アノニマ・スタジオWeb連載TOP > ケンカのあとは、一杯のお茶。 もくじ > その4 「白黒はっきりつけたいこともあるけれど、結局白黒つかないけんか」
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その4
「白黒はっきりつけたいこともあるけれど、結局白黒つかないけんか」
車を15分ほど走らせればすぐ葉山、という神奈川県横浜市にある小高い丘。そのてっぺんに「nusumigui studio」はあります。ヌスミグイ、という言葉から食べ物にまつわるスタジオかと思いきや、ここは洋服を作るアトリエであり、出来た洋服を販売するショップであり、またnusumiguiを営む山杢勇馬さん・瞳さん夫妻の暮らす家でもある、そんな場所です。「三つ星フレンチのコースもいいけど、お母さんのつくる唐揚げを盗み食いするのもよくない?」プロフィールに踊るそんな言葉の通り、自由で軽やか、生活することと地続きの服を作り、届けているnusumigui。服のデザイン・制作をする勇馬さんとプレスリリースや接客をする瞳さん、そして看板犬のゴマ。いつも一緒でいつもにこやか。そんな姿をいくつかのイベントでお見かけする度、このお二人のけんかって想像できないな、まさかけんかしないのかな?などと思っては、いやいやいや、一緒に暮らして波風まったくないなんてありえない。きっと見えないけんかがあるはずだ!と、穏やかなお二人のイメージからはほど遠いけんかの話を聞きに行くことにしました。
夫 山杢勇馬さん
人や暮らしのそばで洋服を作るブランドnusumiguiデザイナー。日本橋のビルの一角、墨田区の町工場跡とアトリエを移転し、2018年より横浜市の丘の上に「nusumigui studio」をオープン。
https://www.nusumigui.space/
妻 山杢瞳さん
女子美術大学でファッションを学んだのちH.P FRANCEに入社。多くの顧客を抱えた販売員として活躍後、退社しnusumiguiを夫の勇馬さんと共に運営している。
瞳がやりたい仕事を決めたのを見て火がついた
ふたりが出会ったのは「ここのがっこう」というファッションデザインスクールでした。ファッションとは、表現とは何か?という問いや自分のルーツと向き合いながらデザインを学ぶ、週に1回開講されるスクールです。通い始めたのは勇馬さんが21歳、瞳さんが20歳の頃でしたが、実はその前に勇馬さんは大きな挫折を経験していたと言います。
勇馬さん
「幼稚園からモトクロスレースを始めて、高校に入ると関東1位、高3では全日本の選手に選ばれてスポンサーもついていたんです。でも練習中の事故で左足が真逆に折れて。腰の骨を移植して半年間の車椅子生活の後、歩けるようにはなったんですけど、もうレースはできなくなりました。それまで見ていた未来がなくなってしまって、どうしようかなって1年くらいふらふらしていたんです。その頃、文化服装学院に通う子たちと仲良くなって、学生証をかりては図書室に入り浸ったりしていました。そんなことしているうち服作りに興味を持って『ここのがっこう』に通いだしたんです」
瞳さん
「最初作品のことで声を掛けられて、一緒に古着屋行きませんか?と誘ってくれて。当時勇くんはすごい格好していたんですよ(笑)クマの着ぐるみを改造して着ていたり、ストリートスナップ誌全盛期だったからそれで写真を撮られたり。派手な人って印象だったんだけど、初めて出かけた日にさらっとバイクの話をしてくれて、大変なことを乗り越えてたんたんとしている姿に、いざという時にも動じないような強さを感じて。その後すぐ付き合い始めたんです」
勇馬さん
「当時パン屋でバイトしながら服を作っていたんですけど、人の評価が怖くて、趣味です! と言い張っていたんです。でも瞳がやりたい仕事を決めたのを見て火がついたというか。負けず嫌いなので(笑)」
思いついたのは「犬を飼う!」ということ
勇馬さんはnusumiguiを立ち上げ、親交のあったショップに置いてもらえることに。週5、6日パン屋で働きながら服を作っては納品するようになりました。
勇馬さん
「『ここのがっこう』はコンセプトやルーツを探ったりする学校で、縫製とかは学んでいなかった。だからその頃作っていたのは一回着たら壊れるような服(笑)
今でこそパターンとか解るようになったけど、当時はニット切って安全ピンでとめたりガムテープ貼ったり。でもそんな服をショップのオーナーさんもお客さんも面白がってくれて、納品したら何かしらの反応があった。そのうちショップのオーナーに『中途半端が一番良くないよ』と言われ、パン屋辞めたれ〜!と辞めて。そしたらお金なくなるじゃないですか(笑)お店に納品したら何%と取られるし、もう自分でお店始めようと。日本橋に知り合いが関わった変った物件があって、壁もないし床も剥がれているようなところなんだけど、ギャラリーが入っていたりコンサルやりながら野菜作っている人がいたり、面白い場所で。そこの一角を借りて棲みつきながら、服を作っては売るようになりました。ちょうどツイッターが機能し始めた頃で、服を作ってツイートするとお客さんが来てくれて。そのうちアシスタントの子も出来て2人で服を作るようになりました」
勇馬さんがnusumiguiを発展させていた頃、瞳さんもまたキャリアを積んでいました。アルバイトとして入ったものの、異例の速さで半年後には正社員へ。希望していた店舗へも配属してもらえたと言います。
瞳さん
「希望していたお店で好きなものを販売する望んだ仕事だったので、がむしゃらに頑張って。一日にスタッフ1人1人、それぞれが何十万という目標を売りあげなきゃいけない。最終的にはお店で一番売り上げをあげられるようになったのですが、大変なことはいっぱいありました。毎日終電だったし、仕事以外のエネルギーが残っていない。だから休みの日に勇くんに会っても完全にスイッチが切れちゃっていて、どこにも行きたくなくて。」
そんな瞳さんを見て、「これは何かしてあげたほうがいいな」と感じたという勇馬さん。思いついたのはなんと「犬を飼う!」ということだったそうです。勇馬さん自身、明け方に寝て三食牛丼チェーン店…というような日々から抜けてみたいという気持が生まれていました。ちょうど元町工場だった物件との出会いがあり、nusumiguiを移転し、1階をアトリエショップ、2階を生活空間として整えました。そしてフレンチブルドッグのゴマが、やってきたのです。
このままじゃだめになっちゃうよ、と一緒にnusumiguiをやろうと思ったんです
瞳さん
「ゴマに会いたくて、わたしもしょっちゅうアトリエに行くようになった。その頃よくnusumiguiはワークショップをやっていました。わたしも遊びにいっているんだけど、一緒にお客さんを迎えることも増えていった。そのうちそこで暮らすみたいになっていって、接客という自分が仕事でやっていることがnusumiguiでも役にたつのかも、という気持ちが生まれてきたんです」
瞳さん
「アシスタントさんとすごく歯車があっていたからか、イマイチ服を作り出せなくなって、料理ばっかりするようになっちゃったんです(笑)」
勇馬さん
「それまでは『衣』一辺倒だったのが、『衣食住』の面白さに気付いて。2人と一匹で『生活』を築けている感じが面白くて」
仕事は大変だけれど、やりがいがあるし安定している。そして2人と一匹の生活も生まれた。でも、このままではnusumiguiが大切にしたいものが守れないんじゃないか? と瞳さんは思うようになります。
瞳さん
「このままじゃだめになっちゃうよ、と伝えて自分が一緒にnusumiguiをやろうと思ったんです」
勇馬さん
「服はもういいかな〜ってなっていたところに、瞳が入ってくれることになって、もう一回ちゃんとやってみようと」
瞳さん
「入ってみたら想像以上に立て直したいところ山ほどあったよ(笑)」
どこまでもグレーにしておきたいタイプ
2016年3月に瞳さんは退職し、結婚。本格的にnusumiguiを共に運営することに。そして2018年には広い広い庭のある丘の上の物件へと再び移転&引っ越しをし「nusumigui studio」と名付けました。車は上がることすらできない、細くて急な坂道を登ったところにある、古い一軒家や庭にあったプレハブを2人で改装しながら、定期的にショップとしてオープン。さまざまな場所でポップアップショップも行っています。nusumiguiの魅力は、どこか未完成の服を並べ、お客さんと対話しながら完成させるところ。丈や襟ぐりのデザインを、要望を伝えてその場で直してもらうこともできます。
勇馬さん
「お客さんに『こんなに待つ服屋ないですよ』とか『一日空けてるんで大丈夫です』とか言われます(笑)もっとパッと渡せて効率よくしたほうがいいのかなと思った時もあるんですけど、服を作ったり直したり、その時間を共有して、人と関われる服作りがしたいなって、今は逆にもっともっと待ってもらえる服屋さんになりたいし、その時間を楽しんでもらえる空間を作りたい」
それは、その人に合うものを最後まで考えたい、ギリギリまで悩み抜いてだした答えこそが一番いい、という勇馬さんの哲学でもある様子。そして、どうやら夫婦のけんかの火種もまたそこにあるようで…。
瞳さん
「nusumiguiの柱の部分っていうのは勇くんが決めるんですけど、大体のことをギリギリまで決めない。物事を順序立てて考えたり相談したりせず、今決めた!という瞬発力を大事にしたい人。でも一緒に仕事をする側としては、はっきりしてくれないと解らないことも困ることもいっぱいあるじゃないですか。だからそういうことをこまごまと伝えると、ムッとして黙り込む、みたいな」
勇馬さん
「まだ決めていないことで出されたアイデアが良かったらまたムッとしたり(笑)いや、負けず嫌いだから」
瞳さん
「仕事でも暮らしでも、わたしは思ったことは言葉にして伝えて、白黒はっきりつけたいタイプだけど、勇くんは思ったことを言葉にしない、どこまでもどこまでもグレーにしておきたいタイプ。それで今!ってなった時はばーー!ってやるけど、やりたくない気分の時はとことんやらない。頼まれたゴミさえも捨てない(笑)そんなこんなで先日の嵐の日に大げんかして」
連日のポップアップ出店で疲れ切っていたというお二人。帰宅後も大嵐の中、搬出したものを丘の上まで運ぶというしんどい作業を終え、労い合いたかったという瞳さん。そんな時でも気持ちを言葉にしない勇馬さんに思わず爆発してしまったそう。
勇馬さん
「思ってても言葉にしなかったらないのと同じだ、と言われたんですけど、『別に言わなくていいかなあ』って思っちゃうところがあって。やっぱり、未来はどうなるかわからないとすごく思うので、何かを決めたくないっていうのがあるのかもしれない。思ってることも変わるかもしれないし。だから、もしお願いしたいことがあったとしても『これこうしよっかな〜』みたいなひとり言スタイルで伝えてみたり(笑)断言はしないという」
瞳さん
「ひとり言で『こうしよっかな』って言ってることが実はわたしにやってほしいことっていうのがすごいあるので、最近はわたしも、言いにくいことはゴマに話しかける体で言ってみたり。『これ、困るよね〜』みたいな。ゴマはかすがい(笑)」
未来はわからない、という勇馬さんに瞳さんは言います。
瞳さん
「もしかしたら作るものは服じゃなくなったとしても、この人は何かしら手を動かして、ずっとものを作っていく人なんだろうなと思っていて。だからこそ、わたしはギリギリまで見守る努力をしていきたいと思ってるし、でも勇くんには口に出す努力をしてほしいと思うし……」
取材後記
nusumiguiの服を見るたびに、作ることが大好き!という感じがするなあ〜と思っていたのですが、お話を聞いてますます、勇馬さんは根っからの「ものつくり人」なのだなと思いました。その感覚は服をきっかけに芽生えたものだけど、一度芽生えたが最後、「ものつくり人」はあらゆるものを、なんでも自分で作りたくなってしまう人な気がします。なので、今や勇馬さんの関心が「衣食住」に広がっていることにすごく納得し、料理も、家の改装も、庭で植物を育てるのも、きっとおなじ「つくる」というベクトルにあることなのではないかと思いました。だからこそ、計画や段取りとは縁遠く、その時その時のひらめきを大事にする。だけど、だけれども! 生活とはそんな創作的なこととは対極にある地味で面倒臭い数々のことによって成り立ってもいるのです(たとえばゴミを捨てるとか)。そしてそんな地味で面倒臭い数々のことは大体計画や段取りといったことと切っても切れない行為なのです(たとえば朝の収集前にゴミをまとめるには何時までに朝ごはんを作り終えなきゃいけない、とか)。そして、それくらいは計画立てたり段取りつけたりしてちょうだいよ、と思うのですが、「ものつくり人」にとって生活すべては「つくる」ことに直結する聖域でもあるが故、色々突っ込みたくても突っ込みきれない。白黒はっきりつけたくともつけきれない、そのもどかしさ。なんとも純粋。なんとも頑固! なんとも大変!ですが、そんな勇馬さんの転機とも言えるタイミングにはいつも瞳さんの存在があったということも今回の話を通して感じました。負けちゃいられないっとブランドを立ち上げ、なにかしてあげたいと生活に向き合い、そうすることで勇馬さん自身が変化し進んでいくきっかけとなっていた。頑固一徹、我が道を行くように見えて、やはり2人の関係があったからこそnusumiguiの今がある。きっとこれからも2人と一匹で続けていく暮らしの楽しいこと、大変なこと、解り合えること、解り合えないこと、その全てがまた勇馬さんの「ものつくり」に影響していくのだと思います。長年販売という仕事に携わり、スキルを持っている瞳さんの「ものを売る」力も加わったことで、nusumiguiは鬼に金棒状態にも思えます。そのうち家とか建て始めたりするのかも? なんて思ったりもするくらい、この先nusumiguiが見せてくれるものは、どこまでも未知でどこまでも自由なのです。
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中村暁野(なかむら・あきの)
一つの家族を一年間にわたって取材し一冊まるごと一家族をとりあげるというコンセプトの雑誌、家族と一年誌『家族』の編集長。夫とのすれ違いと不仲の解決策を考えるうちに『家族』の創刊に至り、取材・制作も自身の家族と行っている。8歳の娘と2歳の息子の母。ここ最近の大げんかでは一升瓶を振り回し自宅の床を焼酎まみれに。
夫はギャラリーディレクターを経て独立し、現在StudioHYOTAとして活動する空間デザイナーの中村俵太。
家族との暮らしの様子を家族カレンダーhttp://kazoku-magazine.comにて毎日更新中。
馬場わかな(ばば・わかな)
フォトグラファー。1974年3月東京生まれ。好きな被写体は人物と料理で、その名も『人と料理』という17組の人々と彼らの日常でよく作る料理を撮り、文章を綴った著書がある。夫と5歳の息子と暮らす。そんなにケンカはしないが、たまに爆発。終わればケロリ。
著書に『人と料理』(アノニマ・スタジオ)、『Travel pictures』(PIE BOOKS)、『まよいながら ゆれながら』(文・中川ちえ/ミルブックス)、『祝福』(ORGANIC BASE)がある。
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