姉さんに頼んで買ってきてもらったセルフヴィンテージ本。つまり、茂木さんが中学に入ったばかりの頃に読んでいたものだった。中学のときの私はパリを知っていただろうか? 今田美奈子先生のお菓子の本を読んでいたのは小学校のときだから、 パリくらいは知っていたかも? そもそも茂木さんがこんなにおしゃまな雑誌を買おうと思ったのは、小学校の時、同級生だった友人がお父さんの仕事の都合でパリに引っ越しをすることになったことから。新聞広告でこの本を見つけ、友人が移り住むパリってどんなところだろう?と思い、購入したのだそう。なんともかわいらしく微笑ましい。けれども微笑ましいなんて言っている場合じゃないくらい、雑誌の中身は驚きの充実度だった。今でもパリにあるポワラーヌやフロールといった名店はもちろん、パリの朝ごはんのスタイル、街角スナップに写る人々のおしゃれ感など、どれもこれも新鮮な輝きある内容に、恥ずかしながら初めて外国の雑誌を目にしたときのような興奮ぶりを見せてしまった。
「りんごのタルトの写真を見て、これはどうなっているんだろうって当時は真剣に思ってさ、よーくよーく見返していたよ。あと、この手描きの地図も味があるよね。けれど見やすい。制作していたスタッフの熱意を感じるね。当時は外国からの情報がすべて新鮮だったっていうのもあるんだろうけど」と、1ページ、1ページ、大事にページをめくっては、当時どんなふうにこの雑誌を見ていたのかを話す茂木さんを見ていたら、なんだか中学生にもどった茂木さんが目の前で話してくれているかのような不思議な気持ちになった。もっとずっと先の世界では「昔は雑誌ってものがあってね、みんなそれで外国のことや季節の料理のレシピや新しい洋服のこと、手芸のことなどを知るようになったんだよ」なんていう時代がきてしまったりするのだろうか。読み応えのある雑誌とは……。今もこの先のことも含め、すごく考えさせられる一冊を見せてもらった。
茂木さんがデザイナーとして活躍しているのは、エディトリアルの世界のなかでも特に料理に関する本が多い。料理本の奥付を見ると、結構な確率で彼の名を目にする。そんな彼が学生時代から好きだったというハギワラトシコさんの『ワンダフルパーティーズ』や、フリーのデザイナーになったばかりの頃に手にした長尾智子さんの『New Standard Dish』などは、私も大好きな名著だ。ハギワラさんのこの本は、あまりに好きすぎて、見つけては購入して友人たちにプレゼントしているのだそう。私もずいぶん昔に、ちゃっかりおねだりしてプレゼントしていただきました。あとは、小川国夫さん、須賀敦子さん、池澤夏樹さん、レベッカ・ブラウンとお気に入りの本が挙げられた。北九州市の広報誌の巻頭におさめられた大谷道子さんのエッセイなども。静かに一冊ずつ頭の中の深いところからそおっと思い出を引き出すように言葉を選びながら、いつの時代に読んでいた本なのか、なぜ、これらを選んだのか、何冊も著書がある作家さんに対しては、なかでもこの一冊が好きな理由も添え、小学校から現代に至るまで生い立ちを辿るように、話してくれた。川の流れの中にいるかのような静かな時間—全体にわたってそんな時間だったけれど、特にここはシューッと静かに物語の幕が閉じるような、ぱたんと最後本の裏表紙を閉じたかのような、そんな話の締めくくり方だった。何度巻き戻してももう二度と音が出なくなってしまったテープレコーダーのような、もしくはレコード針がレコードの上でパチパチと小さな音だけ立てているかのような、無の世界。でも色をつけるとしたら、乳白色のあたたかな白。冷たくはない。「はい、これでおしまい」と言われたけれど、あたたかな光がずーっとあり続けるような雰囲気にのまれ、なんだか泣きそうになっていた。こんな一面があったなんてね。茂木さんが友人としても、仕事仲間としても見せる、あたたかな一面はこんな空気とつながっていたんだなぁ。
ところで、今回私が茂木さんの本棚を拝見して新たに読んでみたいと思ったのは、精神科医で、作家のなだいなださんの『おしゃべりフランス料理考』、『ぼくだけのパリ』。それから『天国に一番近い島』で知られる森村桂さんの『お菓子とわたし』。後者は茂木さんが中学のときに読んでいたもの。なんておませな茂木さん……。そうそう、うちのダンナの叔父の著書『鎌倉の西洋館』も本棚に収めてくださっていて、ありがとうございました。それにしても本棚って怖いですね。何か占いを見るよりもその人がよ〜くわかる。人によっては誰にも見せない秘密の本棚とかあったりして。あ! 茂木さんも、もしかしたらあるのでは!? きっとまだまだおもしろいものを持っていそうだもの。
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エディトリアル・デザイナー
料理や手芸といった、生活にまつわる実用書のデザインを中心に単行本や雑誌などをデザイン。甘い物と美しいもの、音楽をこよなく愛するデザイナー。
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