title/hyoutan

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 以前住んでいた方はSさんという方でしたが、日本人のご夫婦でしたよ、私が答えると、それは叔父の帰化した苗字です、と言われてびっくりしました。
 Sさんというご夫婦は、10年ほど前、私たち夫婦に家を譲ってくれた方々なのです。それはそれは仲のよい二人で、
「人生の最後に新しい家を買うのよ」
 そう言って、新築に越して行かれたのでした。売主と買主が交流を持つのは稀なことですが、
「大好きなこの家に住んでくれるなんて。本当に感謝します」
 お礼に、といって食事に誘って下さったのです。

 私の家は東京オリンピック当時、日本のマンション文化創世記に建てられた物件で、個々の内装がカスタマイズなのが売りの1つだったようです。我が家にいたっては、木を張り合わせた雰囲気のある壁や、焼き物のタイル壁、シャンデリア、葦の天井、と60年代後期を彷彿とさせる濃い内装。
「リフォームせずに、このままの状態で気に入って住んでくれる方を探して欲しいといわれましてね。意外といそうでいなかったんですよ」
 破格値の取引だったにもかかわらず、不動産屋さんはほっとしている様子でした。

 招待先は、名古屋コーチンの鶏料理屋でした。よく知らない老夫婦と食事をするなんて初めてのことでしたので、緊張して味なんて覚えていません。でも、
「私ね、できることなら、最後までこの家で年を取りたかったのよ。でもパパが、土に近いところに住みたいっていうから、もっと低層のところに越すの。お会いできてよかった。お元気でね」
 婦人の口調が印象的でした。引越しに未練があるようにも聞こえましたが、大変上品で、頑固一徹風の夫S氏は、そんな妻がかわいくて仕方がないといった風でじいっと見つめているばかりなのです。しまいには私たちの方が何だか照れてしまい、あの年齢で恋愛中ってすごいことだよ、と感心しながら帰ってきたのでした。

 あのご夫婦が本物ではないというのです。ショックで頭が真っ白になりましたが、このふたりが、果たして本物なのかという疑問も残ります。くらくらしました。

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