「僕の料理写真は、あくまでも写真的であろうとしているもの。例えば、湯気がたっているようなツヤ感のある肉じゃがの広告写真を見たときに普通人は“あ、おいしそう”とか“肉じゃが食べたい”と思うでしょう? でも僕の料理写真は“あ、肉じゃがの写真”と思うような撮り方なんですよ。写真集が映像感覚に近いのは、そこが出ているから。その感覚を料理本にも取り入れたかったの。だから赤ちゃんが言うように、健全なおいしさだけや料理そのものが持っている肌感覚が感じられるものじゃなかったのかもね。この本は料理本なんだけど、写真集的感覚で料理が出ているもの。僕にとってサプリメントみたいな本だよ」
そう言って手渡されたのはAA GILLの『THE IVY - The Reataurant and its Recipes』。ひとつのレストランの中を写したその本の写真は、現場の空気も人の熱気も、料理も、外観さえも同じテンションが流れているように見えた。ロードムービーを見ているようなスピード感。料理は写っているけれど、おいしそうかどうかはパッと見では感じられなかった。まだフランだった時代に買って、珍しく何度もページをめくったという一冊。長嶺さんの写真を見て感じていた、料理を料理として捉えていない、その場にあるものすべてを俯瞰から見ているような画角の収まり方の元はこのサプリメント本からだったのか。納得。そういえば90年代はちょうど、料理が家事としてだけにカテゴライズされなくなってきて、パーソナル感が出てきた時期だったように思う。長嶺さんの撮る料理写真の感覚が少しだけわかった気がした。
北海道“アリス・ファーム”の宇土巻子さんによる『シェーカークッキング』は、長嶺さんが撮影し、00年に柴田書店から発売された、スピード感とは真逆の本。その場にあるものすべてが止まっているか、あるいは誰にも聞こえないよう静かに息をしているような、静謐な時間と空気がどのページからも感じられる本だった。けれども料理写真の趣きは、長嶺さんのいう映像感覚が伝わる感じがした。
『THE IVY - The Reataurant and its Recipes』が音楽とともに流れるようにその場の空気を伝えるロードムービー的なものだとしたら、『シェーカークッキング』は無声映画のような、そんな感じといったらわかってもらえるだろうか?
重なった本を一冊ずつ開きながら、話していくなかで一番気になったのは『AFTERNOON TEA’S MENU BOOK 1981-1988 』。撮影は長嶺さんでスタイリングはハギワラトシコさん(前々回登場)。2000年代だったと思うが、私も長嶺さんとアフタヌーンティーのメニューブックをご一緒させていただいたことがあった。何年もアフタヌーンティーは、こうして自社のレシピブックを出し続けているのだが、なんとこれは発売後、即発売禁止になった本だそう。理由は、アフタヌーンティーのイメージに合わなかったからだったと記憶しているが、今となってはあまり覚えていない、と長嶺さん。ページをめくると、レシピはすべて英語表記。その注釈には“あなたがこれらのレシピを見た時に、いくつかは作ることができないと感じるかもしれません”と記されていた。思わず笑ってしまったが、同時に「すごい!」と声が出た。ガラスのテーブルの上にのった料理の下に折り目正しく揃えられた靴があったり、料理がまるで宙に浮いているかのように見えるものもあった。一体どうやって撮影したんだろうか? 見るものをワクワクさせ、引き込むパワーが本全体にみなぎっていた。
「これは1987年に発売だったから、文化出版局から現在のような料理本が多く出はじめる以前のもの。撮影時はみんなであぁでもない、こうでもないってね、楽しかったよ。そういうことができた時代だった。多くの人の目には触れなかったけどね、笑」
長嶺輝明
(ながみね・てるあき)
写真家。80年代から90年代の料理本全盛期に、その時代とスタイルを構築したうちのひとり。60歳を超えた今も自身の作品を撮りつつ、料理、旅などさまざまなジャンルで活躍し続けている。有元葉子さん、上野万梨子さん、パトリスジュリアンさんなど多くの著名な料理家の本の写真を手がける。著書に『長嶺輝明の「かわいい」写真術 誰も教えてくれなかった「被写体探し」と「空気感」のつかみ方!!』が、共著に『写真家になる! 写真家の現場に触れ実戦で一歩踏み出す写真術』などがある。
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