アノニマ・スタジオWebサイトTOP > 五味太郎×國分功一郎トークイベント「絵本と哲学の話をしよう」@銀座蔦屋書店2018年9月28日 イベントレポート 2/4

五味太郎×國分功一郎トークイベント
「絵本と哲学の話をしよう」イベントレポート 2/4




2018年9月28日に、銀座蔦屋書店さんで五味太郎×國分功一郎「絵本と哲学の話をしよう」が開催されました。
たくさんの方々にお集りいただき、1時間以上にわたって絵本と哲学、音と言葉などさまざまにお話いただきました。 当日の模様を、全4回にわたってお届けいたします。



■本っていう形が好き


國分さん

じゃあぜひ、対応していただきたい問いを持って来ているので、投げかけてもいいですかね。

五味さん

どうぞどうぞ。

國分さん

この本(『絵本のこと話そうか』)の中ですごく印象的なのが、「僕は絵を使って考えている」「絵を使ってしゃべっていこうと思った」って話をしていて、まったくその通りだと思うんですよね。本当に「絵でしゃべって」いる。
僕知らなかったんですが、さきほど編集者の方に見せていただいたこの『ことば』という本。本当に初期のものですね。これ、こういう風に、しゃべってるのが絵になってるんですよ。
上に(小さな字で)一応台詞が書いてあるんだけど、これはいるんですかね?

五味さん

それは、いらないんじゃないかとも思ったし、いるのかなとも、相当迷った。

國分さん

微妙ですね。

五味さん

面白いんだよ、それマジックで消してる子もいる。「五味さん、あんなこと書いちゃだめだよ」と言われて「すいません」と謝った(笑)

國分さん

いやあ、それはすごい子ですね!

五味さん

そういうやつもいる。

國分さん

なんか、わかりますね、その子の気持ち。

五味さん

俺がまだガキだった頃、まわりの言葉をこんな感じに聞いてたんだよ、音とか言葉をね。言葉の意味というよりは、言葉のニュアンスというのかな、そういうほうに興味があって、細かいところは忘れちゃうタイプで(笑)

國分さん

(笑) なんとなくこう、「紫が飛んできてるぞ」とか?

五味さん

そうだね、色と形をあてはめて。それもひとつの遊びだから。遊び道具だよね。
ただ、僕は完全に、絵を描くために絵を描いてる、要するにタブローの画家では絶対にないんで、そういう絵描きにはあんまりなる気がなくて、要するに何か考えるのが大好きなんだ、余計なことだけど。
なんとなくずっと考えてることを、なんとなく話をでっちあげたりしてるのが大好きなんだけど、それだけだと作業にならないじゃない。それを具現化してみたら絵本ぽいものになったわけだよね。今もその流れはおんなじ。
本っていうのが大好きだから、どうしてもなんか本に落とし込みたい。

國分さん

本が好きなんですか。

五味さん

好きなんだよ。本て、あやしいじゃない。

國分さん

本、あやしいですかね。

五味さん

あやしいよね。露出してるけど綴じてあって中は見えないじゃない。
ここ(銀座蔦屋書店)はずーっと本ばっかりだけど、こういう風景って、いやらしいよね。

國分さん

いやらしいですか。

五味さん

うん。なんか、猥褻な感じがあるんだよ。

國分さん

そういう視点で見ている人あんまりいないと思います。

五味さん

人っぽいんだよね。見えるんだけど、実はおへそは見えないというか。
見えるんだけど実は、上着着てる、というか。きれいごと言っているようで実はえげつないこと言ってる、というか。それはもう、千差万別。
本っていう形が、うまいこと考えたな、というか。これ、古いかたちだよね。「安心して」みたいな形。

國分さん

古い形ですね。すごい技術革新だったと思います。紙を束ねてここ(背)だけ綴じるという。

五味さん

そこから何にも工夫してないよね。

國分さん

あまりにもすごかったからでしょうね。巻き物よりもちろん便利だし。
この、一辺だけをとめるというところに、いやらしさがあるんでしょうか。

五味さん

そう。いまあえて「いやらしい」ていう言葉を極端に使ったけど、もしかしたら秘密性とか、隠匿性という言葉で言えるかもしれないけども、本そのものが、なんでこういう綴じる(閉じる)意志を持っているのかを考えただけで、本でやるべきこと、本がやるべきことって、ある気がするね。これは他のメディアではちょっと無理だろうな。

國分さん

僕もそう思います。ぜんぜん無理ですよね。

五味さん

この一種の簡単さ。「開く」ってことさえすると始まっちゃうんだよね。
で、嫌になればぱたっと閉じると終わっちゃう。これは、作り手からしたら脅威ですよ。「なるべくぱたっと閉められないようがんばろう」みたいな感じがあるよね。そのあたりはガキみたいなダイナミックな読者を相手にしてると、絶対最後まで「まんまと化かされた」みたいに持ってってやろうという気持ちがある。それはもう一般的に、本を作る人の、本というものへの意識そのものじゃないかと思うけど。

國分さん

僕も「途中で読者に閉じられないように」ということは本当によく考えていますし、本というものが好きです。だから、電子出版とかちょっと嫌だったりして。

五味さん

いやいや、まねっこしてるんだよ、電子出版だとか、ああいうものは。
(これからは)たぶん、(本とは)違うものになるんだと思う。向いてるものもあるし。
今、メディア論みたいなかたちで本をとらえるみたいなことをよくしてるけど、あんまりしなくていいんじゃないかな。本は本のまま残るよ。ずーっとやってきたんだから。という感じはあるよね。

國分さん

そうですね。本が無くなるということは考えられないですね。

五味さん

そうだよね。非常に便利な形だし、同時に、あんまり信用できる形じゃないよね(笑)

國分さん

そうなんですか? その信用できないというのはどういう意味ですか。

五味さん

別に信頼関係を結ばなくてもいいんだ。本に向かってのめりこむ必要はないんだけど、自分が知らない風景に出会うとか、会ったことのない事象に出会うというのにはお手軽でいいよね。
だから、全然関係ないけど適当に本を開いてみる楽しさってあるよね、手当たり次第。世の中にはふしぎな本もいっぱいあるし、あたりまえすぎる本もいっぱいあるし。
それが今、「役に立つ」とか「実用」とか言い出して悩んでるんだけど、俺は悩んでない、全然。


■言葉と、音が発する感触


國分さん

あの、本の話すごく面白かったんですけど、その前に言った「絵で考える」「絵でしゃべる」という言葉に表れているように、五味さんの本の言葉のおもしろさ、ダントツだと思うんですね。
僕は本当に『さる・るるる』の、とくに「さる リハーサル」というところが好きで、この部分から思いついたんじゃないかと思ってるくらいなんですが、絵と言葉の関係というのが……
五味さんは言葉っていうものについて、絵についてはすごくよく語っていらっしゃるのですが……
どういう風に質問したらいいかな。

五味さん

いやいや、言葉について言葉で語るから、ぐるぐるまわりになっちゃうからあんまり言わないけど、単純に言えば、「耳ざわり」だよね。
「耳ざわり」って、良くないって意味じゃなくて、音感ね。

國分さん

耳に「触る」っていう。

五味さん

うん。耳に触ってくる感触がまず第一にあって、それからこれは、たぶんあとでわかるんだろうけど、やっぱり風土だと思うんだよね。 僕は関東で生まれたから、江戸のまわりの音とか、そういうのが基本になってる。たぶん言語ってそんなもんだと思うんだよね。
と同時に、音が、言葉に変化していく、あるいは言葉が音に、この行き来が、たまんなくてさ。
変なんだけど、外来語ってあるじゃん? たとえば花の名前で「フリージア」。「フリージア」って(名前が)合わないなあというか。「おまえフリージアじゃないな」というか。
俺の友達で「谷川」ってのがいるんだけど、そいつ見てるとどうも「長谷川」っていう感じがするの。「谷川」っていう感じじゃないなあと。そいつもいいかげんで、「じゃあ長谷川になりますよ」って(笑)
本当に無意味なことかもしれないけど、語調と物が、ぴったり合ったりぶれたり、それを楽しんでるのはすごくあるよね。 猫って「ねこ」って感じじゃないなとか、犬は意外と「いぬ」っぽいな、とか。

國分さん

猫は「ねこ」っぽくないですか。

五味さん

なんかもっと、伸びた感じ……

國分さん

それってもしかしてこの、僕の大好きな『もみのき そのみを かざりなさい』の中の「ねこ いいかげんにしなさい」っていうのはそれですか?

五味さん

そうそうそう。だいたいねこはいいかげんにするんだよね(笑)

國分さん

娘と読んでいていつも「ねこ いいかげんにしなさい」で爆笑してたんですよ。

五味さん

爆笑されちゃう猫でいいと思うんだけど(笑)
まったく無意味かもしれないし、さっきの話でいう「何の役にも立たぬ」ことかもしれないけど、そういうことが気になるタイプなのよ。
そういえば、イスタンブールまで行きましたよ。「イスタンブール」ですよ。いいじゃないですか。そこのオリエント急行が止まる最後の駅がなぜか「シルケジ」っていうんだよ。

國分さん

シルケジ?

五味さん

うん。嫌じゃない?

國分さん

(笑)

五味さん

やっとオリエント急行が着きました。最後の駅が「シルケジ」だぜ?

國分さん

ちょっと嫌ですかね(笑)

五味さん

ちょっと嫌だろ(笑)
こんなことトルコ人に言ったって「何が悪い」ということになる。でも、ちょっと嫌だなって思うわけ。
俺は旅行というと、何か見たいという強い気持ちは無くて、よくよく考えてみたら、(街の名前の)音が好きなのよね。

國分さん

ああー。

五味さん

スタートがまず音の良さなわけよ。そういうところに行くわけ。
「ドバイ」っていう音がよかったら、そこに。「ブエノスアイレス」とか好き。行ってみたいなって思うよ。

國分さん

音だけで行っちゃうんですね!

五味さん

行ってみて、ブエノスアイレスすっごい遠いんだけど、奥さんと一緒に行って「ブエノスアイレスって何?」って訊いたら、あの人もいい加減だから「タンゴでしょ」って(笑)
俺の旅はそんなもん。何を見たとか、どこへ行ったとか全然(関係なくて)、「イスタンブール」とか、「ブエノスアイレス」が、いいんだよ。好みだな。言葉と、音が発するある感触。意味よりは、そういうものにこだわってると、なかなかいいところもあるし、思ったほどよくないことも(どちらも)ある。ただ、そういうのを楽しむ癖があるんだよ。

國分さん

いやあ、「音が言葉になり、言葉が音になる」というのは、すっごく言い得て妙ですね!
『さる・るるる』ってほんとそういう感じですよね。

五味さん

そうそうそう。ショックだったわけよ。「ある」、「いる」、「うる」、「える」、「おる」。「る」つけると全部動詞になるんだ、あいうえおが。次「か」行に行くよね。「かる」、「きる」、「くる」、「ける」、「こる」。あるなあ。もうこれ1冊できるよね。

國分さん

そういう感じだったんですね。

五味さん

そういうのをいつもなんとなく思ってる。「干し柿を欲しがるガキ」とか。
「干し柿が欲しいガキ」。干し柿を欲しいなあと思ってるガキがいるんだよ。

國分さん

「干し柿」っていうとそれが出てきちゃう?

五味さん

出てきちゃう、というような吹き出物みたいな感じじゃないんだよ(笑)
ふっと考えてると、「干し柿」って音が面白いじゃない。「干し柿欲しいガキ」、これ、絵になるよね。

國分さん

ええ、なりますね。

五味さん

もう言っちゃったからやらないけどな(笑)
そういうのを見て、「何が面白いんだ」って言われちゃったら「ごめんなさい」っていう世界さ。でもそう言われたからって一人で遊んでたらちょっともったいないんで、みんなに本というメディアで出してみたら、「そういう趣味僕もあるな」っていうやつもいるし、いまだに「そういう趣味嫌いです」という人もいるし。しょうがないんだよ。

國分さん

小さいときはみんな、多かれ少なかれそういうセンスを持っていたけど、そういうことを考えちゃいけないって世の中にだんだんなっていったような気がしますね。


■次の世代は出て来てるよ


五味さん

俺、世の中の一番の敵っていうのは「まじめ」ってやつだと思うんだよ。なんか、こういうところ(書店)含めてさ、本当にみんなまじめだよね。
まじめって何かなって考えてみたら、「誰にも文句つけられない」っていう状態だよね。さっき言った「装置」の中で、何も警告音が鳴らない生き方だよね。だから、可もなきゃ不可もないというか。何でもなくその装置の中でまじめに生きて行く、っていうのと、「そりゃあつまんねえだろう」っていうものの戦いのような気がする。たとえばサッカーなんかやってても、「まじめに走ってないでもうちょっと球蹴ろうよ」というか(笑)
そういう時に今来てるんじゃないかな。

國分さん

「まじめ」に答えますと(笑)、
大学で教えてても本当に、一年生が入ったら、心をまじめから溶かすのにすごく時間がかかるんですよ。僕は最初それに腐心していて。『ヒトニツイテ』とかを読ませればいいのかな。

五味さん

それはあり得るよね。

國分さん

ありますかね。それを大学なんかはしなきゃいけないんですよ。

五味さん

ただね、時代が変わると、あんまりそのまじめ一本で、あっちからもこっちからもまじめに、とやってると、時代とか社会は変易してるんで、「まじめって意味わかんない」っていうスタイルも出てくるんだよね。「まじめはさておき」というような、もう次の世代は出て来てるよ。

國分さん

まあ、そうですね。

五味さん

ちょっと青年と少年と、少年と青年の間ぐらいのやつとつきあう機会があったんだけど、もうみんな面白い。「世の中でまじめにやってつまんなくなっちゃうのはもういいよね」という感じ。結構まじめなんだけど、まじめさの次元が違うんだよね。客観的に自分を見ていて。「社会が装置である」ことに気がつかないで装置の中に入っちゃった人間と、装置に気がついて、どこに自分をレイアウトするかな、と考えてるのと、大違いさ。

國分さん

そうですね。

五味さん

今その社会の「装置」に遅まきながら気がついた連中が若い世代に結構いる。それまでもいたんだろうけども、数からいったら少なかった。たぶん「装置」がどういう「装置」なのか、なるべくわからないようにしてるから。すごく大きな意志を持って作った「装置」じゃないからね。社会主義的なところで作った「装置」というのは、もうちょっと意志が、計画がある。ところが日本という国は、いろんな意味において、なんというか、自然発生的にできちゃった。だから「装置」のどこにいるかよくわからない。どういう機能を任されているのかもよくわからない。ただ不安だ、という人がものすごく増えてきている。
その次の世代になると、装置がうすうす見えてきた。その中で自分がどこに位置するか、あるいは装置の外に出ることにもトライしてみるかな、なんて奴も出てきてるので、俺は全然悲観してないし、楽観的でもないけども、あいつらが作る世代、また次の世代というのも変わるんじゃないかな。それは外国にいた人なんかに多いよね。

國分さん

「装置」に対して全面的に攻撃をしかけて「ひっくり返すぞ!」というのが昔あったとしたら、今は「装置」の中で自分はどうなってるんだろうときちんと観測して見定めて、その中でどうやったらうまく生きていけるだろうか、社会を良くしていけるだろうか、って考える世代が出てきてるのかもしれない。

五味さん

そうだね、装置のありように気がついたら次の手はあるよね。
残念なのはその装置に気がついてない、でも実は組み込まれちゃってる、という一種の被害者としての立場。その中で不安だけは感じている、というきつい世代がかなりいる。もしかしたらそれが主流なのかもしれない。この今の社会、そんなに悪い社会じゃないんだけど、何かいまひとつ納得いかないな、そう自由はないね、という中途半端なところで結論を出しておかなくちゃいけないような、苦しい立場が結構ある。とくにミドルにそれを感じるね。

國分さん

単純に時間がないということもあるんでしょうね。
感じ取るためには、ちゃんと時間がないと。

五味さん

今、いくつ?

國分さん

僕は今44です。

五味さん

俺はもうこの年齢で良かったよ。落ち着くよ。
(國分さんは)ちょうど、まったく真ん中じゃない。

國分さん

そうですね。

五味さん

今フランス哲学やってる奴が、絵本のことやってる場合じゃないよな、はっきりいうと(笑)
でも冗談じゃないんだよ、君みたいなのがさわがないと、死ぬよ、フランス哲学が。

國分さん

実は結構死につつあるんですけど(笑)

五味さん

うん、いや本当は死んでるけど、おまえがいるから(笑)
いや、哲学ってほんとに面白いのよ。単純なのよ。

國分さん

ありがとうございます。あ、俺じゃないか(笑)


■哲学とアートがいちばん面白い


五味さん

ガキの頃からずっと哲学してるのよ、みんな。それが今、役に立たないとか、他の学科があるからって、オミット(排除)されてきちゃった。考えたら、哲学と、天文学、音楽と数学が、最初に作られた大学の部門だもんな。すばらしいよな。
哲学と天文学だよ、それと音楽と数学。文学も工学もないんだよ。それがだんだんだんだん、学問は本当に人の興味、人というのは何に興味を持って生きているのか、その興味に対する学術、ということだから、役に立つとか儲かるとかを考え出すと全部ずれていく。今、哲学とアートが一番危機に瀕しているという感じかな。ピンチであると同時に、哲学とアートがいちばん面白い、という逆説も成り立つのは、なんて言ったらいいんだろう、(やる人に)覚悟があるんだよね。友達でアートが大好きな奴としゃべることはあるんだけど、(哲学が)今後一番失っちゃいそうでまずい、哲学を救おうってことで、今日は出演しました、って嘘だけど(笑)でも、その気はあるの。

國分さん

五味さん、本当親切ですね。ありがとうございます。

五味さん

いろんな人を救わないといけないから、大変なんだよ(笑)

國分さん

そんな風に言って頂けると思ってなかった。

五味さん

それはだって俺自身も、絵本が健全に売れるのは(世の人の)裏に哲学があるからでしょ。
ものを考えたり感じたりすることのおもしろさ、それをずっと哲学は……
(例えば)神がいるのかいないのか、いや神は人なんじゃないの、いや人じゃないだろう、ってことをずーっとやってきた。それはさておいて「物」で考えようという唯物論みたいなのもあるし。そういうのをやってきて「ちょっとこれはきりがないから、まず(神が)存在するのかしないのか決めようぜ」ってのが途中で出始めて、ごちゃごちゃやってるとき、「それはさておきやっぱり主体だよね」ってのが、ミシェル・フーコー派だよな。やっぱり自我だよな、というふうにどーんと戻るわけ。はっきり言って三千年四千年そういうことをやってる、いわば「やれる」わけじゃない。そういう哲学みたいなものをやれない社会は、たぶん滅亡すると思う。哲学とアートがない社会って、意味ないもの。

國分さん

そうですね。哲学は今まで結局、ちょっとさぼってたというか、大学みたいなところにしか場所をつくってこなかったんですよね。

五味さん

それは、気取ったからだよ。

國分さん

気取ったからでしょうね。そのツケがまわってきて、大学がやばくなると哲学がやばくなっちゃう、ということになっちゃってるんです。

五味さん

「すごいことだから」って気取っちゃったんだな。アカデミズムってのはそういうことだよね。女子供、素人にはわからないだろうと。俺たちはすごいことやってんだ、と言っちゃって、失敗したんだよな。

國分さん

それで完全に失敗してますね。

五味さん

今そういう失敗を取り戻す時にあって、俺の場合は、なんだか知らないけど言葉より絵が出てきたんだよね。ちょっとオーバーだけれども、やっぱり唯物論的にもう一回、冷静に見てみたい。神様を頼るよりは、一回(自分で)見てみたいという、そういう時期にいるのかもしれない。そういう、やり直すときの堅持のようなものがある感じがする。

國分さん

ある意味「唯物論」というのは、五味さんを表現する言葉ですね。「言葉」も触覚的に捉えてる。

五味さん

唯心論から唯物論に行くっていう……
(会場に向かって)ごめんなさいね、こんな難しい話で。絵本作家がこんな話するとは思わないだろうけども、するんです、実は(笑)
その、唯心論から唯物論へ行った必然性というのは、どこか「正義」があるよね。全部神様のせいにする、だって神様が作ったんだもん、っていうんじゃあ埒が明かないよね、っていう。
深い専門的なことを俺は勉強しているわけじゃないけれども、ちょっと俺的に言えば、「それだけじゃ色気がなくなっちゃうよね」って人間が出てきて。哲学はドイツ派から始まってるけど、フランスのあたりって結構ズルしてて、(ドイツ派に)限界が来るのを待ってるの、あの人たち(笑)

國分さん

そうですね(笑)

五味さん

「もうちょっと色気あるのをやろうよ」っていう、新感覚派みたいのが出てくる。

國分さん

すごく正確な描写だと思います。

五味さん

その気持ちはすごくよくわかる。不思議に、イギリスは論理の哲学に戻った。

國分さん

僕はちょっとその系統とは違う哲学をやってます。

五味さん

実際、音楽もたいしたことがない。数人しかいないんだ。絵もたいしたことない。イギリスってなにが楽しくて生きてるんだろうって思うと、へんな国だよね。

國分さん

政治が面白いですよ。イギリスの政治は最高に面白い。

五味さん

あ、そうそう!行きがかったら政治の話してるもんな。

國分さん

政治と、ビールかな。

五味さん

ふしぎな国だよね。その国(の考え方がグローバリズムの元にあって、それ)が世界をめちゃめちゃにしたところがあるよね。実際、そういうことも全部含めて、いつの時代もあらためてゼロベースから考え直せるんだよ、っていうのを、次の世代に「考えようぜ」って(呼びかけるのには)ちょっと俺、貢献してるような気がしてる。

國分さん

貢献してますよ!
いや、偉そうな言い方してすみません(笑)僭越な言い方をしてしまった。
でもやっぱり、言葉を触覚的に捉えるとか、絵そのもので考えるとか、なんかこう……

五味さん

言葉をそういう風に捉えるというのは、たぶん歌舞伎を見たり文楽を見たり、落語聴いたりっていう「文芸江戸学」じゃないけども、駄洒落とかさ、ガキの頃にじいさんのところに行って聴いたり、そういうのが「満ちてた」とまでは言わないけど、頻繁にあったわけよ。それをそのまま受け継いでるのかも知れないな。





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五味 太郎

1945 年、東京生まれ。工業デザインの世界から絵本の創作活動にはいり、ユニークな作品を数多く発表。子どもからおとなまで、世界中に幅広いファンを持つ。著作は 350冊をこえ、多くの絵本が世界各国で翻訳されている。 代表作に『きんぎょがにげた』『みんなうんち』『言葉図鑑』『さる・るるる』などがある。近刊に、カッターをつかった工作セット『 CUT AND CUT!キッターであそぼう!』、セットに含まれるカッターのアイデアブック『カッターであそぼう!』(ともにアノニマ・スタジオ)がある。


國分 功一郎

1974 年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は哲学。主な著書に『中動態の世界──意志と責任の考古学』(医学書院、第16回小林秀雄賞受賞)、『暇と退屈の倫理学』(太田出版、第二回じんぶん大賞受賞)『来るべき民主主義』(冬舎新書)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)、『スピノザの方法』(みすず書房)他多数。好きな五味さんの絵本は『さる・るるる』、『ヒト ニ ツイテ』、『かくしたのだあれ』、『たべたの だあれ』など。



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