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第9話 マトゥレロが死んだ
昼過ぎにファームに到着すると、休憩小屋の前にミニチュアホースのマトゥレロが繋がれていた。娘が駆けよって身体に触れながら「おはよう」と声をかける。数ヶ月前から娘はマトゥレロを自分の担当馬としてお世話していて、この日も会えるのを楽しみにしていた。けれど、マトゥレロの様子がおかしい。口からよだれを垂れ流している。「昨日、馬房から脱走して厩舎の中で何か食べすぎてしまったみたいで。ボロ(糞)がでないの。いまから獣医さんが来るんだけど」とサヨコ先生が不安そうな表情で教えてくれた。
間もなく、白い服を着込んだ獣医さんが到着した。お尻の穴から体温を測ると40℃を超えている。馬の平均体温はおよそ37℃なので随分高い。腸の状態を整えることを優先に、獣医さんが点滴と痛み止めを施した。馬の年齢は人間の年齢に換算すると4倍に相当する。マトゥレロはもうすぐ25歳の誕生日なので、人間の歳でいうと100歳近いおじいちゃんということになる。随分前から腸の状態が優れず、そのことを示すように毛がまばら模様のようになっていた。腸の動きの良し悪しは馬にとって死活問題だということは聞いていたけれど、こんなにあっけなく事態が悪化するとは思わなかった。先週、娘が外乗したときは、元気な様子だったのに。
点滴を終えて一時間、マトゥレロと散歩した。腸を動かすためだ。娘も一緒に横について歩く。しかしその後もボロが出る気配はなく、馬房で休ませることにする。わたしは夕飼い(馬の夜ごはん)の準備にとりかかる。草の重さを測る作業をしていた時、ドガッと大きな音がした。近づいてみるとマトゥレロが馬房に横たわっている。ズミさんがその首元を手で撫でながら、鼻をすすっている。事態に気づいて駆け寄ってきた子どもたちと手を繋いで、私はしばらく動けなかった。大人たちは順番にお別れの時間を過ごす。私もマトゥレロの顔のすぐそばにしゃがみこんで首元に右手をあてた。ゴワゴワした毛並みと体のぬくみを手の平で感じながら、甘いような酸っぱいような匂いに全身が包まれていく。「ありがとうね」と声をかけるのが精一杯だった。
泣いている大人たちから少し距離をとるように、子どもたちは少し離れたところでじっと立ちすくんでいる。触ってお別れしたいかと尋ねると、困惑したような表情を浮かべたまま、首を横にふった。厩舎から放牧場に目を移すと、仲間を失った7頭の馬たちは、いつもどおり穏やかに過ごしている。マトゥレロの死を、彼らはどのように感じているのだろうか。
角や牙などの武器をもたない馬は、牛や山羊などの他の草食動物とは異なる進化を遂げた。仔牛は母牛を求め、母牛は仔牛に乳をあげて育てる。仔牛が弱れば、母牛は仔牛をかばう行動をとるそうだ。一方、馬は母馬が仔馬を産んだ後、仔馬は他の雌馬からも乳をもらいながら群れの中で育つ。仔馬が弱っても母馬が守る行動をとることはなく、置き去りにして移動すると聞いた。馬は種として生き延びるために「個」ではなく「群れ」という単位での生存可能性を高めるための進化を選んだのだろうか。マトゥレロの死も、他の馬たちにとっては「群れ」という生態系の中の流れのようなものなのかもしれない。
サヨコ先生がマトゥレロにアイロンがかけられた白いテーブルクロスをかけた。生と死とが切り離された世界に生きている私たちは、全身を哀しみに浸したまま、馬たちを厩舎にいれ、干し草を配って歩いた。全ての仕事を終えて、マトゥレロのところに別れを告げにいくと、ホトケノザの花束が亡骸の上にそっと手向けられていた。
後日、マトゥレロの亡骸は「産業廃棄物」としてトラックに載せられ、捨てられ燃やされたと聞いた。
この日から数カ月後のお盆に精霊馬をつくった。娘は自分がつくったきゅうりの馬に「マトゥレロ」と名付けた。
間もなく、白い服を着込んだ獣医さんが到着した。お尻の穴から体温を測ると40℃を超えている。馬の平均体温はおよそ37℃なので随分高い。腸の状態を整えることを優先に、獣医さんが点滴と痛み止めを施した。馬の年齢は人間の年齢に換算すると4倍に相当する。マトゥレロはもうすぐ25歳の誕生日なので、人間の歳でいうと100歳近いおじいちゃんということになる。随分前から腸の状態が優れず、そのことを示すように毛がまばら模様のようになっていた。腸の動きの良し悪しは馬にとって死活問題だということは聞いていたけれど、こんなにあっけなく事態が悪化するとは思わなかった。先週、娘が外乗したときは、元気な様子だったのに。
点滴を終えて一時間、マトゥレロと散歩した。腸を動かすためだ。娘も一緒に横について歩く。しかしその後もボロが出る気配はなく、馬房で休ませることにする。わたしは夕飼い(馬の夜ごはん)の準備にとりかかる。草の重さを測る作業をしていた時、ドガッと大きな音がした。近づいてみるとマトゥレロが馬房に横たわっている。ズミさんがその首元を手で撫でながら、鼻をすすっている。事態に気づいて駆け寄ってきた子どもたちと手を繋いで、私はしばらく動けなかった。大人たちは順番にお別れの時間を過ごす。私もマトゥレロの顔のすぐそばにしゃがみこんで首元に右手をあてた。ゴワゴワした毛並みと体のぬくみを手の平で感じながら、甘いような酸っぱいような匂いに全身が包まれていく。「ありがとうね」と声をかけるのが精一杯だった。
泣いている大人たちから少し距離をとるように、子どもたちは少し離れたところでじっと立ちすくんでいる。触ってお別れしたいかと尋ねると、困惑したような表情を浮かべたまま、首を横にふった。厩舎から放牧場に目を移すと、仲間を失った7頭の馬たちは、いつもどおり穏やかに過ごしている。マトゥレロの死を、彼らはどのように感じているのだろうか。
角や牙などの武器をもたない馬は、牛や山羊などの他の草食動物とは異なる進化を遂げた。仔牛は母牛を求め、母牛は仔牛に乳をあげて育てる。仔牛が弱れば、母牛は仔牛をかばう行動をとるそうだ。一方、馬は母馬が仔馬を産んだ後、仔馬は他の雌馬からも乳をもらいながら群れの中で育つ。仔馬が弱っても母馬が守る行動をとることはなく、置き去りにして移動すると聞いた。馬は種として生き延びるために「個」ではなく「群れ」という単位での生存可能性を高めるための進化を選んだのだろうか。マトゥレロの死も、他の馬たちにとっては「群れ」という生態系の中の流れのようなものなのかもしれない。
サヨコ先生がマトゥレロにアイロンがかけられた白いテーブルクロスをかけた。生と死とが切り離された世界に生きている私たちは、全身を哀しみに浸したまま、馬たちを厩舎にいれ、干し草を配って歩いた。全ての仕事を終えて、マトゥレロのところに別れを告げにいくと、ホトケノザの花束が亡骸の上にそっと手向けられていた。
後日、マトゥレロの亡骸は「産業廃棄物」としてトラックに載せられ、捨てられ燃やされたと聞いた。
この日から数カ月後のお盆に精霊馬をつくった。娘は自分がつくったきゅうりの馬に「マトゥレロ」と名付けた。
写真:大野歩
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遠藤 綾(Aya Endo)
軽井沢風越学園 職員/ライター/編集者。
2005~07年九州大学USI子どもプロジェクトで子どもの居場所づくりの研究に携わる。2008年から主に子ども領域で書く仕事、つくる仕事に携わりながら、インタビューサイト「こどものカタチ」を運営。2013~16年 NPO法人「SOS子どもの村JAPAN」で家族と暮らせない子どものための仕事に携わる。2016年に山形県鶴岡市に移住し、2016年~2021年「やまのこ保育園home」、2018年「やまのこ保育園」の立ち上げと運営に携わる。2021年春に軽井沢へ拠点を移し、現職。
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