アノニマ・スタジオWebサイトTOP > トークイベントレポートもくじ > 野村美丘さん『わたしをひらくしごと』公開インタビュー@広島 READAN DEAT店主 清政光博さん
2019年4月21日
野村美丘さん『わたしをひらくしごと』公開インタビュー
@広島 READAN DEAT店主 清政光博さん
2019年4月21日に、広島の書店「READAN DEAT」の店主・清政光博さんに『わたしをひらくしごと』著者の野村美丘さんが公開インタビューを行いました。書店で、満員のお客さんを前にして行われた公開取材のもようをご紹介いたします。
●俺がやるしかない
清政光博さん
今日は『わたしをひらくしごと』の著者である野村美丘さんによる、僕の公開インタビューということで。初めてのことなので、果してどうなるのか全然予想がつかないのですけれども、そんなイベントにお越しいただきありがとうございます。それでは野村さん、自己紹介からお願いできますか。
野村美丘さん
はい、よろしくお願いします。私は普段フリーランスでライター・編集者として雑誌や書籍に記事を書いたり編集をしたりしていますが、自分が著者になるのはこの本が初めてでした。本に登場していただいた15組のなかのひとり、尾道在住の新里カオリさんに、「広島で出版記念イベントをしたい」と相談したところ、真っ先にREADAN DEATさんを推薦してもらい、今回のイベントが実現しました。
この本では、取材対象の活動拠点にお邪魔してインタビューしました。2~3時間で一気にしゃべってもらうこともあれば、泊まり込みで話を聞くこともありましたが、今日は制限時間が1時間半。しかも、拠点にお邪魔するという点ではいつもどおりですが、たくさんのお客さまの前でのインタビューになります。清政さんは、こちらの店主という立場上、ホストでもあり、でもインタビューのゲストでもあるわけで、どう立ち振る舞えばいいのかちょっとお困りかもしれません(笑)。
清政さん
はい(笑)。でも、楽しみです。この本ではおもしろい人たちばかりにインタビューされていますが、今日も野村さんの視点ならではの投げかけがあるのだろうなと思って、わくわくどきどきしています。
野村さん
まだ何も考えてないです(笑)。事前にあまり用意しないスタイルでやっているもので、今日もノーガード戦法でいきたいと思います。さて、今日お集まりのみなさまは、こちらのお店と清政さんが好きな方たちばかりだと思います。
清政さん
そうでしょうか。
野村さん
そうじゃない? だからご参加くださったんだと思います。今日は、清政さんがどうして今、ここでこうしているのかを少しひもとければと思います。「なんで本屋さんになったの?」を教えていただく前に、そもそも本好きだったのか、というあたりから伺えればと。
清政さん
ええと、まず僕は、広島市内ではなくて三原市出身なんです。三原にはそんなにおもしろい場所がないというか、中高生の頃、行く場所といったら本屋さんぐらいしかなくて。
野村さん
いわゆる「街の本屋さん」?
清政さん
そうです。そこでよく時間を潰していたんですが、かといってべつに読書家というわけでもなく、雑誌とかをパラパラめくるのが好きでした。読書感想文なんかも苦手でしたしね。
野村さん
じゃあ本屋さんからすれば、立ち読みだけしていくような、あんまりいいお客さんじゃなかったんですね(笑)。
清政さん
好きな雑誌があって、『relax』というカルチャー誌なんですけど……。
野村さん
あれ? 清政さんって今、おいくつでしたっけ。
清政さん
今年38歳です。高校生のときに『relax』を知って、何度も読み返して。インターネットもまだそれほど普及していない時代だったので、雑誌からいろんなことを教わっていたんですね。
野村さん
なるほど。最初は就職されたんでしたっけ?
清政さん
大学を卒業して、広島で本とは関係のない仕事に就きました。DTPでチラシをつくったりする仕事。
野村さん
DTPが出始めの頃ですか?
清政さん
2004年でしたので、仕事としてはある程度めずらしくないものになっていました。今もチラシなどは全部自分でつくっています。
野村さん
そうなんですか! すでに今につながっていますね。興味があってその方面に進んだんですか?
清政さん
それが僕、本を読まないくせに文学部だったりして、めちゃくちゃなんですけど(笑)。制作未経験でも採ってくれたのでその会社に就職したんですが、28歳のとき、東京の事業所に転勤になったんです。
で、普通に仕事していて、30歳という節目が近づいて……このまま働き続けるのはなんか違うな、新しい道がないかな、とぼんやり考えるようになりました。とはいえ、特にやりたいこともなく、もし転職するとしてもまた同じような職種だろうなとなんとなく思っていたんです。そしてちょうど30歳になった年、3.11が起きて。自分にとっても大きな出来事で……。
野村さん
東京であの地震を体験した?
清政さん
会社が池袋にあったので近くに住んでいて、その日は夜勤明けで午後3時出社だったので、ちょうど家を出るときにものすごく揺れて。自転車通勤をしていたんですが、家にいてもしょうがないので、とりあえず自転車を押して会社に向かいました。
野村さん
会社に行ったんですか!
清政さん
池袋駅に着いた頃に、もう一度大きな揺れがあって。人がたくさんいて、映画の『シンゴジラ』みたいな状況でした。会社には行ったのですが、その日は仕事もなく、帰宅してニュースを見ていました。
この出来事を受けて、自分ができることはなんだろうかと考えました。半年くらいは募金なんかもしていたんですけど、何かそういうこととはちょっと違う。やろうと思えばなんでもできるはずなのに、そうせずにぐちぐち言っている自分が違うんじゃないか、と思い至りました。本当にやりたいことを見つけなければ、という気持ちはあるのに見つからないという時期が半年くらい続きました。
野村さん
でもDTPは希望して就いた仕事だったんですよね?
清政さん
そうなんですけど、だんだんと心が擦れてきたというか。いろんなことを学ばせてもらって、ありがたかったんですけど。
そんな頃、広島のパルコにあった「リブロ」という書店が閉店することをたまたま知ったんです。洋書やデザイン誌を扱っていて、カフェも併設されていて、広島で唯一のカルチャー系の本屋で、住んでいた頃はちょくちょく行っていました。
そこが閉店すると知ったときの感情をストレートに言うと「広島、終わってんなー」。自分の好きな文化的な場所がなくなるのが理解できなかった。愛憎入り交じった感情がこんなに強く出てくるとは我ながら思いませんでした。「広島、終わってんなー」と。
野村さん
2回言いましたね(笑)。
清政さん
広島出身だからこそ言えることで、他県の人から言われたらイラッとしますよね。こんなに憤りを感じる自分が意外ながらも、次の瞬間には「これは俺がやるしかない」と。
野村さん
すごい、エゴが出てきた!
●受け身から能動へ
清政さん今までの人生を振り返ると、それまでは受け身で生きていたと思います。進学も就職ももちろん自分で選んだんですけど、目の前にある状況をただクリアしていくようにして進んでいただけ。だからこの「自分でやろう」と思った瞬間が、今までの自分のなかでいちばん能動的になった瞬間でした。
それが2011年10月で、半年後に会社を辞めました。それで、東京の書店で2年間修業してから、広島で本屋をやろうと決めました。
野村さん
その瞬間までは、「独立しよう」とか「店をやろう」とか、ましてや「本屋になろう」なんてことは一切考えたことがなかったのに、その憤りの瞬間、いっぺんにそうした思いに至った?
清政さん
今から思うといろいろと兆しはあって、転職したいと考えていたり、震災を機に生き方や働き方について思いを巡らせていたり、会社勤めで貯金という元手もあったり。
野村さん
その、急な激しさがすごくおもしろいですね。新里さんが清政さんを「穏やかな外見と激しい内面のギャップがおもしろい」と評していた理由が垣間見えた気がします。では、そこからまったく違う、第二の人生ですね。
清政さん
そうですね。会社を辞めてから求人をチェックしていたら、書店をゼロからつくるインターンの募集を見つけました。それが下北沢の「B&B」で、業界の仕掛け人である内沼晋太郎さんの運営なので、いろいろ人脈ができたらいいなという目論見もあって応募しました。それで、ペンキ塗りから店づくりに関われることになりました。
野村さん
インターンは他にもいたんですか?
清政さん
いました。大学生が多かったので、紛れて。
野村さん
社会人になってから合宿免許を取りにいくみたいな。
清政さん
まさにそういう状況(笑)。ちょうど2年間、そこで働きました。特に選書についてはすごく学ばせてもらいました。「B&B」ってイベントが注目されがちですけど、じつは選書がすごいんですよ。店に立ってる間、棚を見ては自分の店に置く本をイメージしていました。
同じ頃、品川駅の構内にある本屋でも働いていたんですけど、そちらでは逆に、自分の店では置いちゃいけない本について学びました。
野村さん
ずいぶん客層も違いますもんね。どういう本を置いてはいけないと思いました?
清政さん
出版不況とはいえ、本って日々たくさん刊行されていて、商品が毎日入荷するんですね。品川はビジネス街だし、新幹線も止まるので観光客も多い。コミック、ビジネス本、雑誌などいろいろあるんですけど、同じような雰囲気の本が次々に届くんですよ。ちょっと言いまわしを変えただけとか、同じようだけど出版社が違うとか。ああ、こういうのはダメだな、と。
野村さん
どうすれば健康になるとか、こうすれば仕事ができるようになるとか、いろんな指図だらけで気が遠くなりますよね……。さて、本屋を開くという明確な目標に向かって、東京で働きながら広島で物件探しをしていたんですか?
清政さん
物件は店を始める1年ほど前から本格的に探し始めました。今のこの物件も、じつはその頃一度見にきているんです。でも路面店じゃないし、ちょっと違うかなあとそのときは保留にしました。まだあと1年あるんだしと思って。
野村さん
あと1年あるって、自分で決めてるだけですよね(笑)。
清政さん
いろいろまわったんですが、やっぱりなかなか見つからないまま、広島に帰る2ヶ月くらい前ですか、まだここが空いてたんです。それでもう1回見にきて、今度は決めました。
野村さん
決め手はなんだったんでしょう?
清政さん
最初のときもいいなと思ってはいたんですけど、2回目に来たときは別の不動産屋さんが紹介していて、ちょっと安くなってて(笑)。オーナーの方ともそのときお話ししたんですけど、いろいろとよくしてくださったので。
野村さん
なるほど。今日、私は昼間ここに来て、棚が楽しすぎてなんと3時間も過ごしてしまったんですが、場所自体もとてもいいですよね。大きな窓から陽光が入ってきて。ときどき聞こえてくる路面電車の音もすごくいいですよね、と清政さんに言ったら「そうですか? 僕、毎日いるから気がつかない」って(笑)。
清政さん
むしろ、うるさいなあと思うことも(笑)。
●中身と外見は比例する
野村さん
そうして店の場所が決まったんですね。その2年間で、万端に準備はできましたか?
清政さん
たぶん準備しようとすればどこまでもできるんですけどね。オープン当初は本ももっと少なかったんですよ。
野村さん
扱っている本はすべて読破しているものですか?
清政さん
読んでないです。
野村さん
即答ですね。
清政さん
よく訊かれるんですけどね。でもたぶん、どこの本屋さんも読めてはいないはずです。
野村さん
まあ、そりゃそうですよね。
清政さん
でも開店前の2年間、休日には古本屋さんをまわりまくって、自分の店に置きたい本を選ぶ、いわゆる「競取り」もしていましたから、なんとなくわかるんですよね、「この本はいいな」っていうのが。いい本は装丁もいい。中身がいい本は、外身もいいんですよ。
野村さん
わかる! 人も一緒だよ、それ。
清政さん
本も人みたいなものですもんね。ブックデザインは重要ですよね。
野村さん
そう思います。『わたしをひらくしごと』のブックデザイナーに、本のなかのインタビューにも出てもらっているのですが、まさにそういう話をしていて。いくら中身がよくても、そもそも外身がよくなければ書店で手に取ってもらえない。だからいかに目が止まって触りたくなる表紙にするかが大事だと。
清政さん
そうですよね。編集者や著者の愛が込められた本って、見た目もおろそかにできないというか。見た目は意外に重要ですよね。
野村さん
重要、重要。でも魅力って、にじみ出てきちゃうものですよ。清政さんはそうやってたくさん見て、本について鼻が利くようになったんですね。
清政さん
自分の選択眼ができてきましたね。
野村さん
それは単純に自分好みということでしょうか。それとも個人の好みからは一線引いて、書店として「こういうスタイルにしたい」という選択眼なのか、どっちでしょう。
清政さん
街の本屋さんなので、いろんな人に手に取ってもらいたいというのはベースにありつつも、自分ひとりで選んでいるので、どうやっても自分が出るというか、人んちの本棚みたいにはなっている気がします。でも、自分好みとかお客さん好みとか、そういうことはぜんぜん意識していないですね。とにかく「いいな」と思う本。
野村さん
ところで「リブロ」のことは、選書のときにはもう頭にないんですか? 「リブロ」を背負って立つ男でしょ(笑)。
清政さん
「リブロ」なきあと、広島のカルチャーに強い本屋をやっていこうという思いについては、機会があるごとにお話ししてきました。
ちょっと余談なんですが、東京の荻窪に「Title」という本屋がありますよね。「Title」のオーナーの辻山良雄さんは独立前「リブロ池袋店」のマネージャーだったんですが、その前は「リブロ広島店」の店長でした。奇しくも僕が通っていた時期です。ご本人からこのことを伺ったときにはびっくりしました。辻山さんの本の展示を6月にここで行います。辻山さんがいらっしゃいますので、みなさんよろしければ、ぜひ。
野村さん
「Title」は新刊を扱う書店です。つまり、全国どこでも、インターネットでも手に入る本が置いてあります。それなのに遠方からお客さんが来る。駅からけっこう遠いし、決していい立地にあるわけではないのに、いつ行ってもお客さんがいっぱいで、すごいことだなあと思います。
清政さん
お客さんは、本はもちろんですが、本屋が好きということもあると思うんですよね。本屋で買ったら、この本はあそこで買ったなあって覚えていたりするじゃないですか。リアルな場所に出向いて、そこで人と会話をしたり本を手に取って買ったりという行為に意味や価値があると思っている人が、「Title」のような書店に行くのではないでしょうか。
野村さん
それはこのお店にもいえることだと思います。さっき「自宅の本棚を人に見せてしまっている」というようなことをおっしゃっていましたけど、清政さんのキャラクターが選書に出ちゃっているわけですよね。
清政さん
出まくってますね(笑)。
野村さん
お客さんはそれを楽しみにくるというか、「この本の隣にこれがあるのか」という並びのおもしろさとか、ここだからこそ関連して出会える本がありますよね。本の内容の魅力がブックデザインに表れるのと一緒で、にじみ出ている店主の個性を味わうことができる。だからこそ駅から遠くても、路面店じゃなくても、お客さんはわざわざ来るのかな。
清政さん
そうですね。
●もうひとつの柱
野村さん
お店の商品の半分が本で、半分が器ですよね。器というのはどういう経緯で?
清政さん
25歳くらいのときかな、たまたまごはんを食べにいったレストランの横にギャラリーが併設されていて、作家さんの器が置いてあったんです。それまで作家ものなんて買ったこともなかったし、そんなに安くもなかったんですけど、いっぱい並んでいるなかでひとつだけどうしても気になって、買ってしまったんですよ。「どうしてこれがいいと思ったんだろう?」って、自分のことながら理解できないことに興味が湧いて、それからいろいろ店を見てまわるようになりました。
で、本屋をやっていくのは厳しいことだというのもよくわかっていたので、別の柱が何か欲しいと思ったときに、自分の好きなことをすればいいんだな、と。本だけでは利益は少ないけれど、器は本の足りないところをカバーしてくれて、相乗効果があるんじゃないかと思って。
野村さん
たとえば、器を使って食べ物や飲み物を出すとか、そういう方法もありますよね。
清政さん
単純に、飲食の経験がなかったので。
野村さん
本屋も器屋も経験がなかったでしょうに(笑)。器の作家さんとはどういうおつき合いなんですか?
清政さん
それこそ本当に素人だったので、それを逆に利用して、気になる作家さんに連絡しました。もちろん断られてしまった方もいます。
野村さん
本の場合は、作家側が「この店には置かない」みたいなことはありませんが、器の作家さんなんかの場合はけっこうありますよね。
清政さん
作品のイメージもありますし、近隣の他のお店で扱っているとダメとかありますね。器に関しては本当に素人で、店を始めてからお客さんにも教えてもらったりしてちょっとずつ学んでいったんですけど、今度の6月で開店から5年、ようやくこれでいいんだと思えるようになってきました。純粋な器の店でもなければギャラリーでもなく、ベースは本屋なので、他店ではできないことをやればいいんだとわかってきたというか。テーマをもたせたりアイデアを盛り込んだり、要は企画で見せていく方向性に切り替わってきたんですね。
野村さん
それって簡単ではありませんよね。
清政さん
でもそういうことをやっていくと、ここだったら冒険できる、遊べる、と思ってもらえて、逆に作家さん側から提案をもらえたりもして。
野村さん
じゃあ今、安定期に入ったところなのかな。
清政さん
精神的な安定期ですね(笑)。挑戦した展示だからといって、必ずしも売れるわけでもありませんから。でも、作家さんにも持って帰ってもらえるものがあれば、それはそれでいいのかな、と。人がつくるものなので、やっぱり人が大事なんですよね。作家さんとは、「今回はこうだったけど、次回はこうしよう」と相談できるような、長いつき合いをしていきたいので。
野村さん
持ち込みとかもあるんですか。
清政さん
ないですね。本の持ち込みは逆にたくさんいただくんですけど。自費出版だったり、同人誌だったり。申し訳ないことに、お断りすることも多いのですが……。
野村さん
というのも、「委託販売」といって、出版社がつくった本は「取次」という機関を通して流通していて、通常、書店に並んでいる本というのは、書店が借りている状態なんですよね。売れなかったら返本できて、いいところも悪いところもある仕組みだけれども、それに対して、このお店の場合は売れなかったらそれだけ損しちゃう「買い取り」でやってるんですよね。
清政さん
ほぼ買い取りです。店の財産なので、本が傷んだりするとけっこう辛いです。もともと小さい個人本屋は、取次と呼ばれる卸会社と契約するのが難しいんですね。保証金や利益率の問題があったりして、買い切りを選ぶケースがほとんど。本屋って利益率が低いんですよ。
野村さん
出版社だって著者だって、本にまつわることは全体的に利益率は低いですよね。買い取りでやってるって、すごいですよ。大変ですよね。
清政さん
それはわかっていたので、こういうトークイベントができるようにしたり、物販もやったり、展示スペースをつくったり。自分なりにいろいろやれることはやりつつ本屋をやっている、という感じです。
●超現実問題
野村さん
今、精神の安定を手に入れて。ここに骨を埋めるつもりでいますか?
清政さん
いや、そんなことはないですね。けっこう貯金を使って始めてしまったことだし、何年かはやってかなきゃいけないですけど、でも一生本屋だという思いは正直、そこまでないですかね。
野村さん
パッションがあるように見えますが、意外にそうなんだ。
清政さん
もちろん場所としてあり続けることには意味があるので、これからもそういうことはやっていきたいんですけど、個人的には本の業界に関してはけっこう悲観していて。こういうスタイルで今なんとか成り立っていますが、これからどんな世の中になっていくか正直、わからないじゃないですか。たとえば、iPhoneが登場する前と後の世の中は全然違う。そういうイノベーションが何かしら起きて、紙の本がなくなるということあるかもしれない。配送料も上がっていて、今年に入ってから仕入れに送料がかかるようになったんですよ。それが大きくて。
野村さん
超具体的な話! 送料って、いくら以上で無料、とかでしょう?
清政さん
販売価格3万円以上を1回で注文すると送料無料でした。それが金額問わず送料がかかるようになってしまって。
野村さん
それは痛いですね……!
清政さん
こういう小さい店では特に大問題で。今後、配送料が下がることはないだろうし、もっと上がる可能性もあると考えたときに、商売の柱として本をどう据えていくかというのは、けっこう難しい。東京に一冊の本だけを売る「森岡書店」のようなスタイルもあるし、入場料制の「文喫」という店もできましたよね。そういういろんなやり方をして本屋であり続けていくんだと思うんですけど、いち地方都市の本屋でどこまで意地を張るかというのを、まだ思い描けていません。たとえば20年後、この場所がどうなっているか想像できないですよね。
野村さん
でも、誰かに「広島、終わってんなー」と言われないようにしないと(笑)。
清政さん
本当ですよね(笑)。
●温泉効果
野村さん
店名がめちゃくちゃいいですよね。
清政さん
そうですか、どのへんが?
野村さん
誰でも知っている言葉なのに、区切りを変えただけですごく新しい響きになるというところが。そして店のテーマを一言で象徴しちゃってる。
清政さん
何語ですか、とよく言われます。そこまで意味に気づく人もあんまりいませんよ。
野村さん
どう思いついたんですか?
清政さん
すごく小さい話なんですけど、ネットで検索したときに被らないのがいいなと。
野村さん
それ、大事です。
清政さん
いろいろ考えて、これで行こうと。
野村さん
って、思いつくのがすごいですよ!
清政さん
いや、悩んでたんですよ、どうしようかなと。温泉の力ですね。温泉に入ってたらこう、ポッと思いついて(笑)。
野村さん
すごいんだね、温泉の力って(笑)。いつ決めたんですか?
清政さん
まだ会社員だった頃に。
野村さん
へえ! 思い込みがひどい(笑)。実際に行動に起こす前に店名まで決めてあったんですね。そう考えると、ここまで長い旅路でしたね。
清政さん
5年経ってようやくスタートというか、ようやく腑に落ちてきたなというのはありますね。
野村さん
年月もそうですが、きっと年齢もありますよね。広島についてはどうですか? 好きですか?
清政さん
「リブロ」もそうですけど、愛憎まみえてる感じ。地元がめちゃめちゃ好きというほどでもないけれど、他の人にけなされたらカチンと来ます。でも戻ってきて広島市内に住み始めてから、すごくいい街だなと思うようになりました。よそに出て初めてわかったというか。なんかこう、ゆったりとしてるんですよ。ちょっとシャイだけど、通じ合うものがあると本当によくしてくれる人が多い。
野村さん
広島の方はシャイなんですか?
清政さん
けっこうシャイだと思うんですけど、どうですかね。
野村さん
わしゃあ、シャイじゃけぇ、という感じでしょうか。
清政さん
そういう人はいないと思います(笑)。でも本当に、ここを続けてこられたのは、そういう通じ合うものがある人たちが来てくれているからなので。
野村さん
そうですよね。当たり前ですが、お客さんがいないと成り立たないですからね。「お客さまのおかげ」といい締めになったので、ここでひと区切りにしましょうか。いつものイベントでは質問コーナーとかあるんですか?
清政さん
質疑応答はだいたい、みなさん手が挙がらないんで……。
野村さん
シャイだから(笑)。
●そのタイミングは、きっと訪れる
野村さん
(会場に向けて)どうでしょうか。何かありませんか?
(手が挙がる)あ! ありがとうございます。どうぞ。
質問者
夢に向かっていくのに、自分だけだったら行けるじゃないですか。そこに結婚とかがあると、どうでしたか?
野村さん
いつご結婚されたんですか?
清政さん
一昨年です。もちろん、家族がいなかったからフットワークが軽かったというのはあります。でも、やりたいことが見つかったとき、それを相談し合えるのはいいですよね。
野村さん
たしかにそうですよね。出産や子育てがあるとまた違うかもしれませんが、私の場合は夫がいたからフリーランスになれたのかも。ひとりだったらちょっとふんぎりつかなかったかもというのはあります。
清政さん
でも僕自身は、「リブロ」が閉店するまではやりたいことがなかった。だから今となっては、閉店したことがありがたかったですね。
野村さん
ほんとですよね。「リブロ」があったら今の清政さんはなかった。
清政さん
僥倖というか、めちゃめちゃ幸せなことだったなと思います。実現できてるから言えてるんだと思いますが。やりたいことが見つからなかったのに、見つかってそれをできていることが、いちばん大きいですかね。
野村さん
別のトークイベントでも話したことなんですが、最近読んだ本に書いてあった言葉で、誰でもつねに自分にとって最善の選択をしてきているんだ、と。あのときこうすればよかった、とあとになって思うことがあるかもしれないけれども、その判断をした時点では、それがベストだと思って選択をしたはずだ、その最善の選択の連続で今日があるんだ、というんですね。ということは、今日の自分がオールOK。
清政さん
めちゃめちゃいいですね。それでいうと、僕が東京に転勤になった理由って、自分がしでかしたミスなんです。
野村さん
あ、栄転じゃなくて、左遷だったの!?
清政さん
はい(笑)。すごく落ち込みました。
野村さん
何やったの?
清政さん
カタログ制作で商品の金額を間違えたんです。何度か繰り返してしまって怒られました。東京のクライアントだったんですけど「つくってるやつ、こっちに来い!」と。
野村さん
「あっち行け!」じゃなくて「こっち来い!」と。
清政さん
はい。直接通わせろ!みたいな。その瞬間は辛い出来事というか、じつはちょっとうきうきしてましたけど(笑)。でもそういう機会でもなければ東京にも行ってないし、ということは今ここにもいないでしょうし。
なので、自分は30歳でやりたいことが見つかりましたけど、たぶん人生のなかで、そういうタイミングって誰にでも訪れると思うんです。10代かもしれないし60代かもしれませんが、それをキャッチすることができたら、それはもうその人の人生の勝ちというか。勝ち負けじゃないんですけど、そんな気はしています。僕みたいに、なんとなく生きてきちゃったという思いをもった人は、世の中に他にもいると思います。でも、そういうタイミングが訪れると思ってほしい。
野村さん
いいこと言ってますね。じゃあ本屋をやろうと思って以降は、なんとなく生きてきちゃったという気持ちは消えたんですか?
清政さん
今は全然ないですね。店を始めて、大変なことはもちろんいろいろあるんですけど、ノーストレスで。なんというか、生きてる感じはしますね。
たとえば仕事は仕事として割り切ってプライベートを充実させるとか、人それぞれ大事なことは違うと思うんですけど、自分にとってはこの店をやってることがいちばん幸せで、やりたいことをやってる感じです。それをどうやって続けていくかとか、今後どういうスタイルにしていくかというのは、どんどん変わっていくと思うんですけど。
野村さん
たしかに、何かと比べたりするのは全然意味がなくて、その人にとってストレスがないのがいちばんいいんですよね。『わたしをひらくしごと』に登場してもらった15組も、みんなそれぞれに違いますけど、「この生き方がいいよ」というんではなくて、「みんなちがって、みんないい」よねっていうことを言いたかったんです。
清政さん
品川駅構内の本屋で働いてたとき、前の会社の後輩にばったり遭ったんです。彼は広告代理店に転職していて、パリッとスーツを着てイケイケだったんですよ。僕のほうは遅刻しそうで、エプロン姿で構内をダッシュしてて。そこで遭遇したとき、それまでの自分だったら、すごくこう、消えてしまいたいと思ったと思うんですが、そのときはエプロン姿の自分が誇らしいと思えた。自分のなかにやりたいものが見つかっているから、プライドじゃないですけど、生きてるって感じがしてるから、全然気後れはなかったんです。
野村さん
今、ちょっと泣きそうになっちゃいました。でも、本当にそうですよね。イケイケのビジネスマンがかっこいいっていう価値観はたしかに存在するけど、それは誰か他の人の価値観だからね。エプロンがかっこいいのが、自分の価値観。他人の価値観を自分の価値観だと思い込んでいることってけっこうありますよね。それでもって「こうあるべきだ」って思い込んでるけど、「本当にそう?」と自分の本心に聞いてみると、じつは全然そう思ってなかったりして。世の中的にはとか、他人がそれをかっこいいと言っているとかいうことで、それが自分にも当てはまると勘違いしていることってけっこうあると思う。だけど、自分の物差ししだいで、いくらでもハッピーになれるんですよね。清政さんもまさに、自分の物差しを見つけたんですね。
清政さん
これからもこの場所でできることをいろいろやっていきたいと思います。
野村さん
きっともっと味も出てくるし、お客さんとのつき合いも深まっていくだろうし、もっと楽しくなりそう。しばらくは続けてください。
清政さん
ずっとやっていきたいという思いはもちろんあります。ただ、縛られるのとはまたちょっと違って、自分がこれで行こうと思ったときには、すっぱり次のステージに進むかもしれないということです。個人店なのでどうしても体力の衰えや経済的な事情などがあるかもしれないですけど、やっぱり閉めるときは来るんですよね。その瞬間まで店にいるというのが、個人店の意味というか、辞めることも含めて、店をやるということだと思います。
野村さん
死にざまが生きざまだ、みたいな話ですね。自分が見届けるというか。
●否定されないことの強さ
野村さん
他にご質問がある方……はい、どうぞ。
質問者
夢を実現するまでに、気持ちが揺らいだことはありましたか?
清政さん
時折そういう瞬間はありました。2年間は修業期間だと決めていたけれど、本当に実現するのかなあと思うことはありました。
野村さん
今もありますか?
清政さん
今はないですね。店ができるまで、本当に本屋ができるのかなとか、そういうぼんやりとした不安はありました。でもそれを打ち消すのに力をもらったのは、広島で本屋をやるつもりだっていうのを周囲の人に言ってたんですよ。
それを最初に言ったのは、僕が会社を辞めたときに大学時代の友人たちが開いてくれた飲み会で。「これからどうするの?」と言われたときに「本屋をやる」という一言が出てこなくて。それこそ他人の物差しじゃないですけど、「30歳にもなって何考えてんの」っていう答えが返ってくるのがすごい怖くて、なかなか言えなかったんです。それでも小声でぼそぼそと、「いや、自分、広島で本屋やろうかな……」っていう感じで話したら、意外にみんな「いいじゃん!」とか、「がんばって!」とか言ってくれたんですよね。
全員が本気で賛成してくれてたわけではないかもしれないけど、少なくとも否定はされなかった。否定されないということがこんなに力になるんだと思いました。そうやって口に出していると、イベントや講座の情報を教えてくれたり、出版関係者が集まる飲み会に呼んでくれたり。言霊じゃないですけど、口にするというのは、相手に宣言すること以上に、自分のなかで腑に落ちるのと、それを否定されないことで力になるということ。
野村さん
おもしろい! 既成事実をつくっちゃうわけですね。
清政さん
唯一、おばあちゃんは商売するなって反対してたんですけど。でも、開店して数ヶ月後に、おばあちゃんがお祝いを持ってきてくれたときはちょっと感動しました。
野村さん
反対したのも、孫がかわいくて心配して言ってたわけですからね。いい話ですね。他にありますか? どうぞ。
質問者
いろんな人と出会ったりするなかで、苦手な人と対峙することもあると思うんですが、人とつき合うときにどういうことを気をつけていますか。
清政さん
無理をしないというのはけっこう大事で。うちの場合、器でいうと、作家さんと話してみて感覚が合わないと、お互いにとってよくない結果になるのではないかと。個人店なので、個と個のつき合いができるような人とやりたい。だから無理したり、見栄を張ったりは極力しないようにしています。コミュニケーションの話は、僕が聞きたい(笑)。どうですか、インタビュアーとして人にお話を訊くというのは?
野村さん
お、逆質問が来た!
清政さん
この本の取材対象はお知り合いばかりだと思うんですけど、初対面の人にインタビューする場合は下調べはするんですか? もし現場でその人と合わないと感じたときはどうしますか?
野村さん
合わないと思っても、仕事なので取材は完結させなきゃいけないんですけど、実際そういうことはあまりないですね。こだわりの店をやってる職人気質の頑固親父とか、「うちはべつに取材なんてしてほしくないんだよ」っていう人はけっこういますが、そういう人ほど最終的にはよくしゃべるので(笑)。バリアが解けてしゃべり出すスイッチみたいなのを探るのは、けっこう好きかも。帰るときに「また来なさい」と言ってもらえるところまでもっていけると大成功ですね。
下調べに関しては、あまり準備万端にしていかないようにしています。自分も取材される側になったことがありますが、事前に用意してきた質問を読み上げるだけのインタビュアーがいるんですよ。自分が質問することしか頭にないから、こっちが何を応えてもあんまり関係ないというか、響かないというか。でも、それならメールのやりとりでいいので。会話がキャッチボールになったり広がったり、生の会話で何が出てくるか、知らないことをどれだけ引き出せるかを大事にしているかもしれません。
清政さん
なるほど。
野村さん
接客の参考になったでしょうか(笑)? でも清政さんも、全然苦手には見えないですけどね。
清政さん
店を始めてから人と話す機会が増えたので、苦手意識は少しずつなくなってきました。
野村さん
自信をもってください。ということで、こんなところでしょうか。
清政さん
(会場に)今日はどうでしたか? 何かしら持って帰っていただける話ができたかな。どうやって締めましょうか。……今日は、『わたしをひらくしごと』の出版記念で、READAN DEAT店主の私、清政光博の公開インタビューでした。インタビュアーの野村美丘さんに拍手をお願いします。
野村さん
そして、インタビュイーは清政さんでした。ありがとうございました!
(人物写真提供:新里カオリさん)
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清政 光博(せいまさ・みつひろ)
1981年広島生まれ。東京・下北沢の本屋B&Bと品川のエキナカ書店で2年間働いたのち2014年にリトルプレスや写真集、暮らしやデザインにまつわる本と、作家のうつわや民藝の品を扱う店、READAN DEAT(リーダンディート)をオープン。店内では企画展のほか、トークイベントやワークショップなども精力的に行っている。
http://readan-deat.com/
野村 美丘(のむら・みっく)
1974年、東京都出身。
明星学園高校、東京造形大学卒業。
『スタジオ・ボイス』『流行通信』の広告営業、デザイン関連会社で書籍の編集を経て、現在はフリーランスのインタビュー、執筆、編集業。文化、意匠、食、旅、犬猫、心と体、ルーツなど、自分の生活と興味の延長上をフィールドに公私混同で活動中。初の著書『わたしをひらくしごと』の撮影はカメラマンである夫が担当。
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