アノニマ・スタジオWebサイトTOP > 翻訳者・小宮由さんが語る『イワンの馬鹿』



 好評発売中のトルストイ作『イワンの馬鹿』。ご自身と縁が深いこの作品について、翻訳者の小宮由さんがご自身のインスタグラムで濃密なご紹介をしてくださいましたので、ご本人の許可を得てご紹介させていただきます。

 アノニマ・スタジオでは、アンデルセン作『モミの木』を皮切りに、トラヴァース作『台所のメアリー・ポピンズ』、エッツ作『どうぶつたちのナンセンス絵本』など、小宮さんに古典作品を現代の読者に繋ぐ素晴らしい翻訳を新たにしていただいています。
 長年に渡るお付き合いのなかで、小宮さんの「平和を伝えたい」という信念に触れ、その源には、トルストイ翻訳家であるお祖父様の北御門二郎さんとトルストイの存在があることをお伺いしていました。そして、それほどまでにお祖父さんと小宮さんの人生観を変えたというトルストイ作品を、ぜひ小宮さんに訳していただきたい、とひそかに思っていたのでした。
 数々のご縁でフィッシャー版の『イワンの馬鹿』に出会い、改めて真剣にトルストイと対峙して生まれた本書は、小宮さんにとってちょうど100冊目の翻訳作品となりました(小宮さん、おめでとうございます!)。

それでは、小宮さんのご紹介文をじっくりとご覧ください。

村上妃佐子(編集者/アノニマ・スタジオ)


追伸
ご感想はぜひハッシュタグ「#イワンの馬鹿」をつけてご投稿くださいね。





新刊『イワンの馬鹿』(内容について)

 本日、担当編集者さんより『イワンの馬鹿』の見本を受け取りました!
 「素晴らしい!」の一言で、その素晴らしさをみなさんにいろいろお伝えしたいのですが、ここは心を落ち着けて、一つずつpostしていきます。

 まずは、物語の内容について。

 『イワンの馬鹿』タイトルは聞いたことがあるけど、読んだことはない、そんな方が多いのではないでしょうか?

 作者は、19世紀を代表するロシアの文豪 レフ・トルストイです。「ロシア! トルストイ! ダメ、難しそう!」と、ならないで下さい! 大丈夫です。 この作品は、まったく難しくありません。

 確かにトルストイ長編3部作と呼ばれる『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』になると、分厚くて、字が小さくて、それも2段組と、なかなかハードルが高いのですが、この作品は、老悪魔と小悪魔が三匹、それとイワン三兄弟が出てくるお話で、トルストイが晩年に書いた、30分程度で読める作品です。

 イワン三兄弟は、長男の軍人セミヨン、次男の商人タラス、そして、農業を営む三男のイワンです。この三人に対して、老悪魔が三匹の小悪魔を送って、イワンたちを不幸にしてやろうとするのです。

 軍人セミヨンに対しては、武力(権力)で誘惑し、商人タラスに対しては、財産(お金)で誘惑して、まんまと不幸にすることができたのですが、馬鹿で正直なイワンには、どうもうまくいきません。最後は、老悪魔が出動しますが、さてさて、どうなることでしょうといった、小学校高学年くらいから読めるお話です。

 どうでしょう? 難しくはなさそうですよね? どうか気負わず読んでみて下さい。





新刊『イワンの馬鹿』(作者について)

 つづいて、新刊『イワンの馬鹿』の著者トルストイと、挿絵を描いたフィッシャーのプロフィールについて。
(ちなみに、Pic1の画像は、この本の裏表紙です)

 レフ・トルストイは、伯爵家の四男として生まれました。幼い頃に両親が亡くなり、財産分与で相続した土地(ヤースナヤ・ポリャーナ)は、東京ドーム約385個分でした。23歳の時、軍隊に志願し、その苦闘の体験から「戦争に真実はない、真実は平和の中にこそある」と非暴力主義の思想が芽生えます。40歳で『戦争と平和』49歳で『アンナカレーニナ』を上梓。世界的名声を得るも、自身の生き方に虚無感を覚えはじめました。

 「私はなぜ生きているのか? 私はいったい何者なのか……?」

 自殺まで考えるも〈神への信仰〉に生の力を見出し、無学で、貧しい、素朴な、額に汗して働く人たちの信仰の中に、真実があると悟り、以来、一般の民衆に理解されるものを、民衆自身の言葉で、民衆自身の表現で、単純に、簡素に、わかりやすく書こうと『イワンの馬鹿』をはじめとする民話を書き始めました。

 トルストイは、自分の領地や、著作による収入の一切を放棄しようと何度も試みましたが、身内からの反対に合って果たせず、1910年、妻ソフィアに別れの置手紙を書き、早朝ひそかに、ひとり家を出て、乗った列車の中で肺炎にかかり、アスターポヴォという小さな駅で亡くなりました。

 ハンス・フィッシャーは、スイスで、5人兄弟の長男として生まれました。1923年に結婚し、長女が誕生した頃、多忙を極めて体調を崩し、チューリッヒへ引っ越すと、川や山で動植物を気ままにスケッチしたり、趣味の釣りをしたりしながら、仕事に打ち込むようになります。

 1944年、長女のために最初の絵本『ブレーメンのおんがくたい』を、翌年には、長男のために『いたずらもの』を発表。1947年に次女のために『たんじょうび』と、翌年に『こねこのぴっち』を発表。1957年には『長ぐつをはいたねこ』を作るも、翌年、心筋梗塞で亡くなりました。49歳、あまりにも短すぎる人生でした。

 かなりざっくりとしたプロフィールですが、巻末にもっと詳しく載せていますので(Pic2)興味がありましたら読んで下さい。

 そもそも、私がこの『イワンの馬鹿』を訳そうと思い立ったのは、ハンス・フィッシャーが挿絵をつけていたからでした。そうでなければ、一生、訳さなかったでしょう(祖父が既に訳していましたから)。

 この本の原書(発行は1946年)の存在は、以前から知っていたものの、なかなか巡り合えずにいました。ですが、この古書をようやく見つけ出し、その挿絵の素晴らしさに感動し、これは日本の読者に届けねばと思い……と、ここから先は、まだまだ長い話になります……






新刊『イワンの馬鹿』情報(帯文について)

 つぎは、新刊『イワンの馬鹿』に巻かれている帯文について。

 この本の帯文(推薦文)は、立命館アジア太平洋大学学長の出口治明先生に寄せていただきました。

 出口先生との出会いは、先生がまだ、ライフネット生命の会長の頃、先生の著書である『教養は児童書で学べ』の中で、拙訳『さかさ町』を取り上げて下さったことがきっかけでした。最近だとNHK「最後の講義」にも出演され〈知の巨人〉と呼ばれていましたが、その名の通り、私は、そのお人柄・造詣の深さに、心から敬意を払っています。

 この本の制作中に、担当編集者さんとランチをしていたら、たまたま出口さんの話になり、担当さんに「では、出口さんにこの本の帯文を頼んでみては?」と提案をされ、一瞬「え!?」と、なったのですが、考えれば考えるほど、確かにこの本の帯文は、出口先生しかいないように思え、一念発起して、手紙をしたため、原稿といっしょに依頼してみました。

 結果、返事は、OK!

 OKというよりも、もう推薦文が担当編集者に送られてきたのでした。帯では、表と裏を使っても、すべてを載せきれなかったので、ネット上に全文を掲載しています(Pic3)。驚いたのは、超多忙な先生が、本編のみならず、解説・あとがき・資料と、送ったすべての原稿に目を通してくれた上で、帯文を書いて下さったこと。とてもうれしかったです!

 ハンス・フィシャーの挿絵なので、どちらかというと、児童書寄りに受け取られがちですが、児童書ファンだけでなく、一般の大人、特に出口先生を慕っている現代のビジネスパーソンにも読んでもらいたい! そう思って、出口先生の力をお借りしました。どうか幅広い層の人たちへリーチしますように!





新刊『イワンの馬鹿』情報(装丁について)

 つぎは、新刊『イワンの馬鹿』の装丁について。

 この本の装丁は、櫻井久さんにデザインしていただきました。

 まず、本の表紙は、題箋貼りという手法が取られています(Pic1)。

 これは、和漢書などの表紙に細長い紙を貼る手法を応用したもので、まず、表紙の中央部分をプレスして凹ませ、つぎに、その部分にフィッシャーの絵(老悪魔)を印刷した紙を、1冊1冊、手貼りしています。貼り付けられている紙も、手触り感のある和紙のような紙です。

 それから本を上から見て下さい(Pic2)。

 ここは、造本用語で「天」と呼ばれる部分ですが、なんかギザギザしていませんか? 他の2辺(小口と地)は、きれいに断裁されているのに。これは「天アンカット」と呼ばれる手法で、わざと天だけカットしないまま、製本されているのです。通常は、本をきれいに見せるため「三方裁ち」といって、3辺すべてを断裁してきれいに揃えるのですが、この本では、古書のような雰囲気を出すため、敢えて天だけ断裁していないのです。昔の本は、技術が進んでいなかったため、断裁されていない本が普通だったのですが、それをわざわざ手間とコストをかけて再現しています。

 さらに、本編の文字組が特徴的。中央にギュっと詰まった文字組です(Pic3)。

 これなら、パッと見「あ、私でも読めそう」って、なりますよね。後半の書き下ろしページは、紙に地色を敷いて2段組と差別化しています。

 櫻井さんは、この本の特徴を的確に捉え、本の外側は古き伝統で包み、内側は現代的なセンスで読者を誘うという、素晴らしい本にしてくれました。

 読書はタブレットでもできる時代。これからの本というものは、こういった手触り感を含めたものが求められてくるのかも知れません。本の歴史は約5000年、インターネットは約20年、まだまだタブレットには負けてられません!





新刊『イワンの馬鹿』情報(あとがきについて)

 つぎは、新刊『イワンの馬鹿』のあとがきについて。

 この本には、本編の他に、書き下ろしの「解説」と「訳者あとがき」それと文献をまとめた「資料」の3部作が収録されています。

 「解説」では、上記「新刊『イワンの馬鹿』(作者について)」で書いた通り、レフ・トルストイとハンス・フィッシャーのプロフィールを少し丁寧にまとめたものを「解説」とさせてもらいました。

 理由は、読者の方も、私がこの本の翻訳に取り組むまえにやったことと同じ工程を踏んでもらえれば(換言すれば、この2人がどういう人生を歩んできたかを知ってもらえれば)この作品への理解が、さらに深まると思ったからです。

 「訳者あとがき」には、文字通り、私がこの仕事を終えての所感を書かせてもらいました。

 といっても、やはりここでも、ある人物の生涯を追うことがメインとなっています。その人物とは、私の祖父・北御門二郎のことです。祖父は、良心的兵役拒否者であり、トルストイ文学の翻訳者でもありました。ですから、もちろん、祖父も生前『イワンの馬鹿』を翻訳していて、また、祖父にとって『イワンの馬鹿』は、単なる訳書の一つではなく、兵役拒否という生死に関わる重大な選択をするきっかけとなった作品なのです。

 私は大学時代、祖父とトルストイに多大なる影響を受け、この2人の見た理想を自分なりに体現しようと、現在、子どもの本の翻訳をしています。ですから私にとって『イワンの馬鹿』を訳すということは、それなりの覚悟が必要だったし、また、祖父のことを説明せずして、この本を世の中に送り出すことはできなかったため、この本で触れさせてもらいました。

 そして、この本の最後に「資料『イワンの馬鹿』と北御門二郎」というものも付けさせてもらいました。

 上記の通り、この本を訳すにあたり、私は、再びトルストイとフィッシャーと祖父の歩んできた人生に、深く想いを馳せてきたわけですが、特に祖父についていろいろと文献をあたっていたなかで、祖父は、たくさんの書籍の中で『イワンの馬鹿』について触れていたことに気がつきました。祖父にとって、一番大事な作品でしたから、当然といえば当然かも知れません。

 そこで私は、そのあらゆる祖父の書籍(自著、対談集、聞き書きなど)から、祖父が『イワンの馬鹿』について言及している部分をすべて抜き取ってから翻訳作業にかかりました。そして、翻訳を終え、あとがきを書く段になり、この抜き出した部分をそのままにしておくのは、あまりにももったいない気がして、どうせなら、これらも本に収録したからどうかと思い立ちました。

 その方が「解説」「訳者あとがき」に加えて、よりこの作品の理解が深まるのではないかと思ったし、何より散在している「祖父にとっての『イワンの馬鹿』」だけを集めたものが世の中にないわけだから、それをまとめておくことも、価値があることではないかと思ったのです。

 そういったわけで、抜き出した文献を改めて厳選し、その上で内容の重複を省き、また、それだけでなく、それらを時系列通りに並べ、ひとつのつながった読み物のように編集しました。

 この本は、そんな3部作が収録された作品でもあります。すべて読み応えがありますので、ぜひ、読んでみて下さい。



新刊『イワンの馬鹿』情報(フィッシャーについて)

 最後は、新刊『イワンの馬鹿』の挿絵をつけたフィッシャーについて。

 この本の挿絵は『こねこのぴっち』などで有名なスイスの画家ハンス・フィッシャーによるものです。

 フィッシャーについての文献は、非常に少ないのですが、その中で、唯一無二な存在が、小さな絵本美術館が発行している『ハンス・フィッシャーの世界』という本です。この本は、ISBNが付いていないので、普通に流通はしていないのですが、フィッシャーへの愛情で満ちた素晴らしい本です。

 『イワンの馬鹿』の巻末「解説」に載せているフィッシャーの経歴は、ほとんどこの本から引用させていただきました。

 今回は『イワンの馬鹿』の巻末には載せることができなかった、フィッシャーの人柄が伺えるエピソードを、2つ、この本から引用させていただきます。

 長女ウスルラによる、父(フィッシャー)との思い出。

 (私が)高校生。父は、心を読むことができた。娘の痛みにいつも気がついた。原因を聞くかわりに、散歩に一緒に来ないかと、父は私を誘った。私たちは、立ち止まった。父は、くさはらのはしにしゃがみ、緑の葉を一枚摘んだ。父は、葉がどのように成長するのか、正確に説明しはじめた。繊細な葉脈を、私に見せた。そして、私を見つめた。フィスだけができる、まっすぐな視線で。「自然って不思議じゃないかい。すべてが、こんなにうまく考えられている」....急に、私の悩みが、おかしく思えた。残りの散歩道、私は肩の荷を下して、とりとめもなく喋った。父は、一番の聞き上手だった。……

 フィッシャーによる、次女アンナ・バーバラとの思い出。

 私は、アンナ・バーバラの父親だ。父親というものは、みんなそうだと思うのだが、末娘には、利用されてばかりだ。そのうえ、私は、ほとんどいつもアンナ・バーバラの近くにいるし、お話ができて、絵が描けるので、ことのほかだ。
 アンナ・バーバラは、いつも私のアトリエのお客さんで、言うならば、私の絵描き机の下で大きくなった。彼女は、そこに自分のお人形や動物をたくさん持ってきて、自分の所帯を広げた。彼女は、生まれながらの主婦で、母親だった。これに熱中しているときは、物音ひとつたてず、私たちのあいだには、平和が保たれていた。しかし、たいていは、そんなに長続きはしなかった。私の脚のあいだを何かが動き、小さな鼻が机の端からのぞいた。彼女が二歳の時、もうこんな事を言った。「パパ、おんどりをかいて」
 私は目の前にある、本当は他のもののために用意してあった紙に、おんどりを描かなくてはいけなかった。それから、うさぎ。そして、ねことめんどり。最初の一筆めで、彼女はもう歓声をあげた。それが何になるかを、知っていた。少なくとも、私はそう思っていたので、私は、彼女の賢さと、自分の表現力とを少なからず誇りに思った。
 そしてある日、私は気づいた。彼女は、私のレパートリーをすべて知り尽くしているだけだったことに。彼女の私の絵にたいする興味が、本当はどのくらいなのか、そして、私を独り占めにしたいという、彼女のまさに女性的な望みがどんなに強いのか、私は今でもはっきりとは解らない。……

 いかがでしたでしょうか? すごくよくないですか? 私はこれを読む度に、目頭が熱くなります。

 こういう感性の持ち主が、第二次世界大戦の戦禍をくぐり抜け、戦後すぐに『イワンの馬鹿』に挿絵を付けようと思い立ったのは、当然にして、必然のような気がするのです。

 この本に描かれているフィッシャーの挿絵については、ここで私が四の五のと言わないことにします。のびのびとしていて、ユニークで、ちょっぴり皮肉のこもった楽しい挿絵たちをどうかじっくりとご堪能下さい。

 さて、いよいよ発売です! 
 この本は、図書館で借りて読むというより、それぞれの家の本棚で、ニ代、三代と置かれつづけるのに値する本だと自負しています。できればご購入下さい。

 そして、蛇足ではありますが、ちょうどこの本で、私の翻訳作品が100冊となりました。これもひとえに、理解ある編集者、出版社、書店、図書館、それと全国の読者の方々のおかげです。これからも引き続き、応援のほど、よろしくお願い致します!


小宮由
翻訳家。東京・国立市に生まれる。2004年より阿佐ヶ谷で家庭文庫「このあの文庫」を主宰。祖父は、トルストイ文学の翻訳家であり、良心的兵役拒否者である故・北御門二郎。主な訳書に『さかさ町』(F.エマーソン・アンドリュース作/岩波書店)、『モミの木』(アンデルセン作)、『台所のメアリー・ポピンズ』(T.L.トラヴァース作)、『どうぶつたちのナンセンス絵本』(マリー・ホール・エッツ作)(以上、アノニマ・スタジオ)など多数。

イワンの馬鹿

作:レフ・トルストイ
絵:ハンス・フィッシャー
訳:小宮由
本体価格1600円(税別)

ロシアの文豪トルストイによる140年以上前の名作『イワンの馬鹿』に、絵本作家のハンス・フィッシャーが挿絵をつけた幻のコラボレーション作品です。翻訳家・小宮由さんによる新訳でお届けします。強欲な兄たちからの度重なる要求や悪魔の誘惑に屈することなく、わが身ひとつを種として暮らしていくイワンの物語。2020年の今だからこそ、世代を問わず広く読んでいただきたい名作です。手触りのある装丁とともにお楽しみください。




◆推薦文

地域起こしのキーワードに「よそ者、バカ者、若者」という言葉がある。つまり賢い大人は、結局、何事をも成し得ないのだ。愚直に信じるところを貫いて働く者だけが世界を変えるのだ。トルストイの「イワンの馬鹿」のテーマは、突き詰めればそこにあるのではないか。翻訳者の祖父は良心的兵役拒否者でありトルストイ文学の翻訳家だったという。祖父は「大旱の雲霓を望むが如く」良心的な翻訳の出現を待ち望んでいた。そして三番目の孫が新たな翻訳に挑戦することになった。何という運命の巡り合わせだろう。新訳は文章がこなれていて、とても読みやすい。「イワンの馬鹿」のような古典は、誰もが名前は知っているが実は読んだ人は意外に少ないものだ。ステイホームの時代、ぜひこの新訳でトルストイの名作を味わってほしい。大人も子どもも楽しめること、請け合いだ。
出口治明(立命館アジア太平洋大学学長)




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