アノニマ・スタジオWeb連載TOP > トークイベントレポート もくじ > 『おいしい時間』発売記念 高橋みどりさんトークイベント@無印良品 京都山科店 2019年12月7日
『おいしい時間』
発売記念
高橋みどりさん
トークイベント
@無印良品 京都山科店
2019年12月7日
司会進行:編集担当・村上妃佐子
(アノニマ・スタジオ)
写真:近藤篤(書籍『おいしい時間』より)
――2019年6月に刊行した、高橋みどりさんの『おいしい時間』を記念して、『暮しの手帖』の当時副編集長だった北村史織さん(現編集長)とのトークイベント(BOOK MARKET 2019)や、代官山蔦屋書店では編集者の井出幸亮さんとトークイベント、また神戸のMORISさんでお茶の淹れ方とともに本のお話をする刊行記念イベントを行っていただきました。今回、京都では初の刊行記念イベントとなります。みどりさんは久しぶりの京都ということですが、街や無印良品京都山科店の印象などはいかがでしょうか。
京都はいつ来ても、仕事でも観光でも楽しい気分になれるので、今日は久しぶりで嬉しいです。私は山科に伺ったのは初めてで、琵琶湖線というのも初めて乗って、新鮮でした。地下からあがって無印良品の店舗に入って、とても広いし、お昼も軽くいただいてとてもおいしかったし、家族感があって清潔感もあってとても良い印象です。好きな方向です。何だか、えらそうですが(笑)
――『おいしい時間』という本は、みどりさんの現在の生活の時間軸……朝の時間、お昼の時間、お茶の時間、夜の時間、黒磯の時間という構成になっています。こうして本という形になっていると、こうあるべくしてあるという存在感ですが、ここに来るまでに色々と経緯がありました。みどりさんから、今回の本を作ろうと思った動機、原点になってるものなどからお話をしていただけますか。
はい。この『おいしい時間』っていう本、名前もそのままなんですけど、必ずしもおいしいっていうのは、食べて、テイストがおいしい云々だけではなくて、食からから生まれる充実した時間とか楽しい時間、自分にとっての心地良い時間というのをさして『おいしい時間』という言葉でまとめています。
スタイリストの仕事を30歳から始めて早30年、イコール60、60を超えたところで今はもう早プラス2で62年。そこまで詳しくなくていいのですが(笑)この本を作るきっかけとなったのは、30年間やってきて、料理の本ってどういうことなんだろうっていうこともありました。スタイリストなので器はどんなのを持っていれば便利かとか、どんなものを買えばいいかとか、聞かれることは結構同じことなんですけど、自分の最終的な境地として、まず器もどうでもいいし、料理もどうでもいい。という言い方も変なのだけれども、器があって料理があって、料理があって器があって、両方があって成り立っていくのがおいしい時間だなと思いました。ハウツーで「こういう器を使ったら便利」、という本を作りたいわけでもなくて、ずっと言いたかったことは、食を楽しむということ。そのためには自分が好きな器があると楽しいな、と。料理本ももちろんレシピはあるんだけれども、目安となるものはあっても、そこから自分のテイストを作りましょう、という本を私たちは作ってきたつもりです。この本では、自分は普段こんなことをして食べているとか、食べることによって季節を感じているとか、そういうことをいろいろ"感じて"いただきたくて。『おいしい時間』という本を、みなさんにどう読み解いていただけるかはそれぞれの感じ方で違うと思いますが、そういう思いを込めて作りました。拙い文章を補うものとして、写真から匂いとか、湿度とか、"感じ"を汲み取っていただけるといいなって思っています。
――本の企画の素になっている、ギャラリーフェブの展示についてもお話をお願いします。
吉祥寺にあるギャラリーフェブというギャラリーで、3年間にわたって、器を通して、"おいしい"ことをお話してきました。本づくりってとってもストーリー性があります。本を読んだ方々と会うことが自分自身はあまりないんですよね。なので店頭で実際に3年間、器の説明をしたり、売れればいいという話じゃなくて、たくさん買おうとしている人がいると、一個でいいんじゃないの?そんなに買わなくてもいいよ、みたいなこととか(笑)自分の家にある器と相談して、この器買ったらいいんじゃない、ということをフェブでお話してきたんですね。例えば、「毎日どんな料理作ってるの?」という話から「こんな器がいいんじゃない?」とお話したりすることを実際にやったときに、人と接するということによって、本で伝え切れていなかったことや、本とは違う広がりを感じたので、それを形にできたらいいな、ということ。自分が今まで作ってきた本についても、色々喜びも反省もいっぱいあって、文章で語れない分、見てドキドキしてもらったり、「今日の晩ごはんつくろう」という気分になったり、「明日の朝はお湯わかすことからやってみよう」っていうようなことを感じてもらいたくて、“匂うような本”を目指して作ってきました。原点はフェブの3年間の器展と、現在の2拠点生活。東京と、そこから電車で3時間ぐらいにある栃木の田舎の家と2拠点生活をしているのですけれども、その生活によって得た自分の体験の話をこの本では紹介しました。
――2拠点生活と60歳を過ぎて感じられた変化も、この本のベースになっていますね。
黒磯には週2日間だけ行ってるんですけど、欲張って大きい倉庫を借りたので半分お店をやっているんですね。そのお店で、2日間だけだからアルバイトを雇う余裕もないし、自分も暇なんだから、あなたが店に立てばって夫に言われて(笑)。私のお店だから、じゃあ私がやりましょう、と。行った時にはお客様と接しているんです。やってくうちにだんだん本とは違う伝え方で人と接することが楽しくなってきて、人との繋がりをだんだんと見出していって、今では毎週、気持ちいい空間にして「いらっしゃい」っていう風に、みなさんをお迎えしたいな、と思っています。黒磯の店をはじめたことによって、本の世界から一歩踏み出たというか、手にとってくださる方々と会っているんだなあ、という手ごたえを感じているので、そういう結びつきを大事にしていきたいと思っている今日このごろです。
60代になる前に、ちょっと自分自身気分が落ちた時があったんです。それも含めて、私は今こんなこと考えてるよ、というのをあまり説教じみた話じゃなく、私もこの年になったけど結構楽しく生きてきましたよ、くらいのことを伝えたいな。中心にあるのは食べることだけなんですけど、おいしく食べようと思っていたら結構ぶれずにここまで来ました、という本のつもりです。
――みどりさんから「こういう本が作りたい」っていうお話をいただいたのは2017年の12月くらい、ちょうど2年前ですかね。そのあと、2か月に1回ぐらいお会いしては、みどりさんが頭の中のことを紙に書き出してくださったのを見ながらお話を聞いて、やっぱり絶対に入れたいものっていうのが、こういうことなんだな、じゃこういう構成にしようか、と決めていきました。フェブの展示の時に撮影された写真は既にあり、そこからどういう素材を追加していくかっていうことを考えて、今年(2019年)の前半に追加の撮影をして、ぐぐっと形になりました。みどりさんは、今回の本づくりで新鮮だった発見はありましたか。
私が今までやってきたのは、いわゆる料理本が多かったのですが、フェブで撮影するとき、はじめてお仕事するカメラマンだったんです。お会いしたらなんだか今までと毛色が違っていて、聞いたら普段の専門はスポーツカメラマンだと。凄いアクティブな方で、ご本人もサッカー選手になりたくてアルゼンチンにずっと住んでたっていう変わり種なんですね。近藤篤さんという方なんですけど、生き生きしてるものに鼻が効くカメラマン。それまでなんとなく静かな方向になっていた自分の本を、匂いや湿度を含めて「感じる」本にしたい、というのにぴったりのアニマルカメラマンだったんです。そういった意味でもすごく刺激的でした。
そしてデザイナーも、長年つきあっている本当に失敗のないADに頼むことが多かったんですけど、ある意味でそれにあぐらをかいていて、自分が努力しなくてもいい本ができてしまうようなところがあったので、その辺はちょっと反省をして、いっそのことデザイナーも変えようと思いまして。その当時書籍の仕事はそれほどやっていなかった引田大さんに頼みました。思いを伝えるために、あらためて1ページ1ページ、まず言葉で書き出してメール送る作戦がはじまり、そしてすごんで「私は何なら1ページずつデザインを変えてほしいぐらいの勢いで臨んでるんだから、お前もそれについてこい!」ぐらい、喧嘩をふっかける感じでやりましたね。プロレス組むみたいにやってきた結果が、この本だと思ってます。やりたかった本に近づけたかな。
――いつもだったらいちばん最後に伺うお話が先にきてしまいました(笑)。アノニマ・スタジオという版元でも、みどりさんの著書は初めてになります。高山なおみさんのお料理の本のスタイリングをしていただいているので、一緒にお仕事をしたことはあったのですが、今回著者と担当編集者としてお仕事をさせていただいて、こんなにも下地を何度も何度も考えられる方なんだなと実感しました。進んでいっても振り返って戻って、これで本当に伝わるのかっていうことを、本当に繰り返し考えられるんだなあと。
しつこいよねえ(笑)
――いえ、尊敬しています!だからこそ、みどりさんの本は信頼ができるんだなと改めて思いました。私がこの本を作る時にすごく大事だなと思ったのが、みなさんご存知の方も多いと思うんですけれども、この2002年に出た雑誌「クウネル」の創刊号です。この巻頭特集が、みどりさんの「風の通る部屋」でした。そのあと2009年に黒磯の生活が始まって、50歳の時の号の「始末のいい人」という特集、この2冊をとても大切に読み返しました。本って、1冊1冊が単体であるというよりは、その著者の方の考え方とかいろんなものが含まれているので、これらの記事に続くものが今回の本という位置付けなんじゃないかなと思っています。みどりさんご自身の生活を公に出されたのはこのあたりからだと思っているのですが、いかがでしょう。
そうですね。裏方の仕事なので、基本自分がタレント化、というか表に出る必要はまったくないと思っていました。「クウネル」創刊号にあたって、この雑誌で伝えたい人に一番近い人だから出てくれって言われたときに、いやいやそこで私がヌードにならなくてもいいでしょう、というので何度か断ったんですよね。
だけれどまあ、断る理由がないくらいおいしい素材をそろえてくださって。カメラは川内倫子さんだし、なによりも当時の編集長がみなさんに話をされてきて、断る理由はなかったので、「若いときのヌードを撮っとけ!」という感じで(笑)出させていただいたのがこの号です。今思えば、自分の写真とか撮らないし、残しておくことがないんですよね。この雑誌が唯一、当時の自分の写真として残っているし、自分が書こうと思ったら恥ずかしくて書けないような赤裸々な正直なことも、とても上手なライターさんが書いてくださった。50歳の時の「始末のいい人」も、黒磯をはじめたと同時にうちの母が亡くなって、自分にとってひとつの、何度目かの節目だったんです。
結婚も遅くてちょっと前に籍を入れていたので、なんだか自分にとってみればいろんな思いがこもった時期でした。ちょうどそういうおいしい時に取材と言われて、あとから読むと、亡くなった母のことをきっかけに自分がこんなに重く考えてたんだな、というのも客観的に読めるようになりました。
今思い起こせば、この2号に関しては、本当に取材していただいてありがたかった、という思いがあります。自分ではなかなか書けないことも、あの当時だから素直に喋ったんでしょうね。今もいい号だな、ありがたいな、と思って読み返しています。
――みどりさんはいろいろと著作というのがあるんですけれども、『ヨーガンレールの社員食堂』ですとか『伝言レシピ』とか、『沢村貞子の献立日記』など、ご自分が良いなと思った方を伝えるお仕事もありますよね。
好きですね。
――自分の思いを書く、みたいなことはすごく厳選されているな、と思うのですが。
すとんすとんと自分の中に、腑に落ちたものじゃないと、本にするとか、仕事ができない。料理本は人の本なので、客観的に「それ良い」「悪い」って言えるんですけど、自分が携わるものって、本当に良いと思えるものを反芻しながらじゃないとできない、面倒くさいタイプなんです。『ヨーガンレールの社員食堂』にしても「こういう社員食堂だったらいいな、午後からも働く気になる食堂だよな」と感じたので、残したくて。上の人がこんなに風に考えている社員食堂がある、ということを紹介したかった。沢村貞子さんにしても、沢村さんの献立見て「好きだ好きだ好きだ」と言ってたら、「じゃあ解説しませんか」って言われて、沢村さんの直筆の日記を全部家に運んできてくれて。それを実際に、じかに見て読んで、それを自分で捉えて解説をさせていただいたので、自分にとって沢村貞子さんという方は、似てるとかそういうんじゃないけど、仕事していく、女性として生きていく、という部分ではとてもいい初心として私の中にあって、そういう厳しさというか、家庭人としての何かを持っているというのは、今だにやっぱり憧れです。そしてうちの母が沢村貞子さんをとても好きだったので、影響されているということもあります。
――フェブ展で紹介された器についてもお話お願いします。
フェブ展は、最初から新しい人を探す器展ではなくて、自分が長年私的に使っていた器で、今の流行りとかはまったく関係なく、自分が使ってきた好きな器を、「あなたもどうですか」と紹介した感じです。作家の方はもう作っていないかもしれないけれども、その方々に、あえてもう一度連絡して、「これと同じの作れますか」というところからはじめて、「昔のだから同じに作れるかわからない」という作家もいたんですけど、作っていただいて、使い心地の良い器を集めました。自分の生活には欠かせないものをお伝えしているつもりです。もっとも、本来は器にも食べ物にも流行があるなんてことはあり得ないことですよね。私がこの本を通してずっと思っていることは、あなたらしい器を探そうよ、ということをずっと言っているつもりです。
髪型とかお洋服にしてもお化粧品にしても、季節によってちゃんと変えたり、「この髪形私に合うわ」とか「この洋服は似合う」とか、そこまではみんな真剣にできるのに、器になるとお手上げになっちゃうというのは、「そんなことないのよ」と言いたい。私の場合は、黒よりも紺が似合うから紺色が好きだったり、紺とグレーとか、紺と茶色の組み合わせ好きだなとか。器だってそうやって好みを反映していいので、洋服と同じように色あわせから考えていけば、とても楽しいことだし、難しくない。
あと例えば今だとInstagramでだれかが使っていて、この器いいなって思ったりしますよね。それは外国の雑誌を美容院に持っていって「これと同じ髪型にしてください」って言って、「顔が違うよ」って言われるのと同じでは。器も結局、どんな食べ物を盛るかによって違う。使うのは自分なので、そこをまず考えたほうがいいですよね。もちろん流行りを知っていることも大切なんだけれど、普段自分が家でどんなものを食べているかなとか、どんな色合いが好きかなと考えていると、もっともっと自分が持っている器も活用できるし楽しい。器はワンウェイではないので、この大きさにこんなに盛っちゃっても、自分の家なのでだれにも採点されなくて、自分が正しいと思えば本当にそれでいいことなので。
ちっちゃい豆皿も、お醤油とか箸置きにしてもいいし、窮屈そうだけど和菓子置いちゃってもいいし、それがくすっと笑えて楽しそうだったらそれが生活かなと思う。1枚1枚展覧会に行って買い足すのも楽しい。さっき言った「そんなに4枚も5枚も同じものを買わなくていい」というのも、私自身も1枚ずつを買い足していってこういう風になったので、多少木の質や柄が違っても、自分がいつも使う器のサイズがどのくらいかを覚えておくと、煩雑にならないんですよ。
結局なんとなく使うお皿が9センチと18センチとかなら、柄が変わっても、バラバラに使っても案外いける。そんなにおかしくない。最近家具でもセットが流行りですけど、全部セットの椅子じゃなくてもバラバラの椅子があると楽しいんじゃないか、と考えたほうがいいと思うんですね。サイズがあっていれば、1枚ずつ違っててもなにもおかしくないと私は思うので、むりやりセットで買う必要はない。この器はもしかして一生に一度で、これだけは大切にお金払って買いたいというのがあったらもちろん6枚買っても10枚買ってもいいと思うけど、若い時からセットで買う必要はまったくないと私は思ってるし、その方が楽しいと思います。
――黒磯では使う器が違ったり、作られるお料理も違うというお話でした。
そうです。もともと大きい器というか、土ものの器が好きだったんですけど、東京ではあまり活躍しない。東京の家では「重い」。これに合うような料理はしない、でも好き、捨てられない。アフガンの器とか、ばさっと割れてしまいそうな器なんです。ところがそれを黒磯に持ってきたらぴったりでですね。大きい器にたくさんのものを盛らなくても、ちょこっと入れるのでもいいし。そういう気持ちの余裕もあり、器との相性も、場所がちがうとまたいろいろですね。
料理に関しては、黒磯では靴をはいた生活なんですね。ドタドタしている生活で、空間が広い、冬だとストーブが燃えっぱなし。夏はクーラーも入らないので暑いからドアをあけっぱなし。すごく空間として広々としてるんですね。そうすると繊細にお出汁とって和食をつくろうという気にならなくて。朝は近所においしいパン屋があるのでパンを買いに行って、そこらでおいしい野菜もとれるのでそれをがさっと切って、オリーブオイルかけて食べるくらいの朝ごはんです。つくるものも、小さなことが気にならなくなるというのと同じように、方向性が変わって、お肉を丸ごと焼いて食べよう、みたいに変わります。東京だと、厚揚げとしらすがあればいいくらいだったりするんですけど。割とこっちだと夫が肉を焼いたり、しかも家の中で焼くと暑いので、外にグリルとか炭を置いてですね。少し下準備して肉をひたすら焼いて。6時になったら白ワイン飲み始めるのを楽しみに生きてるくらい。さあ、もう6時になったら飲んで食べるよ、という時間なんですね。それも楽しいです。
東京はその逆で、ちっちゃいところに詰めて仕事をするモード。さあこれから頭の中入れ替えてやるよ、という感じなので、ごはんをたいてお味噌汁をつくって、きちんと食べたい、とそういう気になるんですね。東京ではもちろん靴は脱いでますし、すぐそこが寝室だったりするわけで。行動範囲と、向く矛先が変わることによって、食べたいものも変わってくるような気がしています。
――「おわりに」の「今日はいつも新しい」ということについてお話いただけますか。
この本を書くにあたって、題名とか「はじめに」「おわりに」が一番難しかったんです。あんまりぐだぐだ書かないで、決め文句ですぱっと終わりたいぐらいだったんですが、この「おわりに」が特に書けなくて。ちょうど黒磯の水田に水が張られてぴかぴかきれいな時期で、じゃあ気分転換で自転車に乗ってぐるぐるまわってみようと思ったらこういう心境だったんですね。60歳のときに気持ちががくんと落ちて、更年期なんて終わってる年だと思うんだけど。人よりちょっと鈍感と言われていて、疲れるとか体がしんどいとか思ったことが60までなかったんですね。ずっと走り続けてマイペースで、健康だったと思うんですけど、それが疲れるというか仕事に対して気分が燃えなくなっちゃったというか、そういう自分にびっくりしていて。今でいえば、ホルモンバランスだよって医学的には言われるかもしれないのですが、そんなことが60歳のときに起きたんです。それで黒磯で、ひとりで自転車にのっていろいろ行ってみようと動きはじめたら、気持ちが前向きになってきて。朝起きたらお湯を沸かして、いつものように朝ごはんをちゃんと食べようと思ったら、からだがさくさくと動きを覚えていて、それだけは気力を持って楽しくできたんですね。
そのとき「あ、なんか戻った」というか、やっぱりご飯食べるって、それだけでもうリセットなんだなって。ご飯食べないと死んじゃうわけだし、そんなに難しいことじゃなく、生きるってこういうことなんだなって。「ごはん=生きる」みたいな。食べたことによって、もともとのくいしんぼうでくよくよ考えない自分に戻っていた。若い女の子も年を経て同じようになったときに、「とりあえずご飯食べようよ」というのが、いちばんのはげましの言葉というか。おなかに何か入れるとあったまるしね。
この本の原点となったクウネルの記事の、母が亡くなったときのことを「始末のいい人」に書いてくださった、鈴木るみこさんというとてもいい文章を書く敏腕の編集者がいらしたんです。彼女の文章は、私のことを「すてきだ」って全く書かず、本当に身の丈で、とても気持ちのいい文章で書いてくださって。その彼女が50のときの私を評して、「みどりさんは今日もいつも新しいって感じだよ」って、言ってくれて、すごく嬉しかったんです。悲しいことに鈴木さんは若くしてお亡くなりになってしまって、その彼女にそういう言葉をかけてもらっていたことが、すごく誇りに思えて。自分ではとても大切に、死ぬまで、お墓に彫ってほしいくらいの言葉だなと思っています。
――今後みどりさんがやっていきたいことは何でしょうか。
本づくりは、作っていく行為が好きなので、やりたいものについてはやっていくでしょうが、料理の本も世代交代がありますし、居座るつもりもないです。今の時代の流れとか、共同作業から少し身を引いたところに自分がいるときに、2拠点生活を通じて知り合った地元の人たちとか、私は子供はいないですけれども、子供のように、というとおこがましいけれども、慕ってきてくれる、がんばってる若者がいるので、そういう子たちに、私が持っていることなら渡してあげたいし、相談にこられたらわかる部分では話をしたいなと思っています。こと食に関してのことだったら、話をするというよりはうちの黒磯の、大きい食卓を囲んでパンを焼いたり、畑をやっている人とみんなでおいしいものを食べたりするだけでも、次の日からみんながんばっていけるような、楽しいことだなと思っています。
もしかして自分は最終的に骨埋めちゃうのかしら、とふらっと思ったりするくらいに、黒磯に対して、ふるさととしての気持ちが強くなってきています。もう少し地元の人と結び付いてなにかしたいし、腑に落ちるときがあれば、それを何かのかたちにしたいかもしれない。真剣に何かやっている人たちのことを支援したいと思っているんですね。雑誌なのかなんなのかとかいう具体的な話ではなくて、もうちょっと自分が黒磯という地に対して密着していきたいなという気持ちはあります。
――ありがとうございました。
連載もくじ >>
高橋みどり
スタイリスト。1957年群馬県生まれ、東京育ち。女子美術大学短期大学部で陶芸を専攻後、テキスタイルを学ぶ。大橋歩事務所のスタッフ、ケータリング活動を経て、1987年にフリーで活動をスタート。おもに料理本のスタイリングを手がける。著書に『うちの器』、『伝言レシピ』、『ヨーガンレールの社員食堂』、共著に『毎日つかう漆のうつわ』、『沢村貞子の献立日記』など。スタイリストとしてかかわり、生み出した料理本は 100冊以上あり、自身のライフスタイルも雑誌やメディアで紹介されている。 栃木県の黒磯にて「タミゼクロイソ」を営む。
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