アノニマ・スタジオWebサイトTOP > 五味太郎×國分功一郎トークイベント「絵本と哲学の話をしよう」@銀座蔦屋書店2018年9月28日 イベントレポート 4/4
五味太郎×國分功一郎トークイベント
「絵本と哲学の話をしよう」イベントレポート 4/4
2018年9月28日に、銀座蔦屋書店さんで五味太郎×國分功一郎「絵本と哲学の話をしよう」が開催されました。
たくさんの方々にお集りいただき、1時間以上にわたって絵本と哲学、音と言葉などさまざまにお話いただきました。 当日の模様を、全4回にわたってお届けいたします。
たくさんの方々にお集りいただき、1時間以上にわたって絵本と哲学、音と言葉などさまざまにお話いただきました。 当日の模様を、全4回にわたってお届けいたします。
■質問1:絵本の翻訳版について
質問者1
楽しいお話ありがとうございます。さっき『さる・るるる』とか、いろいろ「音がいい」というお話をされていたんですけど、五味さんの絵本はいろんな国で翻訳されていると思うんですが、たとえば『さる・るるる』はどうなってるんですか。
五味さん
無理、無理。
國分さん
無理ですよね。
五味さん
やめなさい、って俺が止める。
たとえばアジアの国とか、(節操なく)何でも出したがるのね。だけど俺が「面白くないから」って。『かかかかか』とか、蚊が飛んできて「傘に蚊」とか「かばに蚊」とか、そういうくだらない絵本、そういうのは日本語だから面白いのであって。中国人が「なんでもいいからいいです」と言って、(むりやり)わけのわからない本作ったよ。これ、『さる・るるる』もアメリカ人がトライしてね。
國分さん
あ、そうなんですか!
五味さん
うん。「モンキー、ファンキー……」みたいなことやりたかったみたいだけど、苦しいね。言葉に関するものになると翻訳本は少なくなるよね。
國分さん
まあ、そうですね。
五味さん
うん。無理ですよ。
國分さん
ある意味では、絵が翻訳できないように、この言葉も翻訳できない。
五味さん
そう。翻訳の面白さってのもあるんだけど、言葉の本ってやっぱり難しい。外国の本、たとえば「ハンプティ・ダンプティ」なんてのも、いろんな人が翻訳にトライしてるけど、半分以上は面白くないよね。
ほら、眠れないときに、「羊が一匹、羊が二匹……」って数えるのあるじゃない。あれ、「Sheep,Sleep(シープ、スリープ)」だろ、本当は。
國分さん
ああ、ああ!
五味さん
語呂合わせで、「Sheep,Sleep,なんとか、Sheep,Sleep,なんとか……」とやってるうちに眠くなる、ってのを、「羊が一匹」じゃなあ。だんだん目が覚めてきちゃう(笑)
國分さん
(笑)
たしかにそうですよね。
五味さん
「ハンプティ・ダンプティ、塀から落ちた」なんてのも、あれ全部韻を踏んでるから、谷川俊太郎さんもすごく苦労なさってるけど、まあどうしても言葉(遊び)のものは「母国語で楽しんでるんだから許して」ってくらいにしておかないと、つまんないと思うよ。
質問者1
ありがとうございました。
國分さん
良い質問でした。
五味さん
無理です、残念でした。版権あげるから、トライする?(笑)
僕に2%戻してくれればいいから。トライしてください。
國分さん
(笑)
ほかに質問、どうでしょうか。じゃあ、そちらの方。
■質問2:「仕事がないってわからないなあ」が不思議
質問者2
すごい最初の方のお話だったんですけど、「仕事がないって、わからないなあ」っておっしゃって、びっくりしちゃいまして。もうそれから1時間以上経つんですが。五味さんにとって、仕事がないってのがわからないというのも不思議だったし……
五味さん
いや、今でも俺、ずーっとアルバイトやってるみたいな感覚なんだよ。いや、本当に。
國分さん
ああー。
五味さん
ほら、掃除するからいくらかくれよ、みたいな感覚あるじゃない。
いいんだよ、(世の中に)ある仕事の中に参加して仕事するってのも。俺は、そういう趣味はないってこと。仕事って、今言ったようにインカムを期待するというようなものだったら、いろんな方法があるような気がする。俺、花屋やってたこともあって、花もけっこう売れたし……
國分さん
そうなんですか! 花を売ってたんですか。
五味さん
車でね。
國分さん
へぇぇ〜。
五味さん
有名な話だよ。
國分さん
あ、そうなんですか、すみません。
五味さん
いや。学生の時、花を仕入れて、花束作って。今はあちこちで(花束)やってるけど、そのときはあんまりなかった。俺、センスあったから(笑)
國分さん
(笑)
五味さん
本当に売れるよ。折れてるやつとか、みんなブーケにしちゃえばいいわけ(笑)
國分さん
へぇ〜!
五味さん
場所も、いいとこでやってるとやくざにおどかされたりするけど。面白いよ。
(質問者に向かって)
あなたが考えてるのは「安定的な仕事」という意味だよな。
質問者2
いや、よくわかりません。私もよくわからない。今日、寝ながら考えようと思います。
五味さん
寝ながらは考えられないよ、適当なことを言うんじゃありません(笑)
いや、何も社会の真実を言っているんじゃなくて、僕の感じでは、仕事があるとかないとかって、世界的にいいますよね。あれは、なんか違うんじゃないかなあ、という感じを、個人的に持っている。
(だって)やること、いっぱいあるよね。あるいは、場所を変えるといろんなことがあるよね。若い頃とか、旅行行ってる時にお金が乏しくなるとバイトしましたよ、ホテルのおじさんとかに「なんか仕事ない?」って。俺、ベッドメイキングとかけっこううまいんだ。14部屋くらいやると、指がささくれだっちゃうのね。
國分さん
それでちょっとお金をもらって。
五味さん
そう。今でも俺、ずーっとバイトしてる気がする。定職が無いというか。
國分さん
ちょっとした発想の違いだと思うんですけどね。
五味さん
(國分さんは)定職あるからいいじゃん。
國分さん
そうですね……でも、お話聞きながら思いました。今回のイベントのきっかけになったのが、僕が2011年に新宿の紀伊国屋書店で絵本のセレクションをやったんですよ、こういう(出力の)紙じゃなくて、立派な冊子があったんです。そのときのフェアを、関係者の方が見てくだっていて(今回のイベントに至った)。
100冊くらいの絵本に全部コメントをつけてるんですけど、その最初に、五味さんの本が載ってるんですよ。「あ、そうなんだ、僕最初に五味太郎選んでたんだ」って、けっこうびっくりしたんです。
五味さん
忘れてた?
國分さん
忘れてたんです、すみません。
五味さん
そういうの、いいよね。
國分さん
全然忘れてたんですけど、これ(選書リスト)、それこそ五味さんが「仕事なかったら作ればいい」というみたいに、「とくにやることなかったら好きなことやればいいじゃん」という感じでやったんですよ。別に仕事でもなんでもないし、お金もらったわけでもないし、論文の業績でも何でもない。単に「ちょっと面白いと思うんですよね」と本屋の人に言ったら、「やりましょう」となってやったんです。わずか7年前。
7年前はわりとそういう感じで好きなことやってたんですけど、定職がどんどん忙しくなって、そういう気持ちを今僕はすごく失っていて、自分で「こういうことやりたいなあ」ってやるみたいなのが本当になくなっちゃって。頼まれてる仕事をまず断るのが大変だし……
五味さん
うん、その兼ね合いはあるよね。全部自分でやってると、ときどき頼まれる仕事は「ちょっとやだな」とか「ちょっとうれしい」とかあるじゃない。
國分さん
そうなんですよね、それはあります。
五味さん
「銀座蔦屋」めんどくせえな、でもちょっと嬉しいな、とか。
國分さん
(笑)
わかります。
五味さん
俺ね、もうひとつ言っておきたかったのは、人間て「専門」てのはまずいと思うね。俺は自分が何の専門家とも思ってない。君もたぶんフランス哲学やってるんだけど、「専門家だ」ってのがないから一種、ゆるいんだよね。
國分さん
ええ。
五味さん
専門家じゃないと信用されないようになっていて、今ちょっと息苦しいんじゃないかな。
この前、荒井良二という絵本作家と対談したときに、ちょっと文脈は違うんだけど、「絵本って、どんな人でも一生に一冊描いたらいいと思うんですよね」とか言うわけ。さすが荒井くんなんだけど、俺すごくよくわかった。
遠洋漁業のおじさんとか、木こりのおじさんとか、そういう人たちが描いた絵本読みたいなあ、って。 彼もある意味、そういう風に、専門家じゃない絵本描きになりたいって、思ってる気がする。俺も一応肩書きとしては、人が言うから絵本作家って言うけど、あんまり絵本作家というのが専門と思ってもいないし。
昔、「肩書きください、なんでもいいです」と言われたから「有識者ってのはどうです」って(笑)
國分さん
(笑)
五味さん
「なじまないですね」と言われて。朝日新聞だったかな。「だったらそっちで決めてくれ」と決めてもらって。「一般人」でもなんでもいいんだけど、「絵本作家」がしゃべってるのって、なんか嫌じゃないですか。
國分さん
まあ「有識者」ってのは間違った使い方ですね、肩書きとして。面白すぎますが(笑)
五味さん
冗談だよ(笑)
でも人間って、いろんなことやれるといいなあって、僕は単純に思っている。いろんなことができる、といってもたかが知れてるけど、そういう雰囲気が自分の中にあるもんだから、他に切り替えてもかまわないし、今花売ってもかまわない。みんなが何かの専門にならなくちゃいけないって思い込んでる息苦しさってのがあると思う。
國分さん
「自分は何をしたいのか」「本当は何をしたいのか」、そういう言葉で、もしかしたら縛られているかもしれないですね。
五味さん
そうだね。国会議員だからしっかりしてください、みたいなのもあるじゃない。「あれで大丈夫?」みたいな。じゃあ、そう言っている自分がどうかっていうと、たいしたことないよね、みたいな。
國分さん
最近、小学生と話していたら、「うちのお母さんが、子供は暇にしてちゃいけない」って言うんだ、というのを聞いて、「ばかやろう、子供は暇にしてなきゃだめだよ!」って俺はこっそり教えてます。
五味さん
暇って、言葉なんだよね。暇とは何か。さっきの話でいうと「まじめ」っていう話で、まじめに社会のために生きてる。よく「社会の一員として生きる」とか言うんだよね。それ、どうなのかなと思うね。
國分さん
そういうことを全然自由に言えなくなっちゃいましたね。
そういう疑問を発すること、「社会の一員でいいのかなあ」ということすらも、言いにくくなってしまった。
五味さん
言っちゃえばいいんだよ。
國分さん
いや、そうなんですよね。みんな思ってると思います。言っちゃえばいいなって。
五味さん
君にはまだ将来があるから。おれはもう無いから大丈夫。赤坂警察もついてるし、安心なんだけど(笑)
君はあんまり言っちゃうと、五味さんのついでに言っちゃった、みたいになるとまずいから。
國分さん
ほどよく(笑)
五味さん
なるべく内輪でやってください。
國分さん
はい。最後もうひとつくらい、質問ある方いますか。後ろの方、どうぞ。
■質問3:絵本を大人が持っていくのはおせっかいですか?
質問者3
絵本のない、子供の世界と絵本が遠い場所に、絵本を持っていくのはおせっかいですか。
五味さん
ちょっとすいません、もう一回お願いします。
質問者3
さっき「子供を導く」という考えがすごくおせっかいだという話があったんですが、それは絵本というものが子供のまわりにあってはじめて言えるんじゃないかと思って。その条件が無い場所、絵本が身近なところにない場所に、外部から絵本を持って行ったりすることもおせっかいになりますか。
五味さん
そりゃ商売だからなにやったっていいんだよ。絵本屋さんでしょ?その場合はどうでもいい。売る努力だから。
質問者3
いえ私、開発人類学というものをやっていて、最初は、貧しい国が良くなることはいいことかなと思っていたんですけど、人類学をやって、向こうに行ってみて、子供たちに会ってみたら、別にそんなことは考えていないのかもしれないと思って……
五味さん
全然いいんだよ。俺は俺でそういうことを思ってるだけで、「おせっかいするな」と言っているのでは全然なくて。俺は「(導くなんて)よく言えるなあ」とただ思ってるんで。いいんじゃない、青年海外協力隊とか。おせっかいだと思うんだけど、俺は。
「絵本のよみきかせ」とかさ、いっぱいいるよ。この中にもいらっしゃるかもしれないけど、俺は本当に「おせっかいだな」と思うわけ。あれさえやめれば絵本は広がるのにな(笑)でもオレがそう思ってるだけで。
一度、絵本のよみきかせのおばさんが集まってる会に呼ばれて、そうとは知らずそういうことしゃべっちゃって、空気がビーンって(笑)
だって、この「よみきかせ」っていう言葉に「嫌だな」っていう感受性がない人じゃない。「よみきかせ」って偉そうだよな。「賜る」みたいな、バチカンのおやじみたいな言い方じゃない。その「よみきかせ」っていう言葉に全然感受性が揺れない人がよみきかせて、何の徳があるかという。
國分さん
ほんとそうなんです。僕もよく「よみきかせて偉いですね」とか言われてたんですけど、全然そんなんじゃないんですよ。僕は単純に、本を読むと子供が早く寝るから読んでた。「よみきかせ」てた意識はまったくない。
五味さん
その場合は睡眠薬として読んでたというわけじゃないの。(本来は)遊びだよね。
國分さん
遊びです。
五味さん
よみきかせってなんだろう、って思ったときに、(そもそも)子供は本が読めないから読んであげる、という理論なんだ。それが大間違いなんだよ。さっきの「装置」の話の中で、ミドルが必要とするから「子供」を設定してしまう、という話、まだ覚えてらっしゃいますか。それと同じように、子供が何か「できない」、だから導いてあげる、できるようにさせる、という必要がミドルのほうにあって、そういう風に設定してしまう。
でも、あえて言うならば「子供は本を読まない」、「子供は歌を歌わない」。子供は「しない」んであって、いつかする。今はしない、興味がない。これは不健康なことじゃ全然ないんだよ。俺も、はじめて絵本を意識して読んだの22歳だもん。
國分さん
そうなんですか。
五味さん
ディック・ブルーナの絵本を女の子に貰って窓辺で読んで、「面白いな」って。子供は「できる/できない」じゃなくて、必要がないからしない。絵を描くところをしばらく見てる子いるよね。はじめからのって描いてる奴もいるし、千差万別。
ところが「できない」という設定をして、それをできるようにしてあげる、そういう絵の教室があるんだよ、本当に。俺は詐欺かと思うね。告発しようかと思うけど、やってる人は知能が低いんだと思う。間違いない。子供に対する認識が低すぎるんだ。親もばかだよね。「うちの子は描けないんですけど、描けるようにしてください」と。その子は「描けない」んじゃなくて「描かない」子なんだよ。ここの差がわかんないやつが、子供の周りにいる、不幸。
國分さん
どっちかというと、子供は描けるのに、どんどん描けなくされているという感じすらします。
五味さん
それはその次の段階だね。たとえばテーマをもって描くということが(大人は)好きなわけ。写実というのが基本だと思ってるおばかさんがいるわけ。今本当に「美術/アート」がおざなりになってる理由はつまり、文科省なんかにまかせとくとどうしょうもないということ。
音楽もそうでしょ。文科省レベルでやってたら遅れちゃう。アスリート、つまりスポーツやる奴ってみんなクラブいくじゃない。学校から本当の人間が離れていくわけ。音楽も本当にやる気があるならば、学校の授業はむしろ害になっちゃう。だって、四拍子がちゃんとできたら八拍子、の世界だぜ。その次は十六拍子。(そんな風に)だんだんあがってくもんじゃないよ。そのぐらいの音楽の認識の人がやってる授業じゃ、音楽の本質がわかんなくなっちゃう。そういうところに行くと、今の子供たちって本当に悪い環境にいるんだなと思う。
國分さん
ちょっと時間過ぎちゃったんですけど、先ほどの質問の方に、大学教員としてちょっとだけ言っておくと、「開発」というのはもちろんおせっかいですよ。ある面では本当におせっかいで、「開発」という手助けで何かを破壊することもあります。
五味さん
「おせっかいして」と(みずから)言ってもいいよね。
國分さん
そうなんですよ。というのは、純粋無垢なものがあって「開発」するのではなくて、すでに発展している先進地域によって迷惑をかけられている地域があるわけですよね。「周辺理論」とかそういうもので言われていたように、どこかが発展するということはどこかが犠牲になっている。その地域は迷惑をかけられているわけだから、そこにはもはや手を差し伸べるしかない、という考え方があると思います。子供はまあ、まだ良いかもしれない。子供はまだ自由に生きているだろうけど、大人になったときに仕事がないような状況に置かれることがある。だから、おせっかいだけど、迷惑をかけられている人がいるときに、手を差し伸べる必要があるかもしれない、というのが僕なりの答えです。絵本の問題は、またその次に考えてください。
それでは五味さん、もう8分過ぎてるんですけど、何か一言。
五味さん
さようなら。また会いましょう。
國分さん
また会いましょう。それでは今日は本当に素晴らしいお話を……
五味さん
(さえぎって)それでは、國分先生の今後の限りない発展をお祈りして、よろしくお願いします(拍手)
國分さん
いやいや、今日は本当にありがとうございました(笑) みなさん、本当にありがとうございました。(拍手)
五味さん
どうもありがとうございました。
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五味 太郎
1945 年、東京生まれ。工業デザインの世界から絵本の創作活動にはいり、ユニークな作品を数多く発表。子どもからおとなまで、世界中に幅広いファンを持つ。著作は 350冊をこえ、多くの絵本が世界各国で翻訳されている。 代表作に『きんぎょがにげた』『みんなうんち』『言葉図鑑』『さる・るるる』などがある。近刊に、カッターをつかった工作セット『 CUT AND CUT!キッターであそぼう!』、セットに含まれるカッターのアイデアブック『カッターであそぼう!』(ともにアノニマ・スタジオ)がある。
國分 功一郎
1974 年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は哲学。主な著書に『中動態の世界──意志と責任の考古学』(医学書院、第16回小林秀雄賞受賞)、『暇と退屈の倫理学』(太田出版、第二回じんぶん大賞受賞)『来るべき民主主義』(冬舎新書)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)、『スピノザの方法』(みすず書房)他多数。好きな五味さんの絵本は『さる・るるる』、『ヒト ニ ツイテ』、『かくしたのだあれ』、『たべたの だあれ』など。
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