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第8話 10歳のワタシ
保育園を開園して半年が経とうとしていた頃、頭に直径5mmの不毛地帯が出現した。私の身体はアラートを鳴らしていたのだと思う。決めなければならないことの連続の中で判断の勘所がつかめず、周囲に気を遣いすぎて空回りする日々。それにしても何が私をこんなに苦しめているのか。ここまでの状態に追い込まれた理由が思い浮かばない。原因が掴めないまま時間が過ぎていったが、数カ月後、友人との会話をきっかけにその核心に気づくことになった。それは子ども時代の記憶の中にあった。10歳の頃、クラスの女子グループで仲間はずれやからかいの対象にされたことがあった。引き出しの奥深くにしまいこまれて思い出すこともなかった記憶が、いま置かれている状況と相似形を描き、ある種のアレルギー反応を起こしているのではないかと考えると腑に落ちた。でも、どうしたらこの反応を取り除くことができるのだろう。
鞭(/) の痛みの記憶を開放するズミさんとオーロラのやりとりを思い出し、私もオーロラのように子ども時代の痛みを開放できないだろうかと考えた。そのためには、記憶の引き出しをあけて痛みをもう一度経験してみるのはどうかと思いつき、当時の記憶を手繰り寄せることにした。例えば、子どもの頃の写真を見たり、母に当時の話を聞いたり、Google mapで通学路を辿ってみたりした。そんな自己流のセルフセッションの中で、少しずつ10歳のワタシの目に映っていた光景が蘇ってきた。よく着ていた黄色のワンピースのシャリシャリした質感。通学路を埋め尽くしていた桜の花びらの色。自宅の隣にあったうどん屋さんの匂い。鮮明に浮かびあがる光景に出会うと、その光景の中に自分を留めて味わうように心がけた。そうしたことを繰り返す中で、学校の中にいるときの緊張した身体の感覚も思い出した。何も感じないように心のスイッチをオフにすると少し楽になれたことも。そこまで辿り着いたとき、突然子どもの頃の「ワタシ」が戻ってきて、涙が溢れてとまらなくなった。子どもの「ワタシ」を大きくなった私が時空を超えて抱きかかえるような、なんとも言えない時間を何度も過ごした。
そんなセルフセッションを続けていたある日、カムロファームに出かけると、翌日のイベントのために1時間半の道のりを馬に乗って移動させるという。私は道産子のオーロラを担当することになった。ブラシをかけ馬装をして背中にまたがり、川沿いの木立に囲まれた小路をゆっくりとした歩行ですすむ。オーロラの呼吸や体温がつたわってくる。前をすすむ2頭の馬に歩幅を合わせるように、私とオーロラは最後尾からゆっくり続く。時折、木の枝が下に伸びており、木の葉のかたまりの中を身体が通り過ぎていく感覚を愉しんでいた。川沿いの路を過ぎると、森の中に入り、川のせせらぎが少しずつ遠くなっていく。
木の葉が風に揺れる音とオーロラの穏やかな蹄(/) の音に耳を澄ませながら、ふと気を緩めた瞬間に、10歳の「ワタシ」へと意識が延びていく。好きだったワンピースの黄色の花が頭の片隅に浮かび上がったかと思ったら、じわりと涙が溢れてきた。感情を抑えず、静かに流れるままにしていると、オーロラの歩行がぴたりと停まり、全く動かなくなってしまった。大好きな草を食べる様子も見せず、微動だにしない。私は両足を蹴ってオーロラに進もうと合図を送るが、全く動く気配がない。前方を歩く馬たちが少しずつ遠ざかり、森の中にオーロラと二人きりになる。私は深く息を吸い込んで、10歳の「ワタシ」の輪郭をぼやけさせていく。ワンピースの黄色い花が溶けていくのを感じながら、深く息を吸い込み、心の中で「もう大丈夫」と強く念じてみる。するとその瞬間、オーロラがまた歩き始めた。停まっていたのは、60秒くらいだったか。
それから1時間程歩いて、ようやく目的地に到着する。オーロラの背中から降りて、干し草と水をあげる。仲間の2頭が美味しそうに草を喰む横で、オーロラは草も水も口にせず、私をじっと見つめている。波紋ひとつない湖のようなオーロラの瞳を見ていると、私を囲む全ての存在が消失し、オーロラに丸ごと受け入れられているような感覚に包まれた。その瞬間、記憶の奥底に沈んでいた重い塊があたたかく解けていくのを感じた。
この日を境に私は10歳の「ワタシ」にアクセスする必要性を感じなくなった。同時に、職場の状況は変わらないはずなのに、あんなにも感じていた所在なさが消えて、チームのみんなを信じる気持ちがふつふつと沸いてきた。すると自然と、全てがうまくまわるようになっていった。まるで憑き物がとれたように。
あの日オーロラと私の間に起きたことは一体なんだったんだろう。まだ理解が及ばないままだが、オーロラによって終わらせられていなかった私の物語が閉じられたということだけは確かな気がしている。
私はこの日の出来事から「人が人を治す」という以外の選択肢がありえるということと、馬がその相手として相応しい存在であるということを実感することになった。大きくて力も強い、人からみるとどうやってもかなわない存在である馬と繋がる体験は、まるで大きな自然と繋がっているような圧倒的な安心感を与えてくれる。そして、種を超えて繋がれるのであれば、どんな人とだって繋がれるということもまた自分への信頼をも強めてくれる。私は「人が育つ」ということへのアプローチを根本的に塗りかえていくことができる、新しいOSを見つけた気がした。
鞭
そんなセルフセッションを続けていたある日、カムロファームに出かけると、翌日のイベントのために1時間半の道のりを馬に乗って移動させるという。私は道産子のオーロラを担当することになった。ブラシをかけ馬装をして背中にまたがり、川沿いの木立に囲まれた小路をゆっくりとした歩行ですすむ。オーロラの呼吸や体温がつたわってくる。前をすすむ2頭の馬に歩幅を合わせるように、私とオーロラは最後尾からゆっくり続く。時折、木の枝が下に伸びており、木の葉のかたまりの中を身体が通り過ぎていく感覚を愉しんでいた。川沿いの路を過ぎると、森の中に入り、川のせせらぎが少しずつ遠くなっていく。
木の葉が風に揺れる音とオーロラの穏やかな蹄
それから1時間程歩いて、ようやく目的地に到着する。オーロラの背中から降りて、干し草と水をあげる。仲間の2頭が美味しそうに草を喰む横で、オーロラは草も水も口にせず、私をじっと見つめている。波紋ひとつない湖のようなオーロラの瞳を見ていると、私を囲む全ての存在が消失し、オーロラに丸ごと受け入れられているような感覚に包まれた。その瞬間、記憶の奥底に沈んでいた重い塊があたたかく解けていくのを感じた。
この日を境に私は10歳の「ワタシ」にアクセスする必要性を感じなくなった。同時に、職場の状況は変わらないはずなのに、あんなにも感じていた所在なさが消えて、チームのみんなを信じる気持ちがふつふつと沸いてきた。すると自然と、全てがうまくまわるようになっていった。まるで憑き物がとれたように。
あの日オーロラと私の間に起きたことは一体なんだったんだろう。まだ理解が及ばないままだが、オーロラによって終わらせられていなかった私の物語が閉じられたということだけは確かな気がしている。
私はこの日の出来事から「人が人を治す」という以外の選択肢がありえるということと、馬がその相手として相応しい存在であるということを実感することになった。大きくて力も強い、人からみるとどうやってもかなわない存在である馬と繋がる体験は、まるで大きな自然と繋がっているような圧倒的な安心感を与えてくれる。そして、種を超えて繋がれるのであれば、どんな人とだって繋がれるということもまた自分への信頼をも強めてくれる。私は「人が育つ」ということへのアプローチを根本的に塗りかえていくことができる、新しいOSを見つけた気がした。
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遠藤 綾(Aya Endo)
軽井沢風越学園 職員/ライター/編集者。
2005~07年九州大学USI子どもプロジェクトで子どもの居場所づくりの研究に携わる。2008年から主に子ども領域で書く仕事、つくる仕事に携わりながら、インタビューサイト「こどものカタチ」を運営。2013~16年 NPO法人「SOS子どもの村JAPAN」で家族と暮らせない子どものための仕事に携わる。2016年に山形県鶴岡市に移住し、2016年~2021年「やまのこ保育園home」、2018年「やまのこ保育園」の立ち上げと運営に携わる。2021年春に軽井沢へ拠点を移し、現職。
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