<<連載もくじ はじめに>>
自然あそび的ブックガイド
【野外生活・キャンプのための入門書】『冒険図鑑』さとうち藍:文 / 松岡達英:絵 福音館書店(1985)
正統派の野外生活のバイブルとも言える一冊。小4のときに母が買ってきた。後述の「冒険手帳」のようなドキドキ感は少ないが、これを読んでしまったのが運の尽き、もうたまらなくなって次の年(小5)の夏には友だちと2人きりで山で野宿をした。通っている小学校で「子どもだけで野宿するなんて・・・」とわりと大きな問題になったが気に留めず、たくさんの友だちを巻き込んでキャンプを続けた。今もキャンプをし続けているのだから、人生を変えた運命の一冊と言ってもいい。野外活動のことや生活全般のことは全部これで覚えた。味のあるイラストが多用されていて、今読んでも本当に楽しい。当時は友だちと回し読みをし、いろいろ失敗談や改善点を書き込み、落書きだらけになった。その初代はもう手元にない。コイツはまだまだ綺麗な2代目。これからまた気分一新、いろいろ書き込もうと思っている。キャンプをこれから始めたい、という方必携の本。
『冒険手帳』谷口尚規:著 / 石川球太:画(1972)
小学生のときキャンプ仲間でメチャクチャ流行った一冊。オリジナルを紛失し、最近文庫本を買った。行間に溢れる冒険哲学と、イカした漫画にぐいぐいと引き込まれる。目次からして魅力的なものばっかり。
「キツネ、タヌキ狩りはまずドラ猫でトレーニング」
「テン獲りはふたりで行くな」
「かの女とキスできる口移し人工呼吸法」
「ノドが乾いたら道ばたの小石を口に入れる」
「日本人は『結ぶ』達人だった」
著者は自ら考えず作らず行動せずの「冒険の心」が欠如している現代に警鐘を鳴らす。
”「人間らしさ」とはなんだろうか?ぼくはあらゆる行動の原点に、自分自身の頭で下した判断をすえることだと考えたい。ひとが車を買えば自分も車を買い、ひとがボウリングをはじめれば自分もやるといった、「あなたまかせ」の生き方と正反対のものである。いいかえれば、たったひとり無人島にほうり出されたとき、どこまで生きられるかということだといってもいい。
こういう場合、頭よりからだがモノをいうように誤解しがちだが、けっしてそうではない。 ぼくたちの遠いご先祖が、体力だけでおそろしい猛獣に打ち勝ってきたのではないことは、いうまでもないだろう。現代の文明がピンチにおちいっているのは、一見「頭」の勝利があらゆる利便を提供しているようにみえて、そのじつひとりひとりの人間が自分の頭を使うことをまったくしなくなっているからだ。この本で冒険とよぶのは、じつは「人間らしさ」をとりもどすことなのである。”(本文より)
もう40年以上も前の本なのだが、今のぼくたちにも警鐘を鳴らしている気がしてならない。
『元気の出る山の食事』大森博:著 / 森寛子:絵 山と渓谷社(1988)
キャンプでの一番の不安要素は「食事」ではないだろうか?それを見事に、しかも痛快に解決してくれる一冊。ここにあるメニューはほとんど挑戦してみた。クライマーである著者が、シンプルかつ美味しくできる料理を紹介してくれている。特にここに書かれた「肉味噌」は山行に必携の保存食として今もよく作る。そしてあとがきにはこうある。
「一応、料理のプロですが、山ではあまり手のこんだものは作ったことがありません。(中略)山で作るには多少面倒な料理もあるかと思いますが、その通りに作る必要はありません。みなさんが楽しく食事を作るヒントや手助けになってくれればそれだけで幸せです」
季節外れの大雪に見舞われた山行の初日。「ラム肉のビール煮」に失敗、カレー粉を入れて復活を願ったがそれも不味く、沈痛なビバーグ(露営)となったその翌日、この本で知った「ハムステーキハワイアン」の旨かったこと。今でもその対比がありありと脳裏に浮かぶ。
【自然観察のための入門書】
『ソロモンの指環―動物行動学入門』早川書房(1975)
コンラート・ローレンツ博士の愛情あふれる目線で描かれる、自然科学を志す少年少女とそのお父さんお母さんにも読んでいただきたい名著。第1章にある「ハイイロガンが私たちの寝室に入ってくる」という体験こそなかったものの、幼少の頃の我が家ではアヒルとマガモが庭と居間を好き勝手行き来していたし、ギンヤンマのヤゴは羽化をして部屋中を飛び回っていた。きっと両親もこの本から多大な影響を受けていたに違いない。
博士は、こう教えてくれる。
「生ある自然の真実は常に愛すべき、畏敬に満ちた美しさを持っており…自然について知れば知るほど…より永続的な感動を覚えることになる。」
ローレンツ博士の、生き物に対する愛情や飼育観、観察眼といったものは、子どもならだれもが生まれながらしにして持っているものだ。博士は大人になってもその愛情や姿勢を忘れず、さらに深い愛情を持って研究し、ユーモアあふれる文体で書いたのだ。だからぼくたちは少しばかりの懐かしさを感じ、素晴らしい本だと思うのだろう。
『昆虫 ちいさななかまたち』福音館書店(1974)
ものごころついた時からいつも傍らにあった絵本。毎日この本を開いていたと思う。それくらい好きだった。美しい生態画が描かれ、生活環境が分かりやすく描かれている。年少くらいからの子どもに、生き物に興味を持ってもらうなら、一番の入門書になるだろう。やさしいタッチとやわらかい色合いで、ただただ美しい。この本を開くと、嬉しい気持ちが今でも込み上げてくる。
『自然観察入門』日浦勇 中央公論社(1975)
自然を愛し、自然観察を実践する人たちに向けた実用書。著者は大阪市立自然史博物館で学芸員を務めていた方。ぼくが子どものころ後ろ姿を追い掛け回していた、大好きだった先生でもある。
「大阪のアサギマダラを調べる会」という長距離を移動するチョウを調査する会に小学生ながら入会し、野山を歩きまわったり、喫茶店で大人たちに混じってアサギマダラはどこから来てどこへ旅するのかを議論したりした。
先生が急逝されたとき、大の大人たちが号泣していた。ぼくも、大切なアサギマダラの標本を展翅針を抜いてお棺に入れた。子どもたちからはもちろん、老若男女から慕われていた先生だった。
いま自分の子どもと接するようになって、もっともっと勉強しておけばよかったと反省する。自然に対する造詣、そしてその眼差しを向ける愛情を、もっと持ちたいと思う。子どもとともに自然観察をしてみたいという方にはぜひ読んでいただきたい一冊。
【自然観察のための図鑑】
自然観察には図鑑がつきものだ。興味のある分野の図鑑から少しずつ読んでみてはいかがだろうか?以下はぼくの子どものころから愛用し、そして今でも普段使いしている図鑑たち。
ポケット図鑑各種
●保育社 『カラー自然ガイド』
特に樹木は葉形、樹形の全体感が掴めて、いい。大学の講義でも使われている教科書的なポケット図鑑。
以下は保育社のものより大きなサイズだが、いろいろと著者の特徴があって面白い。
●小学館 『川・池の生物』菅野徹
夏の川遊びに。小学館のこのシリーズはイラストがいい。
●小学館 『自然観察シリーズ 日本のチョウ』海野和男 青山潤三
ぼくはこの本の影響でチョウが大好きになった。いまでも同定(種類を特定すること)に、観察にと活躍。
●山と渓谷社 『野外ハンドブック 魚 淡水魚編』桜井淳史
著者の愛情あふれる視点で写真が素晴らしい。地元の古老の話なども載っていて、日本の生物の多様性と古来からの関わりについて知ることが出来る。
●小学館 『フィールド・ガイド 山菜』中川重利
著者渾身の試食体験。植物全体の形、樹木全体の形も分かりやすい写真多数。
●小学館 『日本の野草』菅原久夫
これは春のフィールドに必携。近所の公園までの散歩道で花を見かけた時に。ちょっとした名前の由来もあって、うんちくを披露したくなるはず。
図鑑各種
●旺文社学習図鑑 『生き物の飼い方』
●学研の図鑑 『飼育と観察』
生き物を飼いたいとなったときにぼくはこの2冊を見比べて飼育にチャレンジしていた。ネットで検索してもいいのだが、こうやって本で見ると「おーこんな生き物も飼えるんか!」と意外な驚きがある。
【自然とのつながりを感じることが出来る本】
『完全版 自給自足の本』ジョン・シーモア:著 / 宇土巻子・藤門弘:訳 文化出版局(1983)
中学生のとき、友人宅で見て一目ぼれし購入した本。著者自身がイギリスで実践した内容が、論理的で優しい文章と丁寧なイラストで描かれる。テーマはこんな感じ。
大地をひらく
家畜を飼う
手作りと手仕事・・・
ぼくが趣味にしている菜園も保存食作りも、この本からその魅力を教わった。豚の屠殺の仕方など一見するとグロテスクなテーマも、イラストの力と著者の愛情あふれる眼差しで、魅力的に描き切っている。そして現代に通じる言葉が、巻頭にある。
「本来、人間と動物と植物から成り立っているこの世界は、実にうまく回り回っている。(中略)自給自足の生活では、むだなものは何もない。」
ちょっとでもこの本に近づいた生活を送っていきたい。気軽に絵本代わりにも読めるうえ、マニュアルとしてもきちんと使える。
『土を喰う日々』水上勉 新潮文庫(1982 単行本初版は1978)
ぼくは毎年梅干しや梅酒を仕込む。SNSなどでそういった写真をアップをすると、同僚や知人から「うちももう漬けましたよ〜」とか「おばあちゃんが昔から好きで、棚いっぱいに壺がありましたね」などの話を聞くことが多く、嬉しくなると同時にこの本を思い出す。今住まう軽井沢と、昔住んでいた京都での思い出を中心に、食と自然にまつわるエピソードが書かれている。各月が章に分かれているのだが、例えば「六月の章」。「ぼくにとって梅干をつくることは、いろいろなことを連想させそのいろいろなことを壺に封じこめて漬ける楽しみのようでもある・・・まことに人は梅干一つにも人生の大切なものを抱きとって生きるのである」と綴る。「ろくな小説も書かないで世をたぶらかして死ぬだろう自分の、これからの短い生のことを考えると、せめて梅干くらいのこしておいたっていいではないか」とも。この著者のけれんの無さが、いい。
『色の名前』近江源太郎:監修 / ネイチャープロ:文 角川書店(2000)
ふっとしたとき何気なく手に取る。縮こまった心がほぐれていくような一冊。美しい色の図鑑、写真集といってもいい。例えば「鳥や獣や虫の章」の1番目に「鴇色(ときいろ)」というのがある。トキが羽ばたいている写真とともにこういった説明がある。
「鴇色はトキが飛ぶときに見せる風切羽の色に似たピンクで、女性の和服によく用いられる色でした。(中略)鴇色と聞いてこの風切羽の色を思い浮かべるこのとできる人は、多くはないでしょう。日本でトキが絶滅するときには、この色名もまた失われていくのでしょうか?」
あとがきにはこんなことが書かれてある。「昔から、人は自然の中で、花や空の色の微妙な変化を感じ取り、それぞれにふさわしい名前をつけて表現してきました。それは合成染料も化学塗料もない時代、たいへんな手間をかけて自然から色を得ていたからこそ生まれた感性なのかもしれません。」なるほど、人と自然のつながりはこんな視点からもあるのだなぁ、と感心する。
【冒険に夢を馳せる物語】
『十五少年漂流記』ジュール・ヴェルヌ(1888)
15人の少年が、漂流したチェアマン島ですごす2年間を描く。この本の著者は、日本でもっとも有名なフランス人の一人、ジュール・ヴェルヌ。小学生のとき、これと「宝島」が大好きだった。先日文庫本を見つけて購入した。相変わらず、全編通じていろいろな事件が子どもたちに降りかかりドキドキするのがいい。この物語を通じて、冒険心の大切さ、チームワークの大切さ、そしてリーダーシップの大切さを学んだ気がする。この物語を好きじゃない、という子どもはいないはずだ。世界中の、冒険に胸をときめかせる少年少女たちの物語、と言ってもいいと思う。ぜひこの物語を読んで、旅に出てほしい。「2年間の休暇」という原文タイトルも、憧れた理由の1つ。
『宝島』ロバート・ルイス・スチーブンソン(1883)
小学生のときに読んでいた本。昭和の香りの、リアルな挿絵に唸らされる。ジム・ホーキンズ少年の勇気、海賊たちの裏切り、そしてラムやブランデーを一気にあおる海賊たちとの戦い・・・ぼくは、物語の最後でジムが夢に見るフリント船長の「八銀貨!八銀貨!」の叫び声よりも、最後の最後で裏切って消えたシルバー船長が、突然やってこないだろうかというほうがよっぽど心配だった。いずれにしてもこれほどの男の子の心に焼きついた冒険の物語はない。世の中の男子が、テキーラや焼酎を一気にあおるのをいつまでたっても止めないのは、この物語の影響に違いない。
『お母さんが読んで聞かせるお話』富本一枝:文 / 藤城清治:絵 暮らしの手帖社(1972)
子どものころから家にあったが、”お母さんが読んで”くれたことは一度もなく、自分で読んでいた。世界中で繰り広げられる冒険のお話が数多く収録されている。影絵は、『銀河鉄道の夜』の藤城清治。デビュー作でもある。文章を書いたのは富本一枝。彼女は女性民権運動家で、平塚らいてうと並ぶ人だったらしい。祖母がいつも平塚らいてうの話をしていた記憶がある。大正生まれで女学校で派手にやらかしていたという祖母。これは祖母の蔵書だったのだろうか?この本が家にあったこともうなづける。ぼくは大学生の頃YMCAのキャンプリーダーをしていたのだが、夜に子どもたちが寝ずに困り、家にあったこれを持ち出した。子どもたちはびっくりするほど素直に聞き入り寝入っていった。ぼくのような新米キャンプリーダーにとっては魔法のような本だった。それをどこかのキャンプ場に忘れてきたらしかった。先日ネットに中古本が出ていたので、高かったが購入した。相変わらずいい。この広い世界に散らばっていて、星のように輝き続ける物語たち。その豊かな物語の想像力をかき立てる素晴らしい影絵。子どもたちに聞かせることはもちろん、大人にも読みごたえがある。こういった子どもに媚びない本が懐かしい。秋冬の夜長に読んでみてはいかがだろうか?後世に残したい一冊。
選んでみて「●●キャンプ場ガイド」などの本が一冊も入っていないことに気がついた。そういえばそういった本をほとんど読んだことがない。ちょっと偏った選択になってしまったことをお許し願いたい。どの本も読むと、直接的にも間接的にも「外に出たくてたまらなくなる」「ウズウズしてしまう」という本ばかり。本を読むことは、世界を広げること。本を読むことは、再び空の下、野山へ海へ川へ飛び出していくこと。少しでもその手助けになれば幸いだ。