title/hyoutan

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 晩にはSさん老夫婦、正確には夫人と連絡がつきました。夫のS氏は脳に障害があって現在入院中で、直接お話しすることができない状況でした。
 そして彼女は、夫の生い立ちについて事情を全く知りませんでした。

 彼らは、20代の頃日本で知り合いました。当時、S氏は某大企業の有望株で、30代になって結婚。子供はなく、ずっと2人暮らしとのことでした。私の説明に、婦人の動揺は静かに激しくなってゆき、最後にはさめざめと泣いていました。
「知らないで人生を終えるよりいいのかもしれないわね。よく考えます、だからもうちょっと待っていてくださいますか? それにしても、わたしが彼と知り合った年と、息子さんがお生まれになった年が近すぎませんか? 本物かどうか私には調べる勇気がございませんの。どうしたら……」電話口の声が涙でぬれていました。なのに私には、また話せて嬉しい、連絡して後悔しているなんて思わないで欲しいとおっしゃるのです。
「パパは今寝たきりなのよ。パパがどこかで故郷を呼んだのかもしれないわね」。
 私は涙が出ました。なんだか大変なことになってしまいました。こんな、ドラマのようなことが本当に起きてしまうなんて。

 すぐに、複雑な心境をメイルで記しました。

   件名2:Sさんとお電話したあとの状況説明
   Hさま
   >Sさんの奥様と電話でお話できました。
   >その結果、いろいろ大変なことが分かってまいりました。
   >S氏は数年前にパーキンソン病で倒れられ、現在はアルツハイマーで入院されており、奥様以外の方
    のお顔の認識ができない状況です。奥様の方も脳梗塞で倒れられたそうですが、それでも看病にいらし
    ているようです。

   >驚きましたが、奥様は祖国のご家族について、何もご存知ありませんでした。
   >ふたりが知り合ったのは20代前半で、周囲の反対を押し切っての結婚だったようです。
   >その際、S氏は帰化していたそうですが、若かったですし、結婚しているとは夢にも思わなかったそ
    うで、お子さんのことなど、存じ上げていたらそもそも結婚はなかったと。
   >以前、一度親戚の方の来訪があったそうですが、今思えばそれが息子さんだったのでしょうか?

   >S氏は、お母様を早くになくされ、10代で母国を飛び出し、働きながら学校へ通い、戦後まもなく
    帰化したとの記録があるそうです。
   >S氏は86歳。奥様は83歳です。
   >息子さんは16歳のときの子というお話でしたが本当でしょうか? 当時、すでに日本にいたことを
   考えると、説明がつかないですね。

   >奥さまは、大変嘆き悲しみ、動揺されています
   >事実関係がわかるまで、連絡先をお伝えするのは控えます。取り急ぎ。
   ヨシダ拝

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