タイトルデザイン:峯崎ノリテル ((STUDIO))

アノニマ・スタジオWebサイトTOP > わたしをひらくしごと もくじ > フェンバーガーハウス ロジャー・マクドナルドさん(キュレーター、美術講師、私設美術館館長)

 「働いて生きること」は、人の数だけ、物語がある──。私がこれまでに出会った、他の誰とも似ていない仕事をしている「自分自身が肩書き」な人たちに、どのようにしてそうなったのかを語ってもらい、それが『わたしをひらくしごと』という一冊の本になりました。
 この連載は、件の本に登場してもらった人たちから、さらに「自分自身が肩書き」な人を紹介してもらって会いにいくという進化版。前回までは私の友人知人がインタビュー対象でしたが、今回は、そのまた友人知人、つまり私にとっては初対面の方ばかりです。友だちの友だちは、みな友だちだ。世界にわたしをひらこう、ひろげよう、友だちの輪! さて、どうなることやら。

写真:藤田二朗(photopicnic)

“ディープ・ルッキング”で意識を開いて、無数のチャンネルをもつ

フェンバーガーハウス ロジャー・マクドナルドさん(キュレーター、美術講師、私設美術館館長)


宗教と芸術の歴史を交差させることで
先人の志向と知恵を知り、理解する。
それは自由を獲得するため、
そして未来に適応するための妙案でもある。
そのための学校や美術館までつくってしまったほどに
自らの知見を惜しみなく、快適にシェアしてくれる、
ロジャー・マクドナルドさんをひらく、しごとの話。

名前

仕事

キュレーター、美術講師、私設美術館館長

この仕事を始めたきっかけ

意識変性体験の見過ごせなさ

ロジャー・マクドナルド
1971年、東京生まれ。ウェールズ大学で国際政治学を専攻、ケント大学大学院にて神秘宗教学と美術史の博士課程修了。1998年より日本でキュレーターとして活動をスタート。2001年、アートスクール「Arts Initiative Tokyo(AIT)」を設立、翌年NPO認定。美術大学の講師を務めながら各地展覧会のキュレーションを手がける。2010年、長野県佐久市に移住。私設美術館「フェンバーガーハウス」設立。近年は地域活動、市民運動にも注力している。著書に『DEEP LOOKING』(ブックデザインは((STUDIO)))。
www.fenbergerhouse.com


紹介してくれた人

峯崎ノリテルさん、正能幸介さん((STUDIO))

2017年、『ミュージアム・オブ・トゥギャザー』展を見に行ったときのこと。各作品と会場構成のあまりのすばらしさに感動してボロボロ泣いていたところ(鼻水も出ていた気がする!)、この展示をキュレーションしたロジャーだよ、と友人に紹介されたのが初対面(笑)。ロジャーの物事の捉え方や視点には毎回驚かされるし、尊敬しています。アートや歴史などの造詣の深さはハンパじゃないのに、ものすごくわかりやすく相手に伝えることができるのは本当にすごいと思います。






ひとりの人間の心の問題から始めよう


──お父さんがイギリス人でいらっしゃる?

そうです。戦後まもない1950年、父が18歳のとき、オフィス秘書として来日して。それから2011年に他界するまでずっと日本にいました。民間人として60年以上もとどまる人は珍しいそうです。

──なぜそんなに長く滞在されたんですか?

日本の文化が大好きだったんですね。日本人の母と、東京オリンピックのときに出会って、結婚もしましたし。それで僕も東京で生まれました。だからまあ、僕はいま話題のいわゆる“ハーフ”です。“ハーフ”でも“ミックス”でも、僕自身はなんでもいいんだけど(笑)。
僕はイギリスのインターナショナルスクールに通って、イギリスと日本を行ったり来たりして。高校、大学、大学院、そして博士課程までイギリスにいて、休みのときだけ日本に戻ってくる、そういう生活でした。





──親御さんはロジャーさんに、イギリスの教育を受けさせたかったんでしょうか。

父にこだわりがあったんでしょうね。そうなると当時は現地に行くしかなかったと思うので。築600年の古いダイニングホールでみんなで食事するとか、マントを着たりとか、本当に『ハリー・ポッター』の世界を地で行くような学校だったんですよ(笑)。だからイギリスの伝統的な、規律だらけの硬い教育。嫌なこともいっぱいあったんだけど、いまから振り返るとそれも含めて、イギリスの伝統的な一面を経験できたのは貴重でしたね。
そのあと、ウェールズ大学の国際政治学に進んで、そこで初めて自由にふれたわけです。物事の考え方とか、友だちとか、そこで一気に振れ幅が広くなって、ドーンと開いた。そこからいろんなことが、自分の興味が初めて見えてきたっていうかね。




──国際政治学を選んだのは?

なんでだろうね。高校生当時は湾岸戦争中で、そういう問題に関心がありました。なぜ人間は戦争に行くんだろうという素朴な疑問ですね。そして、戦争や平和について学ぶには国際政治学という学問があると知ったんですね。戦術とか戦略学を研究する学生が多いんだけど、僕は、人間はなぜ人を殺すんだろうという哲学のほうに向かった。
戦争と平和の問題を突き詰めていって、当時の僕がたどり着いた答えは、ひとりひとりの人間の心の問題から始めないといけないんじゃないかということ。心の問題をいちばん長く追求してきた人たちは哲学者か宗教者なのかなと思って、それで大学院で宗教学にシフトしたんです。で、宗教学のなかでもちょっとニッチな神秘宗教学っていうのが当時、ケント大学に新しい学問として設立されて、これだ、と。ウェールズにいたときから仏教に強い関心があったので、神秘宗教学科に入ってからも、主に仏教を学んでいました。

──仏教は、神秘宗教なんですね。

英語で“mysticism”ね。どの宗教でも、神秘体験、超越体験と呼び方はさまざまだけど、ひとことでいうと直接体験、direct experience。経典で満足せずに、実際に体と意識を変えるのが大事なんです。それはイスラム、キリスト、ヒンズーにもある道で。僕は日本というバックグラウンドがあることもあり、仏教、なかでも禅に関心があった。禅を見ていくと、絵や庭づくりなど、芸術との関係性の深さに気がついてきて。そこから美術のほうにも関心が向いたんです。

芸術と宗教の交差点


加えて、私の2歳下の弟、ピーターが画家なんですよ。彼は美術大学に進んだから、アーティストの友だちもいっぱいいて。


──ピーターさんもイギリスで教育を受けた?

そうです。だから美大とのコネクションもあって、神秘学と美術史っていうものが会話したらおもしろいという話もよくしていて。で、博士課程を始めたんですよね。神秘体験と20世紀の美術史に焦点を当てて研究しました。二十数年前は、美術史的に見ても、宗教学的に見ても、いまよりももっとニッチなエリアでした。文献も少なかったから相当、自分で考えなくちゃいけなくて、非常におもしろかったですね。




王道の美術の歴史からは外れるかもしれないけど、でもすごく大事なエリアなんです。アーティストたちは、なんらかの意識変性体験と言いましょうか、宗教のなかでそれをやっている人もいれば、まったく別の方法でもってやってる人もいて。マーク・トビーのように座禅を毎日やりながら筆を拾う人もいれば、ジャクソン・ポロックのようにベロンベロンに酔っ払って創作する人もいるし。




──ドラッグなんかもそうですよね。

うん、音楽や踊りもそうだね。そのへんの歴史って未だにあまり語られてきてないけど、すごいおもしろくて。だって、創造という行為をする過程のなかで、つくっている人の意識と脳の状態って当然、大事じゃない?
美術史のなかではルネッサンス以降ずっと天才説っていうのが、特に日本では強いと思うんですよね。天才しかアーティストになれないってナンセンスが未だに神話として残っている。でも、たとえばピカソは確かにすごい能力はあったけど、いろんな壁にもぶつかったりもしていて、ドラッグ中毒になった時期もあるし。やっぱりね、幼児が描く絵っていうのは、どのアーティストにとっても、もうお手上げなんですよ。まさに言語が入る以前の意識状態で筆は持てないのだろうかって一種のノスタルジーを、アーティストはみんなもってると思う。

──しかも欧米だと美術史がしっかり確立しているから、そういうアカデミックな枠のなかからの表現活動になってしまう。ピカソが晩年、陶芸にハマったのは、絵つけして火入れした後は自分のコントロールが利かなくなる、神のみぞ知るというか、その領域から得られるものが欲しかったからだとか。

まさに!

──世界的な名声を得ていて、老齢になってもまだ、そういうものを求めていた。

そこがピカソのすごいところだよね。すごいアーティストって、好奇心を強烈なレベルでずっと維持できるんですよね。いちばんダメなのは、有名になって、偉くなって、オートパイロットで死んじゃうタイプ(笑)。創造人としてはいちばんつまらないパターンだね。




──対極ですね。

そう、だからいま話したようなことが、僕がやってきた仕事のベースになっています。スピリチュアルという言葉を使うには注意が必要だけど、でもまあ、そういう人間体験領域も事実としてあって、非常に深い歴史があって。
だから自分のなかではつねに、そのふたつの要素から何かを生み出そうとしてるという感じがしています。ディープ・ルッキング(*)の考え方は、自分の大事なアンカーとしてつねにあって。たとえばアートというものを鑑賞するときに出てくる気持ちとか感覚、知恵みたいなものを本に著したのが『DEEP LOOKING』なんです。

*対象を漫然と表層的に見るのではなく、非日常的な意識状態で深く観察する。それによって凝り固まった思考から解放され、自由にクリエイティブに思考することができる、また、社会や世界をニュートラルな目で見ることを可能にする、とロジャーさんは提唱する。




深い観察、ディープ・ルッキング


──初の著書『DEEP LOOKING』は、日本語で書かれていますね。

じつは僕、日本語の読み書きはできないんですよ。日本で生まれたけれど、イギリスで教育を受けてきたので。だからこの本は、パソコンでローマ字打ちして、編集の方と一緒に練っていって完成したもの。ある意味、日本語のマインドで書いたというかね。日本語は私にとって純然たるファーストランゲージではないから、その距離感がよかった。ワンクッションあると、なんというか、言葉が優しくなるっていうか。気持ちが100%はのらないので、かえってそれがよかったのかなと思っているんです。





──おもしろいですねえ。英訳版は出さないんですか?

あはは! それってどうやるんだろう。誰かに翻訳してもらったものを僕がチェックするってことになるのかな。
でもね、いい体験でした。タイミング的にも、アート界的にも、こういうのは書きたかったし、アートファンじゃない人たちにも役に立つのかなと思って。もともと宗教と美術の交差点が私の専門で、瞑想とアートの関係とか、儀式性と美術ってなんだろうとか、そのへんのトピックをずっと研究していて。僕のなかでは自然な、それをもうちょっと世俗的なかたちで出したということですね。だから、瞑想という言葉もあえてあまり使ってないんだけど、ずばり言えば、ディープ・ルッキングって一種の瞑想法とも思ってるんです。気づく人はたぶんそうやって読んでくれると思うけど。



──うん。最近の私のキーワードは“ワンネス”ですから。

あ、じゃあ話が早いね!

──だから、読んでいて気持ちがよかった。

やった! でも最近は、ビジネス的なイノベーションを高める目的でアートを利用するというようなハウツー本なんかも出ていて、アートが道具化されちゃっているところがあって。それはそれでいい面もあるけど、この本に書いたような微妙なところが落ちちゃって全部言語化しちゃうと、ちょっと危険って思うときもある。

──コストパフォーマンスとか、どんな意味や効果があるかとか。

そう、答えを求めがちな傾向に対して、こっちも忘れないでねって言いたい。感覚とか勘とか、言葉にできない要素もやっぱりある。でもそこが難しいところで、そっちだけに頼っちゃうと今度は、なんの価値観でそれがいいといえるのかっていう問題が出てくるんだけど。
まあ、できるだけ意識を開いた状態を保って、言葉に行くときもあるし、勘とかに頼るときもあるしって、そういう無数のチャンネルをつねにもっていることは忘れないほうがいいと思う。




いろんな登山道の、いろんなガイドブック


──さまざまな宗教について学んできて、共通しているなと思うことはあります?

ずばり言うと、まさにさっき言った“ワンネス”じゃない? 宗教によって、いろんな複雑なシステム、言語、文法で、それを表現してきたと思うので、みんな一緒だとは安易に言えないけど。目指す山の頂上は同じなんだけど、違う道で登っているということだと思いますよ。

──でも、多神教と一神教ってものすごく違うような気がするんですが。

まあね。でもそれはたぶん、フォルムの問題だと思う。




──フォルムの問題!

だって、キリスト教もイスラム教も、仏教とかヒンズー教とか神道もそうだと思うけど、基本的にはコアに近づくと、真実のようなところに向かおうとしていますよ。たまたまそのストーリーの違いだけ、便宜上の分類にすぎないのかなって、僕はそう解釈してますけど。

──わあ、おもしろい!

もちろんストーリーがそれぞれ違うから、現実的に大きな違いが出るというのは当然、理解するよね。でも宗教の本質というか、背骨的な部分まで遡ると、たぶん非常に会話はできると思いますね。キリストにしろ、ブッダにしろ、本人ではなく弟子たちが経典にして、政治的にして、それによって戦争が起きたりしているけど、諸宗教は元の教えまで遡れば、基本的には愛、ワンネス、トゥルース、いまここ、という、似たようなことを言っていると思う。ナイーブにすぎるかもしれないけども。




──いやいや。でも我々人類は何千年もずっと、全然その境地にはたどり着けませんね。むしろ遠ざかってるんじゃないか。

本当、そうですよね。それがまた人類の旅をおもしろくしてるっていえば、おもしろくしてるよね。だってみんなが悟っちゃったらさ、どんな世界なんだろうっていう。

──お花畑……(笑)。

そうそう、楽園になっちゃうから。それは、もうちょっとあとでいいじゃない(笑)? 地球上は、やっぱりごちゃごちゃするところなのかなって。だから修行やアートも生まれるのかなと思ったりもする。
で、究極的な愛みたいなものをちらちら見聞きするから芸術というものがあるのかなって僕はいつも思っていて。それを朝から晩まで意識しちゃうと見事なサドゥー(行者)ということになるけれど、僕ら普通の人たちは日常のなかで、いいな、すばらしいなって一瞬がある。ちょっと意識が飛ぶ、という表現でいいのかわからないけれど、そういう体験をかたちにするのがアーティストであり、ミュージシャンであり、詩人であり。あるいは家庭のなかでも、テーブルに花を飾るという何気ないことでだって、家族で共有できる一種の愛の表現じゃないかと思う。




そういうことは誰にとっても決して遠い存在ではない。だから、それが経典となって、こうしなければいけないって押しつけられると、個人的にはイライラしてきて、その場を去りたくなるよ(笑)。100%のグル(師)に100%フォローします、ではなく、やっぱりつねに自分のなかで、これって本当かな、どうしてかなってクエスチョンしていくのが本当の修行者の仕事だと思う。

──宗教は、そのためにある?

かもね。さっきの山のメタファーじゃないけど、先に登っていった偉大な先輩たちが、何合目まではこうやって行くといいよっていうガイド、それが宗教なのかなっていう見方もできるよね。7合目のこのへんには穴があるから落ちないように気をつけてね、なんていうヒントがつまっていて。それがたぶん世界の宗教の知恵という、大きな伝統だと思う。




心の解放に強烈に効く薬


──ロジャーさんご自身は特定の宗教を信じているんですか?

特にないですね。キリスト教の学校に通っていたころは、毎週チャペルに行っていたし、仏教にハマった時期は、僧侶になる勢いで禅寺に修行に行っていた時期もありました。だけど、いろんな文献を読むのも好きだし、どの宗教も似たような山を登ろうとしているということが感じられてくれば、べつに特定の宗教にこだわる必要はないと思って。
ここ2~3年はいま一度、インドに関心が向かってて。インドのヴェーダ教は世界最古の宗教ともいわれていて、そこからキリスト教、仏教、イスラム教も生まれているから、根っこの根っこみたいなところもあるでしょう。



──そのときどきでいろいろハマりはするけれど、偏ったままではなく、基本の立ち位置に戻る。ロジャーさんのそういった複合的な視点、フラットなスタンスは、日本とイギリス、祖国がふたつあるというアイデンティティと関係ありますか?

ああ、おもしろいね。確かに、つねにふたつの文化を内在化してる。高校生まではそれがすごい嫌だった。いじめのポイントにもされるしね。クラスメイトはひとつの文化のなかのアイデンティティを明確にもっていて、そこから発言しているのがすごい羨ましかったですね。
でも僕は大学生のときにフランスの思想家、フェリックス・ガタリの哲学と出会って救われたんです。人間はつねにマルチな存在で、ましてや宇宙全体も毎秒動いている状態なので、便宜上は安定したかたちをもっているというけれども、それは真実ではないという。仏教にも近い考え方ですね。で、そうか、僕はそれを実感できるんだから、逆にすごいラッキーなんだ、これは活かさないと、と思えたんです。

──発想の転換があった。

人間であることはマルチ、つまり複数のアイデンティティを入れたり出したりというプロセスではないかということ。だから僕はいま、そういう意味では意外に居心地がいいんだよね。でも、アイデンティティをひとつにしなさいよって批判する人もいるかもしれない。ひとつから強さが生まれると考える人もいるじゃない?

──でもたぶん、アイデンティティをいくつももっていたほうが生きやすいですよね。ひとつの役割に押し込まれちゃっているから苦しんでいるという人は、少なからずいるのではないかと。

うん、まさにそうだと思う。




──いろいろな顔をもっていればたぶん、楽になりますよね。

本当に。ひとりの人間のなかに、いろんな自分があると思う。

──それをどこまで自分と捉えるかっていうと、それこそ仏教の世界になっちゃうけど。

本当にそうだよ。平安時代の、顔が顔のなかから出てくる有名な彫刻もあるじゃない?

──宝誌和尚立像。そう考えると、人が考えることってずっと変わらないんだなって思いますね。

本当、そうだよね。だから、歴史から学ぶってことは非常に大事だなと思っていて。未来を見るとき、逆に過去を振り返ってみるとヒントがある。アートはそういう意味では物質的な世界で、世界の美術館にモノが眠っているじゃん、何千年も前のものから。それはまさに巨大な道具箱で、そこから得られることってすごいいっぱいある。これからの時代を生きるための知恵、精神、真理。人間であるうえでのテクニックは、美術から学べると思う。




──うんうん。

孤独感やストレスといった現代的な心理状態、ノイローゼ的に固まっている何かを緩和する、リリースする。そのための、アートは非常に強烈なお薬なんですよ。


自分からコミットする、他者と共有する


──そうですよね。芸術のことはわかんないとかいって、自ら境界線を引いてしまうのはもったいない。『DEEP LOOKING』に、誰もが表現できるって書いてるのは、そのとおりだと思います。

それを実践までもっていくっていうのがすごい大事だと思っていて。単なるきれいごとでもないし、アートになんとなくふれていればイノベーションができるとか、そんな空虚な話でもない。作家たちは毎日ディープ・ルッキングをやっているから、いい作品がつくれる。我々鑑賞者もそれを日常に取り入れることによって、具体的なアクションができるんじゃない?っていうのがポイントですよね。
それにはやっぱりある程度の時間とエネルギーのコミットメントが必要。そこがまずないとこれは活きてこないと思いますね。「There's no such thing as a free lunch」っていうフレーズがあるんです。直訳すると「無料のランチのようなものは社会にはない」ということだけど、つまり、自分から何もコミットしないで結果だけ得るっていうものはひとつもない、という意味。本当にそのとおりだと思います。

──Arts Initiative TokyoというNPOを運営しているのも、そういう考え方が基になっているんですね。

AITは僕が日本に戻ってきたとき、同じように海外留学から帰ってきた仲間たちと出会ったのがきっかけで2001年に立ち上げました。当時の国内では、社会人が現代美術を深く学んだりディスカッションしたりする場があまりなかった。じゃあ、講師の経験や研究成果もある自分たちで、美術大学でもカルチャースクールでもない、誰でもウエルカムな学校をつくろう、と。銀行に勤めている人やリタイアした人、もちろん若者も、いろんな人たちと一緒に、いまのアートについて考える場所です。
オルタナティブなアートスクールというものを日本で20年以上やってきたというのは、すごく誇りに思っています。生徒は延べ3,000人くらいにはなっているかな。でも時代も時代だしね、はっきり言って当初と状況が大きく変わってきていて。そのなかで、こういう学校をやる意味ってなんだろうっていうのはつねに課題としてあって、いまは過渡期なのかなと思ってます。オンラインにシフトしたけど、オンライン疲れもあるし、できればフィジカルに少人数制っていうのもすごい意味があるなとも思っていて。

──特にここ数年で社会が大きく変わって実感しましたけど、人と対面する、外部とふれることで、すごい刺激されますよね。自分のなかのマルチ形成にもつながる。

うんうん。本当、そう思います。




やっぱり、ひとりの人間の心の問題から始めよう


──それを体現しているのがまた、フェンバーガーハウスでもありますね。この場所をつくった経緯は?

ここは父の別荘だった場所で、2010年に移住してきました。いつかは田舎に住みたいと思っていて、子どもが生まれたタイミングで、いいチャンスだと思って。
隣にフェンバーガーハウスをオープンしたのは2014年。隣の方が家を手放すというので声をかけてくれたんです。土地もつながってるし、アートスペースがつくれるっていう目論見で売ってもらいました。本業ではないからそこまでプレッシャーはなく、でも昔からやりたかった企画やイベントができるようになって。ディープ・ルッキングの実験場みたいな感じで、夏期限定で展覧会を企画開催しています。訪れた人たちにランチを出して、食後は高性能のスピーカーでレコードをゆっくり聴いてもらって。ギャラリーガイドもやります。ゆるいプログラムを提供することによって深い観察を促すのが目的ですね。



──そうした人が増えると、平和になるからやっている?

というか、僕のなかではそれが理想の美術の鑑賞法なんですね。

──著書の最終章で環境のことにふれられているので、そういうところまで視点を広げているのかな、と思いました。

そうね。これからたぶん相当高い確率で我々の生活もいまと違うかたちになっていくでしょう。激しく変わろうとしている世界のなかで、我々も適応していくしかないっていうか、そういう時代に入っていると思う。適応のためのソフトウェアのひとつとして、ディープ・ルッキング、あるいはアートというものは、すごく大事な役割を果たすと思ってるんです。だから、最終的に世界の平和につながるかもしれないけど、まずは個のレベルで心の適応というのかな、そういうことですよね。

──来るべき世界に対しての適応。それは、ワンネスに向かうことでもありますね!



ロジャー・マクドナルドさんの “仕事の相棒”
紙とペン
「読書のときも、展覧会を企画するときも、講義のアイデアを練るときも。思い浮かんだことを書き留めるため、傍らにはいつもメモ帳があります。忘れないためというか、記憶の延長線上のものですね。文章を書く際のステップとしては、手書きのメモからヒントを得て、キーボードでパソコンに打ち込んで、初めてデジタルのものになっていくっていう。キーボードで打つと、その瞬間からリスト化されちゃう気がするけど、そのもっと手前の生っぽい情報はやっぱり、手書きじゃないとね」



野村美丘さんの本

『わたしをひらくしごと』

全国の書店にて好評発売中

<<連載もくじ


インタビュアー

野村美丘(のむら・みっく)

1974年、東京都出身。明星学園高校、東京造形大学卒業。『スタジオ・ボイス』『流行通信』の広告営業、デザイン関連会社で書籍の編集を経て、現在はフリーランスのインタビュー、執筆、編集業。文化、意匠、食、犬と猫、心と体と精神性、そのルーツなど、人の営みがテーマ。さまざまなことやものや考えがあると知り、選択肢がたくさんあることに気がつくこと。その重なり・広がりが有機的につながっていくことに関心あり。フォトグラファーの夫とphotopicnicを運営している。
編集した本に『暮らしのなかのSDGs』『ヒトゴトにしない社会へ』『モダン・ベトナミーズ(キッチン・鈴木珠美著)』『ホーチミンのおいしい!がとまらない ベトナム食べ歩きガイド』(アノニマ・スタジオ)、『うるしと漫画とワタシ(堀道広著)』(駒草出版)、『マレーシアのおいしい家庭料理(馬来風光美食・エレン著)』(マイナビ)、『定食パスタ(カプスーラ・浜田真起子著)』(雷鳥社)など。
www.photopicnic.pics


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