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本屋B&B『暗闇ラジオ対話集』『ことばのくすり』刊行記念志村季世恵さん×稲葉俊郎さんトークイベントレポート【前編】


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本屋B&B
『暗闇ラジオ対話集 ―DIALOGUE RADIO IN THE DARKー』
『ことばのくすり 感性を磨き、不安を和らげる33篇』刊行記念
志村季世恵さん×稲葉俊郎さん
トークイベントレポート【前編】


 2023年に刊行された『暗闇ラジオ対話集』と『ことばのくすり』の著者、志村季世恵さんと稲葉俊郎さんによるトークイベントが本屋B&Bで開催されました(2023年8月)。バースセラピスト、医師として、ともに「いのち」と向き合い対話を大切にされているお二人による、注目のトーク。その一部をトークイベントレポートとしてご紹介いたします。


創造的な対話が生まれる
安心な場とは


稲葉さん(以下、敬称略)
 私は2023年8月時点では軽井沢病院で総合診療科医長と、病院長として勤務しています(2024年3月に退職)。軽井沢に来る前は東大病院で12年勤務し、2020年に教育移住で軽井沢に引っ越しました。ちょうど軽井沢に移動した2020年から新型コロナウィルス感染症の大流行が起こり、発熱外来での現場対応を最前線に出ながら、当直業務もこなしながら、病院長として病院全体のマネジメントもやっている立場です。
 最初に単著として出版した本が、2018年の『いのちを呼びさますもの』(アノニマ・スタジオ)です。この本にはとにかく心血を注いで産みの苦しみを経験しました。生涯に著作を一冊しか残せない可能性も考えて、ほぼ全ての自分の思いを注ぎ込んだような気持ちでした。その時期には、病院や医療界の中だけで活動して人生を終えるのではなくて、もっと広く外の世界とつながりたい、つながらないといけないと思って本を書きはじめたところがあります。
 2020年から勤務した軽井沢病院では、医療行為と並行して、医療と福祉と芸術を結びつけるような活動も行っています。明治期に軽井沢を訪れた宣教師の方々が、軽井沢の町自体を「屋根のない病院のようだ」と感じ、「屋根のない病院」という言葉を残しています。ただいるだけで気持ちいいという意味でもあり、それ以降、軽井沢は保養地や別荘地という独自の側面を持ちながら発展してきた歴史があります。「屋根のない病院」という言葉が素敵だなと思い、町全体を病院と見立てながら、医療と福祉と芸術を結びつける活動を行っています。



稲葉さん
 例えば、これは私たちが作成している「おくすりてちょう」です。一般的なお薬手帳は病院や薬局で無料配布されますが、私たちは一点一点手作りで障害者の方と共同で作っています。表紙と裏表紙に手書きで描いてもらっていますが、障害者や高齢者の方だけではなく、デザイナーの須長檀さんや私が入ることで共同作品のようなものになっています。
 こうした創作は「対話」のひとつだとも思っています。対話の前提として、どういう場がそこにあるか次第で、対話が起きたり起きなかったりします。また、対話が起きたとしても、ただの争いやケンカのような対話になることもあれば、創造的な対話が起こる場合もあります。では、創造的な対話が起こる場とはどういうものか、という前提を考えながら活動しています。

志村さん(以下、敬称略)
 実は軽井沢病院はとても懐かしいところなのです。私が代表をしていたこども環境会議という任意団体があり、その活動の一環で「大家族ごっこ」というワークショップを長年軽井沢で開催していました。
 セラピストとして、育児不安、お子さんの病気や障害、親御さんの病気など何らかのトラブルを抱えている方との出会いが多く、話を聞いていると孤独を抱えている人がほとんどでした。そこで他者に対してヘルプを求め合えることができる、お互いさまの関係を作ってみようと思ったのです。私の子育て時代には他者の介入がいい意味でありました。夫の帰宅が遅くてもワンオペ育児でもご近所さんが助けてくれていたのです。
 自閉症のお子さんを育てているあるお母さんは「娘に障がいがあるとわかったときから、ずっと苦しい。ごはんも美味しいと思えないし、お風呂に入っても気持ちいいと思えない。自分の中にあった、あたたかいものが消えてしまった」とおっしゃったんですね。どうしたらいいのか途方に暮れてしまったのでしょう。
 同じような悩みを持つ方が数名いたので、仲間と一緒にワークショップを計画しました。初めての大家族ごっこです。ごっごではあっても大家族!なので他者のこどもではなく身内のような存在と捉えてもらう。場所は知り合いのいる釧路湿原にしました。時期は夏休みの満月の夜。幻想的な風景に親御さんたちも大満足。みんなで馬に乗って夜のトレッキングをしました。
 大人も子どもも、馬から降りる時に手綱を引いてくださったスタッフに「ありがとうございました」って言ったのですが、その自閉症のお子さんだけはね、馬のほうを向いて「ありがとうございました」って頭をさげながら言ったの。それを見て、この子は本質的なことを知っているんだと思いました。お母さんも泣きながらうれしそうに笑っていたの。そのようなエピソードがたくさんあり、こういう機会を続けていきたいなと思ったんです。
 でも子どもたちがみんな個性豊かすぎて、いろいろものを壊しちゃうのね。これは、自分たちで「場」を持たないとダメだと思い、仲間たちとお金を出し合って軽井沢に一軒家を建てたんです。その時に、病気やケガをしたお子さんたちがよく軽井沢病院にお世話になっていたという懐かしい思い出があるのです。

稲葉さん
 そんなご縁があったんですね。

志村さん
 その後、私の活動の主たる場所は変わり、個々の対話とはまた別の何かがあるのではないかと探し求めているときに、ソーシャルエンターテイメントといわれる「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(以下「ダイアログ」)に出会いました。「ダイアログ」は照度ゼロの真っ暗な空間で、そこを案内をしてくれるのは視覚障がい者なのです。暗闇に入ると、目の見える人たちは最初一歩も歩けません。そんなときに助けてくれる存在が視覚障がい者なのです。



志村さん
 1999年に初めて日本で開催した時に、泣きながら出てきたお客様がいました。最後に「感想の部屋」というところでファシリテーター役の私がみなさんの話を聞くのですが、涙の理由は「私は人のことが好きで、自分のことも好きだと思って、泣いているんです」っておっしゃったのです。その人は、暗闇の中で年配の男性とぶつかったのだそう。普段だと人にぶつかると嫌な気持ちになるのに、暗闇の中では、この人がいてよかった、人はあたたかいなって感じたのだって。そう思えたら自分のことも好きになれたと。
 その話を聞いたときに素敵だなと思いました。その相手の男性も「僕もぶつかったときにあなたがいてよかったと思った」と言っていて、お互いに感動していました。その時、ここは人の「善」の部分を見つめ合える安全な場なんだなと気づいたんです。
 セラピーをしている中で、クライアントが元気になっていくプロセスで、「私、本当は人が好きなんです」っておっしゃる方が多いの。私が数か月かかってやってきたことを、90分のエンターテインメントでできちゃうなんてすごい!と思って、「ダイアログ」の活動を主にすることにしました。
 「ダイアログ」を体験するとわかるのですが、いわゆる弱者だと思われている人たちが実際はそうではなく、見えないからこそのたくさんの力や知恵を持っているんですね。


無意識とリンクする、
眠りと暗闇の効用


稲葉さん
 私も「ダイアログ」を体験したことがありますが、その時に思ったのが「眠り」のことなんです。
 新著の『ことばのくすり』(大和書房)にも書きましたが、私は「眠り」こそが生命活動の本来であり、メイン活動だと思っているんですね。起きている時は、むしろ自分を見失っている時間だと思っています。寝ている時に、やっと自分自身の体も心もすべてがひとつとなって、命そのものの状態に戻っていく。起きている時には社会に適用するために自分を偽らないといけない場面も多くて、本来の自分からずれていくわけです。ただ、どんな人にも必ず自分自身に戻る時間が与えられていて、私はそれが眠りの時間だと思っているんですね。



志村さん
 あぁ、なるほど。

稲葉さん
 だから眠りという状態を自分の人生の中でどれだけ深く広く追求していくかが、自分を知る一番重要なポイントであり基本だと思っています。眠りの時は、寝ていて何も覚えていないようですけど、夢を見るという意味では深いイメージ体験をしていますよね。夢の体験は、現実世界と違うようですが、やはり自分の無意識の世界とリンクしているものだと思うんです。
 「ダイアログ」の暗闇の中でアテンドしてもらいながら誰かと話した時に、なんか夢の中のようだな、眠っている感じだなと思って楽しかったことを覚えています。たしかに最初は不安な瞬間もありましたが、その不安はすぐに通り過ぎていって、眠りながら動いている感覚がとても楽しいものだなと思っていました。
 この『暗闇ラジオ対話集』(アノニマ・スタジオ)はまさにあの暗闇で収録されているんですね?



志村さん
 はい。真っ暗な中で、台本も見えず時計も見えません。なので時間の管理もできなくて、最初の頃は私にとって修行の場でした。1時間のラジオ番組ですが、その1時間がわからないの。だいたい皆さん後半になると話が深まり盛り上がってくるので、進行に悩みましたが、それも受け入れていくうちにゲストも私もお互いに赤裸々に、本当に飾らないお話ができるようになりました。パジャマを着て、お布団に入って喋っているみたいな。

稲葉さん
 修学旅行とかで、消灯になった後に布団の中でまだ話しているみたいな、きっとそんな感じですよね。
 私が軽井沢で一番気に入っているのが、まさに眠りの時間なんです。初めて軽井沢で眠った時にものすごく深い層まで眠りに落ちたんです。そうした眠りの深さが気に入って、こんな深く眠れる場所だったらここで暮らしたいなって思いました。
 眠りって一番無防備な状態じゃないですか。はるかな人類の過去、たとえば縄文時代とかを考えてみると、いつ獣に襲われるかわからないのが無防備な眠りの時間だったと思うんです。しっかりと眠るためにどうやって眠りの空間を確保するかはすごく重要なテーマだったと思います。だから深く眠れるということは、そこが安全だということを体が感じて、体が思い切って緩めることができているということでもあると思います。そして、眠りの深さは闇の深さとも呼応しているようにも感じます。

志村さん
 あぁ、そうかもしれないですね。
 暗闇の中でたまに居眠りすることがあるのですが、不思議なほど気持ちいいのですね。夢なのか暗闇なのかわからないくらいになっていて。今度暗闇の中でぜひ寝てみてください(笑)。

稲葉さん
 闇の中で入れ子状になっていく感じがしておもしろそうですよね。
 著書『いのちを呼びさますもの』の冒頭が、病室で天井を見ているシーンで始まるんですけど、それは私が明確に覚えている原初の記憶のひとつなんです。幼いころに一年間くらいずっと入院をしていて、基本的には横になって寝ているんですね。
 その頃は目が醒めたらずっと天井を見ていました。腕につながった点滴には液体が溜まっていて、自分の鼻には栄養のための管が入っていて、窓からは光が差しこんだり雲が見えたり雨が降っていたり、そういう光景を飽きもせず眺めていた時間だったんですね。その時に、「実は自分は死んでいるんじゃないか」と思うこともあったんです。実はもうここが既にあの世なんじゃないかって。でも、今ここの世界がこの世なのかあの世なのか、生の世界か死後の世界かって、永遠に証明できないことにも気づいたんですよね。眠りの中の眠りみたい感じです。この世界は、そうした入れ子状になってるんじゃないだろうかとか思いながら過ごしていたんで、闇の中での眠りは、まさに「眠りの中の眠り」みたいな感じかなと。

志村さん
 私も小児病棟にいたので、近い経験があります。点滴の水滴がぽたんぽたんと落ちてきて、それを見ているうちに眠っている。不思議な睡眠で自分が体から離れているように感じて目を覚ました時に、あれ、本当はもういないのかもしれない私は。あ、でも体はあるなと思ったり。
 暗闇の中では視覚は閉ざされているので、自分の体も相手の体も見えない。声だけの存在となり溶けていくように感じる時があるのです。これもその感覚に近いのかな、共通点があるのかなって、大人になった今も感じています。



生と死は分断されるものではなく
ひと続きのもの


稲葉さん
 志村さんも似た現場におられるので、近いことを感じられているかもしれないですけど、私は医者なので亡くなる方のそばにいることがよくあります。人間の命の灯が消える直前は、命が透明になる感じというか、なにか命の質が転換する感じがあって、そうした領域を通り過ぎて亡くなられるんですよね。臨死の現場は、いつでも不思議だなと思いますし、昔から人が魂の存在を感じるのは、そうした生者が死者を送り出すときの感覚から自然に感じられたものなのかとも思います。

志村さん
 私はボランティアでターミナルケア(終末期ケア)をしているのですが、ご家族がいらっしゃる場合、最期の時間は私はおいとまします。樹木希林さんの時は、希林さんががんの再発をしてから約14年間ほどお供していたのですが、そろそろお別れが近いと感じ、その場を離れご家族だけで過ごしていただきました。その特別な静寂の時間はご家族で過ごしてほしいと思って。ご家族がいない方の場合は私がそばにいるのです。
 旅立つ20分前くらいでしょうか、とても静かな、時間が止まったようなときが訪れます。不思議なのですが、深い静かなそれはね、赤ちゃんが生まれてくる時も同じ時間が来ることを知ったんです。やはり20分前くらい。「あわい」の時間とでもいうのか。

稲葉さん
 バースセラピストもされて、ターミナルケアもされるってとてもめずらしいキャリアですよね。生まれる時と亡くなる時に寄り添うという。

志村さん
 偶然なのです。「最後に友達としてそばにいてね」ってお願いされたり、また時にはご家族がいない状態で出産をされる方のそばにいることがあるのです。
 「バースセラピスト」という名前にしたのは、そのいのちは終わるのではなく、次に何かを生み出す力があることを知ったからです。それを私自身が忘れたくなくて、作った造語です。

稲葉さん
 医療業界はどうしても専門分化してしまいますね。例えば助産師さんや産婦人科医が生まれるところを担当して、亡くなるときにはターミナルケアやホスピス医などが担当する。職業的には専門分化でどんどん分かれてしまいます。人が生まれるとき、人が亡くなるときは、生と死をまたぐという意味では本質的にはすごく近い現象だと感じますが、今の医療では一番遠いものになっていますね。
 あとはそうした生まれることも死ぬことも含め、全てを病院で扱うことになっていて、一般の人からすごく遠い世界になってしまっています。生命のライフサイクルを考えると、もっと有機的につながればいいのにと思いますね。

志村さん
 ちっちゃいラムネが5つくらい並んでいて、飴みたいに包装され両端がキュッて結ばれてるお菓子があるのですが、こちらの結び目が「誕生」で、反対側の結び目が「亡くなる」だとして、ラムネ本体が生きるとか暮らすという人の世界。両端にある生と死がある中で生きていることを私たちがわかって生きていくことがとても大事なのだと思うのです。それに気づいた人が、真の意味で幸せになるだろうなって。
 「ダイアログ」には時々、末期がんの方がご体験にいらっしゃるのです。その方は(ダイアログの)暗闇の世界にいたら何でもない自分に戻れた、○○がんのという枕詞が消えて自由になれたとおっしゃったんですよね。
 稲葉さんが「屋根のない病院」っておっしゃった、その屋根がないっていうのはそういうことなのかなって勝手に思っていて。病気という自分じゃない自分と出会えるような、そんな病院なのかな、それがアートなのかなと。

稲葉さん
 「おくすりてちょう」を作ったのもそのあたりがきっかけになっています。病院はどうしても、治療する側、治療される側という構造になってしまうんですが、その構造はなかなか変えられない強いものです。それならば、「おくすりてちょう」という場の中で、対等な関係性をつくれないだろうか、対等に出会える場として「おくすりてちょう」が場として機能すればいいんじゃないかと思いました。
 自分は医療を受ける側でしかないと思い込んでいる人たちも、医療を提供できる側に回ることもできる。そうした意味ではみんな対等な立場なんだと思います。そうしたことが感じられる第3の場を作りたくて始めたのが出発点です。
 病院の中ではどうしても法律を含めた制約があります。ただ、無理やり病院の内部を変えることよりも、発想を変えて異なる人が対等に出会える別の場所を病院の外部に作ってはどうかと。役割も自由でお互いが提供者になれる場です。



稲葉さん
 「おくすりてちょう」の中の用紙は、どう使っても自由という意味で白紙にしてるんです。もちろん一般的なお薬手帳のように薬の処方箋を貼る台紙としても使えますが、私は「言葉」も「薬」になると思っているので、薬になるような言葉を書き込んでほしい、自分や大切な人にとっての薬とはなんだろうかと考えるきっかけにしてほしいと思っています。本のタイトルを『ことばのくすり』としましたが、そうした思いを込めています。言葉は相手にとっても自分にとっても「薬」になりうるのではないかと考える土台として、新しい発想の「おくすりてちょう」を作ってみたんですね。


後編に続く)



イベント主催/本屋B&B
実施/2023年8月4日
登壇/志村季世恵・稲葉俊郎
*トークイベントの一部を編集してご紹介しました



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最新情報



ダイアログ・イン・ザ・ダークの夏季限定プログラム「暗闇の夏祭り」

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の夏季限定プログラム、「暗闇の夏祭り」が開催されます。能登応援企画として行われる、能登地方の伝統芸能や味覚を楽しむことができる特別なプログラムです。ぜひご来場ください!
*本収益の一部は能登半島地震復興のための義援金として活用されます
開催期間:2024年7月9日(火)〜8月31日(土) ※一部、休演日あり
詳細はこちら
https://taiwanomori.dialogue.or.jp/did-ticket/


山形ビエンナーレ2024 in 蔵王

稲葉俊郎さんが芸術監督を務められる「山形ビエンナーレ2024 in 蔵王」が9月に開催されます。テーマは「いのちをうたう」。かつてない、温泉地で行われるいのちを養う芸術祭、どうぞお楽しみに!
会期:2024年9月1日(日)〜16日(月・祝)
詳細はこちら
https://biennale.tuad.ac.jp/


志村季世恵さん 稲葉俊郎さんの本




志村季世恵(しむら・きよえ)

バースセラピスト。一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ代表理事。 ダイアログ・イン・ザ・ダーク理事。心にトラブルを抱える人のメンタルケアおよび末期がんを患う人へのターミナルケアは多くの医療者から注目を集めている。 現在は視覚障がい者、聴覚障がい者、後期高齢者とともに行うソーシャルエンターテイメント、ダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」を主宰。 著書に『さよならの先』『いのちのバトン』、最新刊『エールは消えない ―いのちをめぐる5つの物語―』など。


稲葉俊郎(いなば・としろう)

熊本生まれ。医師、医学博士。2024年3月まで軽井沢病院長。山形ビエンナーレ2020、2022、2024芸術監督。 東京大学医学部付属病院時代には心臓を内科的に治療するカテーテル治療や先天性心疾患を専門として、夏には山岳医療にも従事。 医療の多様性と調和への土壌づくりのため、西洋医学だけではなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修める。 未来の医療と社会の創発のため、伝統芸能、芸術、民俗学、農業など、あらゆる分野との接点を探る対話を積極的に行っている。 著書に『いのちを呼びさますもの』『いのちは のちの いのちへ』『からだとこころの健康学』『ころころするからだ』『いのちの居場所』など。



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