タイトルデザイン:峯崎ノリテル ((STUDIO))
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「働いて生きること」は、人の数だけ、物語がある──。私がこれまでに出会った、他の誰とも似ていない仕事をしている「自分自身が肩書き」な人たちに、どのようにしてそうなったのかを語ってもらい、それが『わたしをひらくしごと』という一冊の本になりました。
この連載は、件の本に登場してもらった人たちから、さらに「自分自身が肩書き」な人を紹介してもらって会いにいくという進化版。前回までは私の友人知人がインタビュー対象でしたが、今回は、そのまた友人知人、つまり私にとっては初対面の方ばかりです。友だちの友だちは、みな友だちだ。世界にわたしをひらこう、ひろげよう、友だちの輪! さて、どうなることやら。
写真:藤田二朗(photopicnic)
建築家らしからぬ建築家を目指して
MIGRANT 小穴真弓さん(一級建築士)
順調に進んでいくことだってできた。
でも途中で、そのレールから外れてみたのだ。
そうしたら手に入ったのは
眼前の北アルプスを望む風景だけでなく
それと同じくらい広々と見晴らしのいい視点だった。
小穴真弓さんをひらく、しごとの話。
◉ 名前
建築士
◉ この仕事を始めたきっかけわかりやすい、という軽いノリ
おあな・まゆみ
1982年、東京生まれ。早稲田大学大学院建築学専攻修士課程終了。日建設計および手塚建築研究所に勤務後、2018年に長野県安曇野市に移住。株式会社MIGRANTを共同主宰し、住宅や店舗をはじめとする設計の仕事の傍ら、民泊、シェアハウス、カフェ、ワークスペースを運営。畑とアヒルとニワトリたちを愛でる幸せな日々を送っている。
www.migrant-a.com
◉ 紹介してくれた人
勇気があって頭のいい、仕事のできすぎるワイルドな人。事を成すことについて誰よりもストイック。センスがよくて繊細で、愛情深い甘え上手。昨今、こんな素敵な男子は希少だ、女にしておくにはもったいない。たとえ世界中の男に失望しても、彼女のいる安曇野の家にいつだって帰っていける親友の私は、幸せものです。地方も楽しいんだ
──安曇野に移住したきっかけはなんだったんでしょう?都内の手塚建築研究所という建築事務所に勤めていたとき、地方の物件を担当することが多かったんです。新潟の「三条スパイス研究所」を手がけたりするなかで、(山倉)あゆみさんたちと仲よくなって。当時、東京で社畜のように働きまくっている自分と彼らが対照的に見えたんですね。働かされているのではなく、自分でつくり出した仕事をこんなに楽しそうにやっている人たちがいるということにすごい衝撃を受けて。東京の暮らししか知らなかったけど、地方も楽しいんだっていうのが、そのとき私の心に植えつけられた。だから何年かして独立しようと思ったときに、どこかよそに行きたいなと。
──安曇野に決めたのは?
それこそ最初は、あゆみさんたちがいるからと、新潟で物件を探したんですよ。でも物件をネットで検索しているうちに、嫌になっちゃって。せっかく田舎に行くのに、目の前のいい景色が見えない、都会と同じような間取りの狭いアパートに住んでもしょうがないなあって思っちゃった。設計の仕事をするんだったら、まず自分がいい空間、建物にいたいなって。
当時、よく山に登っていたんです。いま住んでいるこの家を拠点に、北アルプスなんかに毎週のように行っていたんですね。あるとき帰り道に、あれ? この家があるじゃん、と気がついて。まわりが田んぼだらけで、常念岳っていうかっこいい山が正面に見える、最高の立地に。
──都内の自宅から山への行き帰りに、中継地点としてこの家を使っていたんですね。
そうなんです。ここはもともとは祖母の家なんですけど、祖母が亡くなってからは誰も住んでいませんでした。
持ち家のある子ども
私が相続した家ではあるけれど、自分が占領するイメージはまったくなかった。小さいころから親戚みんなの家って感じだったので。だけど、ここに住みたいって親戚のおばたちにおそるおそる相談してみたら、みんな大喜びしてくれて。
──小穴さんがこの家を相続したのは、子どものときだったとか。
小学校3年生くらいのときに母から、天体望遠鏡を買ってあげるから、小穴の姓にならない?って言われたんです(笑)。母は5人姉妹で、全員お嫁に行って、祖父は早くに亡くなって、小穴にはおばあちゃんしかいなくなっていたものだから。後継ぎをつくんなきゃってことで、私に白羽の矢が立ったようです。でもね、つい最近、自分の戸籍をよくよく見たら、私が生まれてすぐ、すでに小穴の姓になっていたんですよ。
──あれ、望遠鏡以前の話だった(笑)?
まあ、そんなわけで、いろんなピースがうまくはまったようなかたちで、ほんとになんの苦労もせず、順風満帆に楽しい移住生活が始まったんです。
敷かれたレールの上をスムーズに歩んで
──そもそもなぜ建築やろうと思ったんでしょう?
数学と美術が好きだったので、数学科か建築科、どっちかに大学進学しようかなと。学問のなかでは数学がいちばん好きだったんですけど、数学を学んだ後、将来なんの仕事をするのかって想像できなかったんですね。かたや建築は、建築家という職業があって、わかりやすい。そんな軽いノリで建築を選びました。私、昔から面倒くさがりで、あんまり深く物事を考えるのが得意じゃなくて。
それで、大学を卒業した後に、日建設計という国内一大きい設計会社に就職しました。
──スムーズですね。じゃあ、細かいところではいろいろあったかもしれないにしても、大きい意味でいうと挫折はなかった?
挫折、挫折……。
──ないな、これは(笑)。
そうですねえ、あまり思い浮かばない。あ、でも挫折とはちょっと違うかもしれないけれど、心境の変化はありました。就職が決まったとき、大企業だったので親は喜んだし、これで人生安泰くらいな感じだったんですけど、結果的に1年半くらいでやめたんですね。
──なぜですか?
思ってたのと違うっていうのは、入社後すぐにわかったんですよ。私はものづくりがしたかったんだけど、それよりもマネジメント能力が問われるというか。あと、たとえば何かやり方を変えたいと思っても、なかなかすぐには状況を改善できないっていうこととか。
──大きい会社ならではのジレンマですね。
そうこうしているうちに、母が病気になったんです。癌で、余命4ヶ月と宣告されて。これは私にとっても人生初といってもいいほど衝撃の出来事でした。
でも、母はめちゃくちゃ希望に満ち溢れている人だったので、退院したら家をまずこう改装して、着物を使ってこれをやって、なんていうプレゼンを、お見舞いに行くたびにするんです。初めての就職でちょっと腐りかけてて、文句を言ったり、こんなもんかなと諦めたりしている私と比べて、この人はなんてすごいんだろう、と。
結局、母は半年くらいでさっさと亡くなっちゃったんですけど、私は母の姿を見て自分の人生を考えて、会社をやめようかな、と思ったんですね。私ね、敷かれたレールの上をずっと優秀に歩いてきた人間なんですよ(笑)。
──敷かれたといっても、大学も仕事も自分で選んでいるでしょう?
そうだけど、みんなが考えるなかの、いちばんよさげなところをスーッと歩いてきたって感じ。でも、そのレールからちょっと外れる決意じゃないけど、たぶん自分のなかで何か変わったんですよね。あ、このままじゃいけないなって気持ちがそこで芽生えたんだと思う。
ちょうどその頃、姉に子どもが生まれたんですね。母と入れ替わりでこの世に現れた、私にとって初の姪っ子。とてつもなくかわいくて、しょっちゅう会いにいきました。彼女と接したことでまた、価値観が変わったんです。それまでは誰も見たことのないような、作品!みたいなとんがった建築がかっこいいと思っていたんだけど、そうではなくて、子どもがいる家族のような、普通の人たちが喜ぶものをつくりたいなって。
それで、学生時代に聴講した手塚貴晴さんの講演会を思い出したんです。家族をとても大事にしていることや、気持ちがいいかどうかっていうことなど、建築家が口にしないようなことをやたら言う人だったなあと。それで学生時代の恩師に推薦状を書いてもらって、晴れて手塚建築研究所に入所できたんです。
──最終的には、そこで出会った寺田和彦さんと一緒に、ご自身の設計事務所を立ち上げて。
寺田さんとはね、料理友だちだったんです。
──元同僚ではなく?
うん、同僚です。事務所にはキッチンがあって、そこでスタッフが自由にごはんをつくってよかったんですね。寺田さんも私も毎日同じような時間にそこで自炊してたから、そっちの料理おいしそうだねとかやってると、そのうち、じゃあもう面倒だから一緒につくろうかって。寺田さんとは夫婦でもなんでもないんだけど、それ以来ずっと同じものを食べて生きてきたので、馬が合うというか、似てくるというか。
──寺田さんも同じタイミングで独立を考えていたんですか?
いつかは独立するのかな、くらい。
──その程度だったのを、連れ出しちゃったんですね。
そう! 寺田さんってめちゃくちゃ能力の高い人なんですけど、自分で始めるタイプじゃないんですよね。いつかはひとりでも独立したかもしれないけど、私みたいな言い出しっぺをきっかけに実行するほうが得意なタイプ。だから私が一緒に独立しようっていったら、おお、いいじゃんいいじゃんって(笑)。
──一緒に移住までするなんて、なかなか希少な関係性ですよね。
そうですね。順応性が異常に高いから、一瞬で新しい土地に馴染んでましたけど(笑)。でも、これがもし夫婦で一緒に仕事してたら、たぶん大喧嘩すると思うんですよ。でも他人同士だから、頼りはするけど、でも甘えすぎないというか、喧嘩にはならないですよね。まあ、なるっちゃなるんだけど(笑)。
ほんと、この家を手に入れられたことと、寺田さんというパートナーを見つけられたことが、人生最大のラッキーだったと思ってます。
自分の運のよさをフィードバックする
──シェアハウスは移住当初から運営しているんですか?2年目からです。斜め隣の親戚が建てた家なんですが、空き家になっていたのをもったいないなあとずっと思っていて、そこを借りました。そもそも空き家活用としてシェアハウスをやったらいいんじゃないかっていう構想はあったんです。でも、そうそういい物件とも出会えないなか、灯台下暗しで目の前にいい空き家があったっていうのと、友人を呼び寄せたかったっていうのがあって。
ここのところ毎夏行っている北海道の知床で出会ったんですけど、白馬で居候しながらスキーをしていたような子で。でも、コロナ禍にはよそ者を受け入れたくない空気が地方にあったじゃないですか。それでなかなかこっちのほうに来にくくなっちゃった。本当に山が好きな人だし、私も彼女のことが大好きなので、もう一度長野に呼び寄せたいなあって。それで、あなたが来るならシェアハウスやるけど、どう?って。
──入居させたい人がいるからシェアハウスをやる、という順番でしたか。
当時はシェアハウスの需要なんかもよくわからず、なりゆきで始めたんですけど、結果的には時代に合ってました。いまとなってはリモートワークが盛んになったから、移住や多拠点生活でシェアハウスに住みたいって人が増えて、ずっと満室なんですよ。
移住するのって、単身者だとちょっと勇気がいりますよね。そういう人でも気軽に来られるような場所をつくりたいと思って。というのも、自分は恵まれていて、なんの苦労もしないで移住できたから。自分のこの運のよさを社会に貢献しないと、誰かに恨まれるんじゃないか、なんてね。
そして億万長者になった
──そして、そのあとに畑を始めて。畑をやるつもりは全然なかったんですけど。農作業する余裕なんてないと思ってたし、近所に県内最大の直売所があっておいしい野菜がいくらでも手に入るので、全然困ってなかった。自分でつくる意味が見出せなかった。
でも、シェアハウスに呼び寄せたその子が、自分の食べるものを自分でつくりたいっていうので、庭でちょっと野菜をつくっていたんですね。そんな思いの人が近くにいるなら、一緒にやったら楽しいかもと思うようになって。で、畑用地を貸してもらえることになったんですけど、これが思ったより広くて。
──家庭菜園って感じではない面積ですね。
田んぼ1枚分くらいあります(笑)。人様からお借りした場所を草ぼうぼうにするわけにはいかないので、これはちょっと真面目にやらないと、と。それでちゃんと勉強しようと思って、安曇野で自然農園スクールっていうのを見つけて、すぐに申し込んで。で、自然農のことを教わり始めたら、これがめちゃくちゃおもしろい。いままで知らなかった深い世界を覗いてしまったって感じ。どちらかというと人のためにやろうと思った畑だったのに、自分がハマっちゃったんです。
登山や川下りやスキーで、休日は必ずアウトドアに出かけてたんですけど、最近はもっぱら畑仕事のウエイトが高くなってきて、それらの趣味は以前ほどの熱意ではやらなくなっちゃいました。でも、自然のなかにいることは一貫して好きですね。
──いま、それが出かけずしてできるようになったから。
うんうん、そうですね。畑にいる時間がじつはいちばん自然のなかにいる感じすらしています。野菜を育てる以上に豊かなことはないなって。そういう意味では私、億万長者なんですよ。おいしい空気を吸って、蛇口をひねればつねにきれいな水が飲めて、おいしい野菜を自分の手でつくり続けられるってことがあれば、何が起きても死なないだろうし。
──その安心感をもって生きていられるっていうのが、いちばん心安らかに、そして心強くいられる。
ほんとにそう。だから想像以上に畑にハマっちゃったんだと思います。なるべく不耕起でやりたいと思っていて。大きい機械を使わずに、自分の手でできることをやるほうがおもしろいから。登山にたとえるなら、ロープウェイなんかを使わないで、自分の足で歩いて山頂にたどり着くような。
──その過程が楽しいですもんね。そこをすっ飛ばしてしまったら意味がない。
そうそう、そうなんです。自分で試行錯誤するのが楽しいんですよね。やってみてうまく行くこと、行かないことに、いちいち深みがあるんですよ。パックラフトやバックカントリーではある程度、ここから先はできないなっていう自分の限界が見えるんですけど、畑は無限の可能性があって、一生とおして探求できる気がしています。とんでもなく濃い遊びで、いまいちばんの関心ごとです。
──いまはじゃあ、メインの設計業の他には、隣家のシェアハウスと、畑と。
去年からカフェと、一般の人が使えるワークスペースも始めました。ワークスペースは1日500円の使用料で、まかないランチつきで1000円。みんなで食卓を囲みます。今日もこれから知らない人がふたり来ますから(笑)、一緒に食事しましょう。 あ、あと、民泊もやっています。こんなに家が広くて、ひとり暮らしではもったいないし。移住してまず民泊を始めて、2年目でシェアハウス、3年目で畑と、1年ごとに新しいことに着手している感じですね。
建築家っぽくない建築家
──いまは何を始めようとしていますか?古民家再生プロジェクト。古民家をうちの会社で買って、自分たちで片づけて、貸したり売ったりするっていう。設計の仕事はお客さんのオーダーを受けて、お客さんの要望に合わせていきますが、この場合はお客さん主体じゃなくて、自分が施主というか。
──設計って基本的には発注してもらって初めて始まる仕事ですよね。そういう意味では受け身なわけだけど、そこを、自分から動いてしまう。
当たり前だけど、発注仕事は当然ながらすべて自分の思うとおりにはできないというところがあるし、それに移住したいから物件を探してるっていう相談をよく受けるんです。でも、いい物件がなくて困っている人が多い。
──縁故がない状態で探しても、見つからなかったり。
そう。物件自体まず出てこないし、仮に出てきても、ものすごく古くてリノベにいくらかかるか想像もつかないような状態の家か、反対に、一応リフォームはしてあって安価だけど、自然素材ではなく新建材が使われている家か。二極化していて、ちょうどいい物件がない。だから、自分でつくったらいいんじゃないかと思って。
私としても空き家は活用したいから、リノベしてみんなに住んでほしいんですけど、リノベの仕事ってすごく大変なんです。お客さんとたくさん打ち合わせして、要望を聞いて、現場にも足を運んでってやってると正直、採算が合わない。でも、やりたい仕事ではあるんですよね。
自分でやったら、お客さんとのすり合わせとか、普段私たちがかけている時間のたぶん半分以上減るんですよ。それに、私たちは古い家に対して、こうなったらきっといいっていうことは考えられるから、それでしつらえて、それが気に入った人が買ったり借りたりしてくれればいいんじゃないかって。いっぱい話し合いながら進めていくのって、お客さんのほうも時間がとられて大変なことだから、すぐに手に入る家の需要というのもあるんですよ。だから、お互いにいいんじゃないかと。
──建築の仕事は外側のハードの部分をつくる仕事ですが、じつはソフトの部分が大事なんですね。ソフトがないとハードが生きないから、当たり前なことではありますが。
そうですね。特に私は、ハードのほうにはあんまり関心がないです。建築家っぽくない建築家を目指してる。建築家の自己満足みたいな、作品みたいな考え方は、少なくとも私は好きではない。もちろん、それがいいという人もいるし、それはそれでいいと思うんですけど。でも、そういう家がいくつできても、喜ぶ人は限られる気がする。それよりも、この家のように、来た人みんながいいって言ってくれるような家をつくっていって、やがてそれがいい風景に、いい街になっていくような。そういうものを、私はつくっていきたいんです。
寺田さん
「寺田さんと私は正反対のタイプ。私は瞬発的にアイデアを出すのは得意なんだけど、それを実行するまでの実務過程、たとえば図面を精密に描いたり、細かい収まりを熟慮したりっていうことは全然したくないんです。でもすばらしいことに、寺田さんはそういうのが全部得意! 私がやりたいことだけをやって生きていける立ち位置にいられるのは、寺田さんのおかげ。一緒にいても疲れず、心を許せる、いちばん仲のいい友だちでもある。私の人生に不可欠な存在の人です」
『わたしをひらくしごと』
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インタビュアー
野村美丘(のむら・みっく)
1974年、東京都出身。明星学園高校、東京造形大学卒業。『スタジオ・ボイス』『流行通信』の広告営業、デザイン関連会社で書籍の編集を経て、現在はフリーランスのインタビュー、執筆、編集業。文化、意匠、食、犬と猫、心と体と精神性、そのルーツなど、人の営みがテーマ。さまざまなことやものや考えがあると知り、選択肢がたくさんあることに気がつくこと。その重なり・広がりが有機的につながっていくことに関心あり。フォトグラファーの夫とphotopicnicを運営している。
編集した本に『暮らしのなかのSDGs』『ヒトゴトにしない社会へ』『モダン・ベトナミーズ(キッチン・鈴木珠美著)』『ホーチミンのおいしい!がとまらない ベトナム食べ歩きガイド』(アノニマ・スタジオ)、『うるしと漫画とワタシ(堀道広著)』(駒草出版)、『マレーシアのおいしい家庭料理(馬来風光美食・エレン著)』(マイナビ)、『定食パスタ(カプスーラ・浜田真起子著)』(雷鳥社)など。
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