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第2話 魔法がかかった
いつからだろう。牧場に来ることが私の喜びになったのは。一回限りのイベントとして「乗馬体験」を息子に贈るつもりだった私と夫は、その後、子どもに引っ張られるようにして、毎週末を牧場で過ごすようになっていく。その日々の中で、探し求めていた新しい保育の姿を、馬たちとの関係の中に見出すようになるなんて思いもよらずに。
牧場には、馬が自由に過ごす放牧エリアが広く設けられている。かけまわる動的なイメージに反して、実際のところ彼らは驚くほどじっとしている。時間が止まったかのような錯覚を覚えるほどだ。ホースセラピーや乗馬など、馬が人のための仕事を行う場合は、馬の状態を整える準備運動が必要になる。そのため、牧場には運動するための場所、人を乗せるための場所として「馬場」が設置されている。馬場は、丸と四角の2タイプあり、落馬しても痛くないようにたっぷり砂が入れられている。直径15メートルほどの円形の馬場を丸馬場、長方形のものを角馬場と呼び、その中でそれぞれに適した運動が行われる(わたしたちが出会った2016年の冬にはカムロファームにはまだ丸馬場はなく、春以降に整えていくことになる)。
馬房掃除を終えて、サヨコ先生と共に放牧エリアに入った息子がポニーに曳綱をつけて連れてきた。「この子、キャロットって名前なんだって」顔をほころばせながら私に教えてくれた。4本の木製の支柱に囲まれた「蹄洗場」に馬をつなぎ、お腹や背中に丁寧にブラシをかけたら、蹄の裏につまった泥を取り除く「ウラホリ」を行う。こうしたお世話は常に馬の左側から右側へという順序を守って行うことが鉄則だという。「馬は構造やパターンを記憶すると言われていて、常に同じ順序で世話をします。秩序を守ることは、馬の安心のためにとても大切なんです」とサヨコ先生。私は、小さい子どもと似ているなあと思いながら聞いている。ウラホリは、馬の足元に近づくのでリスクが高い仕事だ。サヨコ先生のデモンストレーション後に、息子もこわごわやってみる。次に、馬に乗るための道具を装着する「馬装」を行う。馬の背中にゼッケンという布をかけて、その上に革製の鞍を乗せ、鞍を安定させるために腹帯をつけるなどの一連の作業を教えてもらう。
馬装を終えると曳綱を右手にもって、サヨコ先生とキャロットと一緒に馬場に向かう。息子のちいさな身体で出しうる最大の歩幅で角馬場をぐるりとまわり終えると、キャロットの背中に乗せてもらえることになった。金属製の鐙に左足をかけて、跳ね上がるようにして背中にまたがる。一気に目線が高くなり、景色は一変する。多分、この瞬間、息子に魔法がかかった。どうしようもなく惹かれるもの、かけがえのない存在と共にある時に湧き上がる歓びを彼は知ってしまった。
私たち家族にとって特別な一日になった、はじめての牧場訪問。さらに、特大のおまけがあった。サヨコ先生に保育園の立ち上げを計画していることを話すと、「私たちもこども園をこの近くでやっているの。園長は私の夫。馬も羊も飼ってるから見に来たら」と教えてくれたのだ。驚いた私たちはその足でサヨコ先生が働くこども園に向かった。豊かな里山を背に立つ杉材をたっぷり使った園舎。園庭となっている里山を登っていく途中には、丸太の上や草の茂みに子どもたちの遊びの痕跡が残されていて、ここで流れている豊かな時間を想像させる。里山の手前にちょこんと佇む簡素な小屋をのぞくと、馬、羊、山羊の三頭が「どなた?」という表情でこちらの様子をうかがっている。里山の中腹には曲線を活かした美しいツリーハウス。胸の内のざわめきがクレシェンドしていくのを感じながら、私は携帯を手に電話をかけていた。「サヨコ先生、こども園のお話を聞かせていただけないでしょうか。できれば今すぐにでも!」
牧場には、馬が自由に過ごす放牧エリアが広く設けられている。かけまわる動的なイメージに反して、実際のところ彼らは驚くほどじっとしている。時間が止まったかのような錯覚を覚えるほどだ。ホースセラピーや乗馬など、馬が人のための仕事を行う場合は、馬の状態を整える準備運動が必要になる。そのため、牧場には運動するための場所、人を乗せるための場所として「馬場」が設置されている。馬場は、丸と四角の2タイプあり、落馬しても痛くないようにたっぷり砂が入れられている。直径15メートルほどの円形の馬場を丸馬場、長方形のものを角馬場と呼び、その中でそれぞれに適した運動が行われる(わたしたちが出会った2016年の冬にはカムロファームにはまだ丸馬場はなく、春以降に整えていくことになる)。
馬房掃除を終えて、サヨコ先生と共に放牧エリアに入った息子がポニーに曳綱をつけて連れてきた。「この子、キャロットって名前なんだって」顔をほころばせながら私に教えてくれた。4本の木製の支柱に囲まれた「蹄洗場」に馬をつなぎ、お腹や背中に丁寧にブラシをかけたら、蹄の裏につまった泥を取り除く「ウラホリ」を行う。こうしたお世話は常に馬の左側から右側へという順序を守って行うことが鉄則だという。「馬は構造やパターンを記憶すると言われていて、常に同じ順序で世話をします。秩序を守ることは、馬の安心のためにとても大切なんです」とサヨコ先生。私は、小さい子どもと似ているなあと思いながら聞いている。ウラホリは、馬の足元に近づくのでリスクが高い仕事だ。サヨコ先生のデモンストレーション後に、息子もこわごわやってみる。次に、馬に乗るための道具を装着する「馬装」を行う。馬の背中にゼッケンという布をかけて、その上に革製の鞍を乗せ、鞍を安定させるために腹帯をつけるなどの一連の作業を教えてもらう。
馬装を終えると曳綱を右手にもって、サヨコ先生とキャロットと一緒に馬場に向かう。息子のちいさな身体で出しうる最大の歩幅で角馬場をぐるりとまわり終えると、キャロットの背中に乗せてもらえることになった。金属製の鐙に左足をかけて、跳ね上がるようにして背中にまたがる。一気に目線が高くなり、景色は一変する。多分、この瞬間、息子に魔法がかかった。どうしようもなく惹かれるもの、かけがえのない存在と共にある時に湧き上がる歓びを彼は知ってしまった。
私たち家族にとって特別な一日になった、はじめての牧場訪問。さらに、特大のおまけがあった。サヨコ先生に保育園の立ち上げを計画していることを話すと、「私たちもこども園をこの近くでやっているの。園長は私の夫。馬も羊も飼ってるから見に来たら」と教えてくれたのだ。驚いた私たちはその足でサヨコ先生が働くこども園に向かった。豊かな里山を背に立つ杉材をたっぷり使った園舎。園庭となっている里山を登っていく途中には、丸太の上や草の茂みに子どもたちの遊びの痕跡が残されていて、ここで流れている豊かな時間を想像させる。里山の手前にちょこんと佇む簡素な小屋をのぞくと、馬、羊、山羊の三頭が「どなた?」という表情でこちらの様子をうかがっている。里山の中腹には曲線を活かした美しいツリーハウス。胸の内のざわめきがクレシェンドしていくのを感じながら、私は携帯を手に電話をかけていた。「サヨコ先生、こども園のお話を聞かせていただけないでしょうか。できれば今すぐにでも!」
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遠藤 綾(Aya Endo)
軽井沢風越学園 職員/ライター/編集者。
2005~07年九州大学USI子どもプロジェクトで子どもの居場所づくりの研究に携わる。2008年から主に子ども領域で書く仕事、つくる仕事に携わりながら、インタビューサイト「こどものカタチ」を運営。2013~16年 NPO法人「SOS子どもの村JAPAN」で家族と暮らせない子どものための仕事に携わる。2016年に山形県鶴岡市に移住し、2016年~2021年「やまのこ保育園home」、2018年「やまのこ保育園」の立ち上げと運営に携わる。2021年春に軽井沢へ拠点を移し、現職。
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