第18回 ライター・編集者 富山英輔さん
「連載読んだよ。僕の本棚も取材してよ」
先輩編集者である富山さんに取材の依頼をしたのは、そんな連絡をもらってから半年ほど経った頃だっただろうか。電話をすると、いつもと変わらず、静かな調子。けれど、少しだけウキウキとした明るさを秘めた声で「お! 忘れられてたのかと思ったよ。ありがとう」と、快諾してくれた。2年以上にわたるこの連載で、自ら「取材して」と言ってくれた人は初めてだったので、そんなふうに思ってもらえたことが何よりうれしかった。改めて考えてみたら、一緒に雑誌を作ってきた時期もあったのに、互いの好きな本のことについてじっくり話したことがなかったことにも気付いた。一体どんな本が収まっているんだろうか。どんどんワクワクしてきた。
富山英輔さん、ライター・編集者。大学卒業後、海関係の雑誌や書籍を中心に制作する出版社で勤務、フリーランスになった後、自らが代表を務める編集・制作プロダクション「ETクリエーション」を設立。1998年、湘南地区に暮らすさまざまな人たちのライフスタイルを紹介する雑誌『湘南スタイルmagazine』(エイ出版社)の創刊とともに編集長に。現在まで、雑誌はもとより、そこで暮らす人々のライフスタイルを牽引してきたひとりだ。私が富山さんを先輩として親しむようになったのは、『湘南スタイル』をお手伝いさせてもらったことから。創刊からわりとすぐのことだった。当時私は、鎌倉の小町でカフェを営む友人たちと、鎌倉での何気ない日々をまとめた『Summer Store』という名のミニコミ誌を作っていた。そんななかでの『湘南スタイル』創刊は、個人的にセンセーショナルだったが、反面、これほど狭い地域にスポットを当てた雑誌が、成立するものだろうかとも思っていた。また、こちらが自主制作で地道に鎌倉での暮らしを表現しているのに対し、出版社が大きく打ち出す湘南の暮らしの余裕さに、ちょっと嫉妬してもいた。「私たちらしくやればいい! こんな雑誌に負けるもんか」と、子犬がおっとりとした大きな犬に、小さくキックでもかますように、地味に心の内側で反撃していた。そんなこととはつゆ知らずの富山さんは、30代初めだった私に「一緒に雑誌作りをしないか」と、声をかけてくれたのだ。お付き合いはそこから始まった。雑誌のお手伝いは1年そこそこで自然と終わり、今はごくたまに顔を合わせる近所の先輩となっていた。
「本当に、俺の本棚でいいのかな?」自分から取材してよ、と言っていたくせに、前日に取材確認の電話をかけると、そんな応答が返って来て、笑ってしまった。こういうところ、昔から変わらない。ちょっと強気に出たようなことを言うけれど、とにかく人がいいのだ。
庭から直接出入りできる、裸足が似合う仕事場には、壁と一体化しているような大きなサイズの本棚が3つ。雑誌と単行本が隙間なくぎっしり詰め込まれた状態で置かれていた。他にはミーティング用の丸テーブルと、デスクのみ。自らが友人と共に創刊した雑誌『SURF MAGAZINE』の最新号が届いたばかりのようで、空いているスペースを埋め尽くすように、いくつかの山が積み上がっていた。この雑誌は単に、仲間うちで創刊したものではなく、自ら立ち上げた出版社の雑誌として創刊されたものだった。好きなことをやるには、自分たちの手でやるしかない。昔から熱くそう話していた富山さんの言葉を、本人と出来上がったばかりの雑誌を前にしながら思い出していた。
『湘南スタイル』、『Surfing World』『Safari』『NALU』……。海にまつわるものや、男性が好きそうな雑誌がきっちり、美しく、背の高さに1mmのズレもない状態で収められていた。『coyote』は“ジェリー・ロペスの静かな暮らし”の特集。1冊だけあった『relax』も“夏が近いので海の近くに行きたい。そこでスティール・パン聴いたら気持ちよさそう”というサブタイトルがつけられた号だった。単行本は、ハワイのもの、ビーチコーミング学、葉山在住だった美術作家の故 永井宏さんの著書、ハワイアンシャツ、などなど。サーフィンが好きで、海にまつわる雑誌や本を編集しているのは知っていたけれど、まさかここまで海に関するものだけが並んでいる本棚とは。あまりの徹底ぶりにただ一言「すごいですね」としか言えなかった。
「僕らサーフィンをする人間は、波のいいときに波乗りに行きたいっていうのが基本で、そのために生活を築いていく。だから、サーフィンってスポーツなんだけど、自然とライフスタイルになっていくんだよね。『湘南スタイル』は、海やサーフィンにはフォーカスせず、海の近くでの暮らしを、等身大で見せていきたい、そんな思いで創刊した雑誌なんだよ」
創刊から19年。『湘南スタイル』の背がずらりと並んで本棚一段分を占めているのを、昔のアルバムでも見るかのように優しい目で追いながら、話が始まった。
「雑誌をこれだけ残しておくって、結構大変なことですよね。スペースとるし……。私は『Olive』と『mc sister』を長いこと大事にとっていましたけど、思い切って処分しましたよ。でも、こういうの見ちゃうと、やっぱりとっておけばよかったなぁって、後悔しますね」
「こういうの!?」と言う富山さんの手には、なんと創刊号の『Olive』があった。
「ゲゲゲ! 持ってるんですか、海のもの以外の雑誌も!」と驚くと、「雑誌が好きなんだよね」と、照れくさそうな返事が返ってきた。
「気に入っている本も出してきたよ。二階の本棚から」
並べられた本は、どれも長年愛読してきたのがわかるクタクタぶりだった。ハードカバーは、イラストが描かれた部分がめくれ上がり、ボール紙のような中身が見えているものもあった。
「僕が海洋冒険小説にハマったきっかけは、小学5年生の夏、父が買ってきてくれたジュール・ベルヌの『十五少年漂流記』から。そのあとも、『ジェイスン荒海をいく』とか『海底二万マイル』、『無人島に生きる十六人』、『ハックルベリー=フィンの冒険』、『アドベンチャーファミリー』とかね。海と冒険とロマンにハマっていったんだよね」
海への思いと冒険に胸躍らせていた小学生は中学生になり、ひいおじいちゃんが建てた茨城県の海沿いの家で夏休みを過ごし、本の中だけではないビーチライフを体験する。ちょうど、世の中的にサーフィンが流行り始めた頃。雑誌『Fine』は、単純にサーフィンのスポットや技法を特集するだけではなく、ビーチスタイルにふさわしいファッションやカルチャーも発信していた。
「時代もあったのかもしれないけれど、ビーチライフへの思いがどんどん強くなっていったんだ。大学生の時にサーフィン誌の編集部でアルバイトを始めて、そのままその出版社に就職して、バブルだったこともあってさ、クルーザーの雑誌も作っていたことがあったよ。そのとき、スロウな時間が流れている、おしゃれな海際のビーチ都市と、都会的なエッジがきいた場所という両極端な場所がセットになっていることに気づいたんだよ。パリとビアリッツとか、LAとマリブとかね。シャネルやエルメスのようなハイブランドにもONとOFFがあるじゃない⁉︎ 東京と鎌倉もそう。カウンターカルチャーとして、湘南の存在って、すごく大きいんだよ」
富山さんの原点は、ここにあったのか。
海への想いは、幼少期からたたき込まれた、数々の海洋冒険物語からだったのだ。父親が買ってきた本を自然と手にし、読むうちにハマっていった、海と冒険の物語。それが知らずしらずのうちに、自らの暮らしも、仕事も形成する源となっていたのだ。
「すごいロマンですねー。小学校のとき、手にした本が、まさか人生のほとんどを左右することになるなんて。ステキすぎます。ちょっと見る目、変わりましたよー」
「なんだよ、それ。今までが悪すぎたんじゃないのー⁉ 」
いやいや、今までも海を愛する兄さんだと思ってはいましたが、ここまで折り目正しい、筋金入りな海の男だったとは。
創刊した『SURF MAGAZINE』には、物心ついた頃から脈々と流れ続ける、海の男としての想いが込められていると同時に、雑誌を愛し、編集者として生き続ける先輩の想いもあることを知った。
「好きなとこだけ切り取ってファイルしておく方法もあると思うけど、できれば雑誌は丸ごと残しておきたいっていうのが僕の考え。丸ごとで存在してこそ、じゃない⁉ 雑誌は共感だし、生のバイブレーションなんだよ。自分たちがさんざん遊んできた結果というか、残り香みたいなもんだと思ってる。だから編集部に『配属』されて作るのには違和感がある。蛍光灯の下で数字見ながらマーケティングリサーチして作るもんじゃない。そう思いたいんだよね、あくまでも理想論だけど」
編集者として30年以上。いつも胸にあるのは、文藝春秋を創刊したときの菊池寛の「自分で、考えていることを、読者や編集者に気兼なしに、自由な心持で云ってみたい」という言葉。今回、その思いをそのまま実行したのが、自分たちの出版社を立ち上げることだったのだ。
「自分のために、自分がやりたいことをやるための究極は、自分の出版社を持つしかないなと。今、ようやくそのプラットホームに立てたわけ」
久しぶりに手にとり『湘南スタイル』創刊からの数冊を見返していたら、海辺暮らしに憧れ続けていたキュンと甘酸っぱい若き頃の自分を想い出した。紹介されている誰かの家も、いつかこんな家に住んでみたい、と思うものばかり。古いものと、海の香りを愛する私のツボにズシーンと、響くものだった。
湘南というブランドを創り出してきた海の男は、19年続けた『湘南スタイル』の船を降り、次なる船での航海をスタートさせた。小学校高学年の夏休みに読んだ本がくれた、大いなる夢と自由。
「立派なビルもオフィスもいらない。プロフェッショナルな人が集まれば、なんとかなるかなと思ってる。あとは向かうべき島のイメージを持ち続けること。いくら星や潮の流れがあっても、自分のビジョンや思いを忘れちゃったら辿りつけない。" von voyage "とか" good luck "とか、いい言葉だよね」
なんなんだろう、この格好良さ。いつだって、究極に男っぽい人なのだ。
サーフィンをするのは、楽しいという単純な理由もあるけれど、自然のエネルギーと一体化する瞬間、海というか地球の波動を感じながら集中する時間のためでもあると、富山さん。自然そのものにフィットする行為は、何が必要で、何がいらないのかをクリアにしてくれるのだそうだ。
「エネルギーは奪い合っちゃいけない。創り出さなきゃ。人と人とが知り合い、愛し合うことで、生まれるエネルギーもそのひとつだよね。海の中での波動を陸にも活かしたいんだ。
舫を切って沖に出ちゃったからね、できる限りをやり切りたいなと思う。できれば少しでもみんなにワクワクして欲しいし、自分が作った本を手にした人がよりよいLIFEになったらいいなと祈ってる」
仕事部屋の本棚には、自らの足跡が、そして二階のプライベートな本棚には、夢と自由を育んできた原点となる物語が詰め込まれていた。どちらにも、男のロマンがプンプンしている感じ。あぁ、なんか男ってうらやましい。次は男に生まれてきたいなぁ。