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その7

距離があっても詰めていく
ストライク直球ストレートなけんか




部屋に入り込む光が心地よく、二階の部屋の窓からは海に沈んでいく夕日が見える、急な坂道をあがっていった土地に建つちいさな家。海まで10分、というこの家に暮らすのは音楽家として活動している木原健児さんと、葉山を拠点に自然の中で感じたことをモチーフに、衣類やアクセサリーなどさまざまなプロダクトを制作する「sunshine to you!サンシャイントゥーユー」のデザイナー木原佐知子さん。佐知子さんの葉山のアトリエ兼自宅だったこの家に、健児さんが共に暮らすようになったのは2017年のこと。暮らしはじめて4ヶ月で結婚したというおふたりが付き合うようになったのは、そのわずか2ヶ月前のことだったそうです。現在結婚3年目というお二人は、健児さんの作る音楽も、佐知子さんの作るプロダクトも、こわばった身体や心をほぐしてくれるような、たおやかな空気をまとい、ご自身たちもまたそんな空気をまとっている。ニコニコと「健ちゃん」「さっちん」と呼び合っている、こんなふたりがケンカをするなんて、なんだか逆にリアリティがない…と思うくらいなのですが、こんな忙しい世の中で、揺らがず、強く、その空気を発信していけるというのは、逆に結構頑固でもあるはず…と。それなら、やっぱり衝突は生まれるのか?それはどんな衝突なのか?と、ケンカの話を聞きに行きました。


夫 木原健児さん 
Sphontik、KenjiKiharaなどの名義で作品を発表しているミュージシャン。エレクトロニカ音楽から自身が歌うアコースティック音楽まで、その作品は幅広い。音楽は楽しみであり、喜びと語り、文字通り音楽とともにこつこつと日々を送る、根っからの音楽家。


妻 木原佐知子さん 
大学卒業後、設計事務所に勤めた後sunshine to you! を立ち上げ、デザイナーとして活動を開始。服、ファブリック、アクセサリー等様々なプロダクトを制作している。ものづくりにおいてはギリギリまで追い詰められて、力を発揮するタイプ。





もうひとりでいることには飽きちゃっていたんです

ふたりが出会ったのは、実はけっこう前のこと。2012年、川内記念美術館で行われたあるイベントで、健児さんが音響を、佐知子さんが会場デザインを担当したことがきっかけで知り合ったのだそうです。

健児さん
「出会ったといっても、挨拶をするくらい。僕はぜんぜんそういう場で積極的にコミュニケーションをとるようなタイプではないので、『顔見知り』というくらいの関係」

佐知子さん
「共通の友人がいたからちょこちょこ顔をあわせることはありつつ、『顔見知り』関係が3~4年くらい続いたよね。友達になったのは、わたしがそれまで住んでいた埼玉から葉山に拠点を移した後。sunshine to you! でプロダクトのムービーを撮りたいと思って、映像につける音楽を考えた時に健ちゃんが浮かんで。打ち合わせで葉山に来てもらって、一緒にご飯食べたり遊んだりするようになった。その後、葉山でsunshine to you! の展覧会をした時に、スペシャルイベントとしてライブもしてもらったんだよね」

仲良くはなったけれど、友達以上には至っていなかったふたりの関係が変化したのは、その展覧会でのある人の後押しがきっかけだったそう。

佐知子さん
「イベントでは兵庫のごはんやさん『ポノポノ食堂』がフード出店をしてくれていたんだけど、『ポノポノ食堂』のともちゃんが打ち上げの時『ふたり、付き合っちゃいなよ〜』って(笑)。きっと、わたしたちに特別ななにかを感じていたわけではなく、ともちゃんはいつもそうやって会う人会う人をくっつけようとしていたんだけど、成立したためしがなかった。でもそれがきっかけで、わたしたちはふたりで会うようになって。ともちゃんがくっつけた唯一のカップル(笑)」




思わぬ仲介のおかげ(?)もあり、展覧会の後付き合うことになったふたり。申し込んだのは健児さんからだそう。

健児さん
「そうやって言われても全然嫌じゃなくて、むしろいいなって思っていたから。後日ふたりで会って、付き合ってほしいといいました」

佐知子さん
「わたしはその時36歳くらいで、もうひとりでいることには飽きちゃっていたんです。ずっとひとりで制作して、ひとりでごはん食べて、家もひとりでDIYしてって、やりたいことをやりたいようにも出来るんだけど、そういうのはもういいやって。誰かと関わりたい、結婚したい気持ちがずっとあった。それで付き合いませんかって言われた時、健ちゃんにそういう気持ちはあるのか聞いてみた。結婚を前提にだったら付き合うって。健ちゃんのほうが年も下だし」

健児さん
「僕は結婚願望なかったけど、付き合おうっていう時に、さっちんはきっとそうだろうなっていうのはなんとなく思っていたから。全然抵抗なく、うんって」





「捨てな捨てな〜」「出しな出しな〜」わたしプロデュース妻だよね(笑)

そんな前提もあり、佐知子さんのアトリエ兼自宅で一緒に暮らし始め、すぐに結婚。

佐知子さん
「わたしが住んでいたここに健ちゃんが転がり込んできた(笑)。そんなに荷物もなかったよね?音楽の機材も二階の一部屋に入るくらいで。そこが健ちゃんの制作部屋になっているんだけど」

健児さん
「Tシャツとか捨てられたけどね」

佐知子さん
「へんなTシャツとか持ってたから、もう捨てな捨てな〜って全部切って掃除用のウエスにしたよね(笑)」




新婚旅行はアリゾナに行ったというふたりですが、それはそれはハードな新婚旅行だったそう。

健児さん
「2日間でグランドキャニオン、モニュメントバレー、アンテロープキャニオンを車でまわる、食べる暇も寝る暇もないハードな旅…。レンタカーを借りて、どっちかが運転している間にどっちかが眠って、なんとか全部まわったんだよね」

佐知子さん
「健ちゃんは旅行に興味がなくて、海外も初だったんです。興味がないから全然休みを取る気配がなくて、ギリギリで取ったからこんなハードスケジュールな旅になった」

健児さん
「興味なかったけど、行ってみたら楽しかった」




当時健児さんは音楽制作をしつつ、東京駅近くのホールに音楽エンジニアとして勤めていたのだそうです。

健児さん
「CM音楽の制作を仕事として受けていたこともあったんですが、音楽を楽しめなくて。自分にとって音楽は、純粋に自分が聴きたい音をつくること。ライフワークで、ある意味趣味と言い切れるようなものでありたいと思ったんです。なので仕事としてはエンジニアとして毎日5時半に起きて通勤していました」

佐知子さん
「健ちゃんは本当に自分が聴きたいという気持ちだけで日々もくもくと作っているから、発表したりそれで認められたいっていう欲もまったくない。結婚するまでCD1枚しかだしていなかったんです。未発表曲がめちゃくちゃたまっていた。わたしも音楽が大好きだから『もったいないよ!出しな出しな〜。このレーベルとかいいんじゃない?』って提案して。結婚してから一気にリリースしたんだよね。わたしプロデュース妻だよね(笑)」

健児さん
「そう。自分が音楽作っていられたら幸せだから出すことに興味はないんだけど、もちろんいやでもなくて。ありがたいなって(笑)」





ざっと話を聞いていると、「捨てな捨てな〜」「出しな出しな〜」と、物事の進行や決定など、ふたりの関係をひっぱっていっているように見える頼れる佐知子さん。ですが、そんな佐知子さんにも健児さんがびっくりしてしまう、あるウィークポイントがあるようで…。

健児さん
「ものつくりに対するスタンスが僕とは全然ちがって。一緒に暮らし出してびっくりしたのはそこかも」

佐知子さん
「仕事から帰ってくると日々音楽に向かう健ちゃんとちがって、わたしは展覧会とか、発表の場が決まらないと動けない。それも、もうやらないと間に合わない!っていうギリギリになって動き出す。もういやだ〜〜とか言いながら、半分泣いたりしながら必死で制作(笑)。毎回」




健児さん
「それを見て、『…え?好きなことなのになんでやらないの?好きなことならずっとやるでしょ』って(笑)」

佐知子さん
「健ちゃんからは理解できないだろう、わたしのそういうルーズさに最初イライラしていたよね。健ちゃんは常になんでも、時間前行動。仕事も始業1時間くらい前について、ゆっくりコーヒー飲んでから始める、みたいな人だから。逆にわたしはいつもギリギリ行動…。出掛けるって言っているのになんでまだ準備していないの?みたいなのが日常においても」

健児さん
「でも、『え?』って思ったことを僕は言葉にしなかったので。それでイライラしてムスっとして。暮らし始めた頃が一番険悪だったかも」


どうやらけんかに繋がる話となりそうです。





一人でも幸せでいられる人生だったので、対峙したのって初めてだった

佐知子さん
「わたしはいやなことも思っていることも、すぐなんでも言うので一緒に暮らしだしても何のストレスもなかったんです。『健ちゃん、そこ散らかさないで!』とか『また出しっぱなしにして〜』とかそういうちっちゃいことはいっぱいあるけど、その場ですぐ放って終わるから。パッと言って終われるようなことだったというのもあるかもしれないけど。だから健ちゃんがムスっと黙り込むのがすごく嫌で」

健児さん
「僕はなにか思っても相手に言わないことが多かった。ずっと人との距離を保って、一人でも幸せでいられる人生だったので、ちゃんと対峙したのって多分さっちんが初めてだったんです。だからムスっとするしかできないし、でもムスっと距離をとっている僕に、さっちんは『家庭の空気を乱すな〜!思っていることをちゃんと言ってよ!』と詰めてくるんですよ(笑)。ほんとびっくりして。距離をとろうとしても受け取らざるをえない感じで詰めてくる。最初は戸惑ったんですけど、この人は、僕にだけじゃなくて、人に対してちゃんと言う人なんです。いやなことや思ってることがあっても流して過ごす人って多いじゃないですか。でもさっちんはちゃんと言葉にする。それで人とぶつかることになっても、いつでも本当のことを言葉にしてる。それって『すごいな』って」




佐知子さん
「健ちゃんは子どもの時ちょっと大変なことがあって、ある日起きたらお母さんが上の兄弟を連れて家を出て行ってしまっていたんだよね」

健児さん
「父親と2人残されて、両親は離婚して。ちょうど思春期に入る頃だったんだけど、それでもグレることなく、親にも反抗したりケンカしたりもしたことなかったんです。その頃音楽に出会って没頭しだして、好きなことにのめり込むことで自分を保ってたのかも。その後、別れた両親がよりを戻して、今は家族、すごく仲良いんですけどね」




佐知子さん
「わたしなんて、親に反抗しまくりケンカしまくりだったよ」

健児さん
「だからさっちんと、人とぶつかるという初めての経験をしつつ過ごすうち、『すごいな』って認めれるようになって。制作もいつもギリギリなんだけど、なんとか間に合うし、それを観た人が喜んでるし、こういう人もいるんだな、こういう向き合い方もあるんだな…って思えるようになっていった(笑)」


自分とはちがうお互いのことを知って、隣に並んだふたり。ここから、新たな時期を迎えようとしているそうです。





ふたりで新しいことを新しい場所ではじめたい

健児さん
「葉山に来てから、もっと家の時間を大事にしたいなと思うようになって。どこに住んでもできるような仕事をしたいとITエンジニアの勉強をして転職したんです。今は平日会社に行くのとリモートワークと半々くらいだけど、いずれどこに住んでもできるようにしていきたいなって」

佐知子さん
「sunshine to you! を続けたいけど、ふたりで新しいことを新しい場所ではじめたいよねっていう気持ちがあって。それがどこで、なにをやるのかもまだまったくの未定で、でもそういう新しい何かに向かっていきたいとは思っている。そうしたら、理解しあったつもりのお互いの新たな部分が見えたりして、またけんかになるのかもしれないけど(笑)」

健児さん
「今も小さなけんかはあるけどね」

佐知子さん
「この前わたしが展覧会で忙しかった時、家のことに手が回らなくて、そしたらお風呂場がカビちゃって。『健ちゃんどうしてブラシ使ってカビ掃除しようとか思わないの?!』って怒ったんです。でもなんで気付かないんだろうって考えて気付いたんだけど、健ちゃんってめちゃめちゃ目が小さくて3ミリくらいしか開いてない。だからきっと見えてないんだなって。ね、見えてないんだよね?」

健児さん
「いや見えてるよ!」

佐知子さん
「見えてるならやりなよ!」







取材後記

似た者夫婦、なんてよく言いますが、外から見たら似ているように思える夫婦でも、踏み込んでみたら全然ちがうものだよなあとしみじみ感じた今回のお話。健児さんと佐知子さんの纏う雰囲気は共通していて、でもそんなふたりは聞けば聞くほど、なんと真逆だったことか。人に何かを押し付けないし、押し付けられるのも、とても嫌そうな健児さん。干渉することもされることもなく、多分一人で音楽を作っていてもとても幸せだったのかもしれません。でもそれが、人と距離をとったりしない、どんな時もまっすぐ相手と向き合う佐知子さんに心打たれ、干渉しあう結婚という関係に向き合うようになった様子に、なんだかグッときてしまいました。ひとりの人が「変わる」とか「変わろうとする」って大変なことだと思うのです。「思ったことは言葉にしてよ!」って言うのは簡単でも、ずっと言わないスタンスで生きてきた大人が「思ったことを言葉にする」スタンスに変えるって、めちゃくちゃ難しい。お互い自分を変えられない、というのはどんな夫婦においてもけんかの大きな原因なのではないでしょうか。それを変えた、佐知子さんの直球ストレート球の威力にあっぱれ、脱帽です。「こんなおもしろい人にはもう出会えないとおもったから」と、佐知子さんと結婚した理由を語っていた健児さん。ひとりでも、自分自身を幸せにすることができていた健児さんが、佐知子さんと過ごす、まだ見ぬ未来にわくわくを感じた瞬間を想像し、またグッときたわたしです。人と出会い、関わることって、しんどさ以上のすてきなこともたくさんあるよなあ!と思えた木原夫妻のお話でした。
相手が変われば、自分もまた、きっと変わっていく。そうして変化し合う夫婦という長い話における、第1章を終えたといった木原夫妻。日々の細々としたけんかで足慣らしして、第2章。どーんと向かってください!なんて思うのです。





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中村暁野(なかむら・あきの)

一つの家族を一年間にわたって取材し一冊まるごと一家族をとりあげるというコンセプトの雑誌、家族と一年誌『家族』の編集長。夫とのすれ違いと不仲の解決策を考えるうちに『家族』の創刊に至り、取材・制作も自身の家族と行っている。8歳の娘と2歳の息子の母。ここ最近の大げんかでは一升瓶を振り回し自宅の床を焼酎まみれに。
夫はギャラリーディレクターを経て独立し、現在StudioHYOTAとして活動する空間デザイナーの中村俵太。
家族との暮らしの様子を家族カレンダーhttp://kazoku-magazine.comにて毎日更新中。



馬場わかな(ばば・わかな)

フォトグラファー。1974年3月東京生まれ。好きな被写体は人物と料理で、その名も『人と料理』という17組の人々と彼らの日常でよく作る料理を撮り、文章を綴った著書がある。夫と5歳の息子と暮らす。そんなにケンカはしないが、たまに爆発。終わればケロリ。
著書に『人と料理』(アノニマ・スタジオ)、『Travel pictures』(PIE BOOKS)、『まよいながら ゆれながら』(文・中川ちえ/ミルブックス)、『祝福』(ORGANIC BASE)がある。




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