デザイン:五十嵐 傑(pieni) イラスト:ペカ

アノニマ・スタジオWebサイトTOP > もうひとつの日本を訪ねて。Welfare trip もくじ > 05 特定非営利活動法人CROP.-MINORI(神奈川県横須賀市)

日常の生活から離れ、小さな旅をしたくなったら、私は福祉施設を訪ねます。
障がいのある人や、ひきこもって社会との接点がなくなった人、家族と暮らせない人などが通う所です。

「なぜ、そこに行くの?」と訊かれたら、お手伝いできる仕事があるかもしれない、ということを口実に、単純に、好きだから、行きたくなる、と答えます。

各地の施設を訪ねるようになって十数年、その数は300箇所くらいになります。
地域ならではの手仕事を、福祉施設と一緒にやっている方たちともお会いしました。
これまでに出会った、私が心惹かれた場や取り組みをご案内させてください。

福祉という切り口から見た、もうひとつの日本の風景。
ここで一緒に小さな旅をして、新しく出会う景色に思いを寄せていただけたら、嬉しく思います。

御蔵島でイルカと泳ぎ、自分が持つ力を取り戻す子どもたち

05 特定非営利活動法人CROPクロップ.-MINORIみのり

(神奈川県横須賀市)

写真提供:CROP.-MINORI


海岸の高台に広がる子どもたちが暮らす小さな村


 三浦半島の東側が東京湾に、西側が相模湾に面している横須賀市。東側の横須賀港には無機質な灰色の軍艦が停泊し、西側はサーフィンのメッカ、湘南海岸から続く逗子海岸がある。
 混雑する海岸道路を避け、横須賀インターから車で西に30分。この辺りは海岸近くまで高台で、坂道やトンネルが多い。バス通りを左折すると、建ち並ぶ住宅の間をぬうように、くねった急な上り坂が続く。
 「くすのきびれっじ」と呼ばれる建物に到着すると、すぐ向こう側の海岸とは別世界の、鬱蒼と木々が生い茂った風景が目の前に広がる。



 名前の通り、シンボリックなくすのきが出迎えてくれる、600坪ほどの緑豊かな敷地には、真ん中の庭を囲むように無垢の木の建物が調和しながら3棟建っている。このうちの2棟は、親元で暮らせない事情がある子どもたちが、職員とともに生活をするファミリーホーム。もう1棟は、地域の人たちと一緒につくったシュタイナー幼稚園の「おひさま園」。週5回、平日は園児たちがここにやってきて過ごしている。子どもたちの生活と自然が溶け込むように、想いのある人たちが手をかけている場なのだと伝わってくる。この日も、数人のボランティアの人たちと子どもが、汗を拭きながら庭をせっせと掘っていた。



 ファミリーホームとは、家庭環境を失った子どもが、養育里親の家庭に似た環境で生活できる「里親型グループホーム」のことだ。2008年の児童福祉法改正により「小規模住居型児童養育事業」として正式に実施され、全国に400カ所程度建てられているが、国は1000カ所を目標にしている。

 親からの虐待、ネグレクト(育児放棄)、離婚や病気などの様々な理由で、児童相談所で「家庭には戻せない」と判断された、いわゆる「社会的養護」が必要とされる18歳未満の子どもたち。いったんは児童相談所に併設される一時保護所に預けられ、その後、児童養護施設や里親家庭で暮らすようになることが多い。



 児童養護施設では、全国で3万人近くの子どもたちが暮らしているが、昨今では、大勢の集団生活より家庭的な環境で育てることが望ましいとされている。児童養護施設では家庭的で小さなユニット(家のような宿舎)を建てるようになり、子どもを家庭で養育する里親制度の普及が急がれている。そんな状況下で、児童養護施設と里親の中間にあたるファミリーホームが求められているのだ。
 施設も里親もファミリーホームも、原則として子どもは18歳になったら、そこを出て自活することになっている。中でもファミリーホームは、子どもにとって「自立した後、いつでも温かく迎えてくれる大きな家族」のような存在でもある。



傷ついた心を癒す、空気と水脈が流れる生活の場へ

 「お待ちしていました!どうぞ」と、ファミリーホーム「クロップハウス」の玄関ドアを開け、明るい声で迎え入れてくれたのは、CROP.-MINORI(以下、クロップ)代表の中山なかやますみ子さん。
 「ちょうど今、庭の土を掘り起こして、くん炭を撒いて、地面に竹を刺して空気と水の流れを作る作業をしているんですよ。真ん中の庭はみんなが行き来して踏み固まってしまうので」



 クロップでは以前、寄付に恵まれ、この土地に隣接する3LDKのテラスハウス2軒を借りてファミリーホームにしていた。その後、ここに理想的な場をつくろうと、長く手付かずだった別荘地の整備から3年をかけ、くすのきびれっじ計画が進められた。
 中山さんは、心が傷ついている子らがストレスなく生活できる場にしたいと、支援者や仲間と検討。パートナーに選んだのは、人工的な土木建築によって失われる土地本来の力を取り戻そうと、山奥のダムから身近な住環境まで、全国各地で再生に取り組む造園技師や建築家。土地の空気と水脈の流れを分断せず、大自然の一部として循環させる環境づくりを実践する「大地の再生(結の杜づくり)」と呼ばれる、私も良く知るプロジェクトの方々だった。



 満を持して2020年に完成したクロップハウスを、中山さんに案内してもらう。ここには、小学生から19歳までの女子4人、男子2人の計6人が生活をしている。玄関を上がると、1階は光が差し込む明るい12畳ほどのリビングと6畳の畳スペース、オープンキッチン、奥は洗面所と風呂場、お手洗い。建築素材はすべてが天然素材、花が飾られ、とても心地がいい。一人ずつ分けられた洗濯物入れ、鏡の扉の洗面セットなどが揃い、自主的に整頓されている様子がうかがえる。



 1階のテラスに出ると大きな樽に醤油が仕込んである。「ちょっと舐めてみません? 月に一度みんなで天地返しをしているのですよ」と勧められるまま、味見をさせてもらうと、しょっぱい大豆の粒にしっかり醤油のコク。唯一無二の手づくり醤油は、子どもたちもさぞ楽しみだろう。



 2階は共有スペースと6人の個室。一人3畳程度のスペースに、作り付けの二段ベッド、学習机と棚。どの部屋もベランダに出て庭を一望できる。建物全体に風が流れる設計なので、窓を開けると爽快だ。沖縄の赤土を混ぜた漆喰しっくいで、子どもたちも一緒に壁塗りを手伝ったという。その壁際には、シュタイナー教育の一つである「手しごと」の時間に子どもたちが創作した小物がある。



 ドイツでルドルフ・シュタイナーが提唱した、子どもの感情や意思に働きかける総合芸術の人間教育であるシュタイナー教育。子どもの心身の発達プロセスに合わせながら、一人一人の個性を調和的に導く教育カリキュラムは、クロップに来る子どもたちと、とても相性が良かったようだ。
 「時間をかけて何度も絵具を乾かしては重ねて描いたり、自然素材を使った手しごとなど、不安定な子たちの心身がとても落ち着いて可能性が引き出され、本当に必要な教育だなと実感したんですよ。クロップの子たちには自費でシュタイナー幼稚園に通わせました。そしてクロップの子たちが地域の子たちと一緒にシュタイナー教育に触れられるよう、ここに幼稚園を建てたんです」



 中山さんに、シュタイナー幼稚園の建物へと案内してもらう。建物脇には、ご近所の藍染師の方が指導してくれているという藍染用の染液を入れた「藍がめ」がある。引戸を開けると、12畳程度の静かな空間。藍染で子どもたちが染めたカバーのクッション、シュタイナーらしい手づくりの布人形が置かれている。テーブルの上には抹茶ケーキとお茶が準備されていた。
 「お菓子づくりが好きな19歳の女の子が焼いてくれたんですよ。彼女は知的障がいがありますけど、介護施設に福祉就労が決まって、本人は一人暮らし希望なので、自立の準備をしているところです」
 台所で自炊の練習もしているのだろう。とても美味しくいただく。





児童養護施設の子どもたちを解放したドルフィンスイム

 クロップで暮らす6人の子は、それぞれに問題を抱え、児童養護施設の集団生活が難しいと判断されてここにやって来ている。障がいのある子、自傷行為の激しい子、クロップと精神科の閉鎖病棟とを行き来しながら、処方される薬が20錠にまで増えていった子もいたという。多くの子は「愛着障がい」を抱え、大人に対して激しい「ためし行動」を繰り返す。何歳になっても赤ちゃん返りをして、3歳までに親にしてもらえなかったことを、信頼できる大人に受け止めてもらおうとする行動だ。
他にも、巣立った子たちからのSOSにも対応するため、中山さんの気は休まる暇がない。関わる全ての子たちを親のように受け入れていくこの道を、中山さんはどんな経緯で選んだのだろう。



 私自身、クロップの活動には1998年頃から興味を持っていたのだが、中山さんと向き合ってゆっくりお話を伺うのは、これが初めてだった。
 「私は元々OLでした。24歳頃、仕事が忙しかったせいか、ひどいアトピー性皮膚炎になって、友達に『それは心と身体のバランスが崩れてるんだよ』って言われたんですよね」



 中山さんは藁にもすがる思いで、友人に誘われるまま心の講座に参加。そこでイルカと心を通わせて泳ぐドルフィンスイムとアートセラピーに出会い、興味を抱く。1992年当時、まだ国内にドルフィンスイムは見当たらず、ハワイでのワークショップに参加して心身が解放される手応えを感じると同時に、日本でもイルカが住む島ならできるのではと、翌年、自ら御蔵島みくらじまでワークショップを開いた。

 「その時に自閉症の子を連れてきた女性から、その後の変化の素晴らしさを聞いたんです。それで、ドルフィンスイムは子どものケアにも疲弊した親子関係にもいいし、何より、生命の根源的な地球と繋がれる感覚が『生まれてきて良かった』と思わせる力になると確信しました。1997年から毎夏、児童養護施設の子たちを御蔵島に連れていくようになったんです」


写真提供:CROP.-MINORI

 しかし、当初は神奈川県内の児童養護施設の子を連れて行こうと訪ねても、理解されず全て門前払い。その中で、後のクロップ副理事長となる藤野ふじの知弘ちひろさんと座間市の児童養護施設で出会い、「あなたのやろうとしていることは、人を信じる心を育める素晴らしい取り組み。ぜひ連れていってほしい、イルカ好きな女の子がいる」と言って、藤野さんが自腹を切って参加させてくれた子が、最初の参加者となった。


写真提供:CROP.-MINORI

 中山さんはOLを続けながら寄付を募り、ボランティアでドルフィンスイムを毎年開催。参加者も増えていく中、二つのことを実感する。一つは、子どもたちの変化だ。
 「心にストレスを抱えて反社会的な行動を起こしてしまう子たちが、御蔵島に行くと不思議なくらい落ち着くんです。施設や学校では制約と規則ばかりで、あれをしてはダメ、これもダメと、褒められる経験もない子たちが、日常から離れ、大自然の中でのびのびと自分を解放できる。人口300人くらいの小さな島で、地元のおじいちゃんやおばあちゃんたちとも顔見知りになって、子は宝だと大事にして声をかけてくれます。そして、海の中でイルカと泳ぐと、本来自分の中に持っていた力が湧いてくるんですね。イルカが自分を友達として認めてくれた嬉しさから、自己肯定感も上がるし、泳ぎが苦手な子だって、自分から海に入る!って言い出しますよ」


写真提供:CROP.-MINORI

施設出身の当事者をスタッフに、ファミリーホームを始める

 そしてもう一つ、避けては通れない課題にぶつかる。御蔵島に行った子どもたちが、18歳で児童養護施設を出てから行き場をなくし、中山さんを頼って家に転がり込んでくるようになったのだ。当時、中山さんが一人で暮らしていた賃貸の家に、多い時で8人の若者たちが同居していた。薬物や窃盗に手を染めてしまい、後に引けなくなった子も。「一緒にいると、何一つ悪いことをする子ではないんですよ」。しかし中山さんは、自首を促すしかなかった。

 「高校卒業後は、児童養護施設を出て自立しないとなりません。高校に行けない子や中退した子はもっと早くなります。その後のサポートが必要なんですよね。親の愛情を受けられずに不安定で問題があった子たちが、10代で働きながら自活するのはとてもしんどいこと。寮付きの会社に就職する子が多いんですが、うまくいかなくて退職したら、仕事も住む所も両方なくなっちゃう。そうやって路頭に迷う子たちが大勢います」



 中山さんが行政窓口に掛け合うと、「15~20歳を対象に、仕事をしていること、家賃を納めることが条件になる、自立援助ホームを開所してはどうか」と勧められるが、中山さんが必要と考える支援の形ではなかった。そんな中、里親に近いファミリーホームが、新たに児童福祉法に盛り込まれると聞き、渡りに船と開所を決めた。
 そして2011年、「ファミリーホームをやるから、スタッフになってくれる?」と中山さんが声をかけたのは、16歳からドルフィンスイムに通いリーダー格になっていた、当時27歳、現在は施設長である片平かたひら大輔だいすけさんだった。



 片平さんがドルフィンスイムに参加したきっかけは、高校生の時、それまで親しかった学校の友達に「携帯電話を持っていない」という理由で仲間外れにされ、通信制高校に編入したことだった。児童養護施設でも優等生で過ごしてきた片平さんにとっての初めての大きな挫折。施設職員の勧めで、夏休みにドルフィンスイムに参加した。その時のことを、片平さんはこんなふうに回想した。

 「それまでは施設と学校の往復だけ、他の世界を全然知らなかったんですよ。僕は身寄りが一人もいなくて、親元に夏休みの一時帰宅をすることもなかった。だから、初めて新しい世界を知った衝撃がすごかったです。イルカと泳いじゃった! 人生初の自慢できることじゃん! みたいな(笑)。施設に慈善活動で単発イベントに招待してくれる企業や大人の人はいたんですが、中山さんとは毎年御蔵島で一緒に宿泊して、普段も食事とかに行って。他にそんな大人はいなかったんですよね」


写真提供:CROP.-MINORI

 片平さんにとって、中山さんやクロップのメンバーは親戚のような存在になっていく。やがて18歳で施設を退所。寮付きの職場に行くが、当時まだ4年制の通信制高校生として在学中、スクーリングに通えず学業との両立ができなくなってしまった。悩んだ末、中山さんに「仕事を休めないんです。でも、高校は卒業したい」と、相談をしたのだ。
 「今はもっと柔軟になっているんですが、僕の頃は全員一律18歳で施設退所が決まっていました。児童養護施設って、僕たちが出た後はすぐに次の子たちが入ってきて、職員の人たちは世話で手一杯だってよくわかっていたので、もう頼っちゃ悪いなと、施設には電話できなかったんですよね」
 片平さんは、中山さんの自宅で高校卒業までドルフィンスイムのスタッフとして受け入れてもらい、そして数年後、晴れてファミリーホームの施設長となって恩返しする立場になった。



子どもたちを負の連鎖に巻き込まないために

 「大ちゃん(片平さん)みたいに、優等生からの挫折も、施設を出てから働く大変さも経験していて、しかも誰一人として身寄りが存在しない子って、とても珍しいんです。天涯孤独なわけですから、ファミリーホームの施設長が大ちゃんだったら、子どもたちにとってもロールモデルとして、『大ちゃんってすごい! 親も親戚が一人もいなくても、大ちゃんみたいに立派になれるんだね!』って、励みになると思ったんですよね」

 そんな中山さんの言葉に、片平さんは照れながらも「いや、もう責任重大なので、ファミリーホームで働くことは、時間をかけて、ものすごく覚悟を固めました。一度スタートしたら降りられないぞって。でも、施設を出てから、結局ホームレスになっちゃったり、死んじゃった人もいるし、自分の子が産まれたら施設に入れちゃったり、そういう悪いループとか、施設の限界とかをたくさん見てきたので、自分がやるからには絶対にそういう人生にしてほしくないって、いつも思いながら、子どもたちに接しています」と力強い目で答えた。



 社会的養護を必要とする子たちは、愛情をかけられなかったなど、両親に何かしら問題があるケースがほとんどだが、その両親もまた愛情をかけられずに育っていることが多い。「児童虐待」の定義には、「身体的虐待」だけでなく、言葉や態度で子の心を傷つけ、二次障害を引き起こしていく「心理的虐待」も含まれる。
 片平さんが言う「悪いループ」、つまり心を傷つける「家庭内の負の連鎖」が、密室内の文化として、ひたひたと暗い影を落として繰り返されていく。そこがとても根深い課題なのではと感じてしまう。



 もちろん、そこにメスを入れるのは簡単なことではなく、専門家に力を入れてほしい分野であり、社会でもっと広く認識してほしい課題でもある。しかし現場で優先されるべきは、目の前の虐待を受ける子や愛着障がいの子、自傷行為を繰り返してしまう子たちをどう救えるかだ。

 クロップの素晴らしさは、そんな子どもたちに島と海とイルカと繋がる心のケアをボランティアから始め、支援仲間と30年近くも子どもたちの傷を癒し続けるベースがあること。さらに、子どもたちにふさわしいと思われる暮らしの場をつくり、シュタイナー教育も取り入れたことが、児童福祉への新しい潮流を感じさせるところだ。



 御蔵島のお年寄りが「子は宝」と言うように、クロップの取り組みが、地域や社会全体で子どもたちを育てていこうとするきっかけの一つになればと願いつつ、くすのきびれっじを後に、子どもたちに手を振った。




写真:出原いではられい


<<連載もくじ はじめに>>




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福祉の場をめぐる小さな旅

羽塚順子
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障がい者や社会的弱者たちが働き、暮らしている、各地の福祉施設や共同体を紹介する一冊。そこは、「一般社会と壁を隔てた向こう側」ではなく、地域に根付き地域と交流し合う「福祉的な場」。人間同士が支え合いともに生きるという本来の在り方を伝えます。




羽塚順子(はねづか・じゅんこ)

特別支援学級で障害児を指導後、リクルートでの法人営業などを経てフリーライターとなり、3000人以上を取材、執筆。2009年より社会的に弱い立場の人たちと共存する母性社会づくりをライフワークに取り組み、伝統職人技を自閉症の若者が継承するプロジェクトなどでグッドデザイン賞を3回受賞。
MotherNess Publishing


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