title/hyoutan

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 送られてきた戸籍を照合する限り、奥様の話にも、牧師様の話にも間違っていないようでした。計算もぴったり合います。
 思うに、すべては戦争のせいだったのでしょう。S氏は戦乱で海を渡り、日本で恋をして結婚した。一方、母国では知らぬ間に子供が生まれていたが、すでに時遅し。そのことを風の便りに知りながら、日本から離れることもできず、人知れず援助を続けていたのかもしれません。そんな精神状態に限界が来て、ヒートアップをおこしてしまったのが、今の彼なのではないだろうか。そう仮説を立てずにはいられませんでした。
 籍は、日本での結婚と同時期に母国でも入れらており、数年前の法改正の際に籍が抜かれていました。つまり法的には、今は日本の奥様だけということで、少々ホッとしました。

 ここまで知ってしまった以上、一度奥様に会わなくてはなりませんでしたが、そもそもの目的は息子さんがお父さんに孝行をしたい気持ちを伝えることだったはずです。余計なことは伏せて、今必要なことだけ伝えよう。心に決めると、思い切って連絡を入れました。

 早稲田にあるホテルの個室が面会場所でした。私は手短に説明しました。
 調べたところ、今回のことは恐らく事実でしょう。ですが、今現在S氏は、奥様とだけ正式なご夫婦です。母国の息子さんは、無理にいろいろ訪ねたりするつもりはありません。医療費など、おひとりでは大変でしょうから、援助させてくださいと申し出がありました。とにかく、感謝されていると。

「あれからね、夫の顔を見るたびに涙が出ました。どうして、どうしてって。でも、私にはあの人しかいないんですよ。私が生きているうちは、夢をみさせてください」
 そうして、ほろほろと涙を流しながら、江戸っ子の老舗のお嬢様が、戦乱の世にひとりの青年に恋をしてから今までの恋愛一代記を話してくださったのです。
「両親も親戚も知らないことを、初めて話す相手があなた方だなんてびっくりね」
 彼女はそう言って、困ったような笑顔を見せるのでした。
 私も、マンションの売主さんと、10年後にこのような関係になるとは夢にも思っていませんでした。ですが、奥様には多分、頼る人や話す人が誰もいないのです。日本では今後、若者1人につき3人の老人を受け持つ計算になるなどといわれていますが、私たち夫婦がこの夫婦の今後を見守るということになれば、本当に統計どおりになるのだなあ、年を取って頼る相手がいなくなるってこういうことなんだなあ、などと、他人事のようにぼんやりと思いました。

 最後のメイルをHさんに書きました。

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